完売しました。本日、3月28日(土)の午前0時に販売開始しました。12時間後の昼の12時に終了しました。

お申し込みされた方へのご返信は、来週中になります。

いつものように約400人になり、申し訳ありませんが、メール返信は遅れます。すみません。

 

 

記事です。 

 

これでコロナ第三弾です。 いやーコロナって面白いくらい解放のテーマになります。笑  

 

今大切なことは、前回もいったように、目の前の出来事をしっかり、利用してさらにシフトの材料にすることです。

 

ですから、物凄くネガティブな事は、物凄くポジティブな事に変換できるのです。 

 

ただ、この地球でのひとりひとりの体験の仕方は、本当にバラバラです。まだもっと怖がっていたい人。真実のようなモノを探求してしまう人、もう何も感じないくらい幻想を卒業の人。

 

体験の仕方はひとそれぞれなんです。

 

 

上も下もなく、ただ今回のコロナのような事も、その人の狭い肉体の防備から来る感情ではなく、その人のもっと大きな魂という目でみるなら、どんな体験をしたいのか・・・だけなのです。

 

これは、被害者として観ようと思えば、そう感じますし、何も起きていない・・・と思う人はそれが真実です。

 

この世界は、「 なにが起きているか・・・ という真実があるわけではありません。 」 そうではなく、「 目の前の出来事をどう見ているか・・・・どのように見えているか・・ 」 に尽きるのです。 

 

しかし、それが簡単にわかるならこんなに激しいドラマは展開しませんよね。笑

 

 

この意味は、2012年やその前後から、いままで、さんざん解放を進めてきた方ならわかると思います。

 

それは、自分にとって大きな解放している時というは、目の前が小さい出来事や普通の出来事なのに、大きな恐怖になって見えてしまう・・・ ということなのです。

 

これは、解放進まれて来た方なら、経験はあると思います。

 

つまり、恐怖がイケナイとするならば、その理由はひとつあります。

 

それは、「 恐怖を感じると、とたんに幻想ゲームに深く入り込んでしまう・・・」ということなのです。

 

そのくらい、恐怖というのは、幻想ゲームに熱中させてしまいます。 

 

 

仏教にはこの幻想の世界に生きる人達のたとえ話があります。こんな感じです。

 

 

一人の旅人が広野を歩いています。

 

すると、突然大きな暴れ象が現れ、襲ってきました。

 

旅人は周りを見わたしてみましたが、身を隠す場所がなかったのです。

 

やっと、幸いにも古井戸がありました。、そこには、にふじ蔓(つる)が垂れ下がっているのを  見つけたのでした。

 

 

旅人は、すぐに古井戸の中をふじの蔓をロープのように、それで、古井戸の中に降りて、に逃げ込み身を隠しました。

 

追いかけてきた象は井戸の中をのぞき込みますが、井戸の中までは入ってこられません。

 

旅人はほっと安心し 、井戸の底を見ますと、その井戸の底には なんと 大蛇が大きな口をあけて、旅人の落ちて来るのを待ち構えてました。

 

井戸の底には、大蛇・・・・ ローブにぶらさがった自分、上の井戸の入り口あたりには狂暴な象・・・・ 八方ふさがりです。笑

 

旅人は、上へも登れず、下へも降りられず絶体絶命に追い込まれます。

 

 

命の綱はふじ蔓のロープ一本です。

 

ところが、もう一度上を見ると、そのふじ蔓の根元のところでガリガリという音がしています。

 

横穴から白ネズミと黒ネズミが入れ替わりして、顔を出して根本をかじっています。笑

 

旅人は「 もう駄目だ・・・」と諦めてました。

 

すると・・・・・上からポタリポタリと甘い蜜が五滴も口の中に入ってきました。

 

ふじ蔓の根元に蜂の巣があって、そこから甘い蜂蜜が垂れてきたのでした。

 

旅人はその蜜の甘さに、それまでの恐怖を忘れてしまいました・・・・。 以上です。笑

 

 

この広野を歩いている旅人・・・・とは、人生の旅をしている私たちのことです。

 

象が襲ってくる・・・・・・・・・・とは、人生の時間の流れ、、いつも常ではない。ということです。

 

井戸の底の大蛇・・・・とは死の影で、忘れても私たちを待ち受けています。

 

ふじ蔓のロープ・・・・・とは命の根、自分の寿命です。

 

白と黒のネズミ・・・・・・とは、昼と夜のことです。

 

五滴の蜂蜜・・・・・・とは食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望です。

 

 

まとめます・・・

 

「 私たちは人生という時間の中でいつも追われてます。そして、井戸のような場所に逃げ込むために、命というロープを伝わって、降りてみると、しかし、気が付けば、「 死の影」にでくわします。。。 

 

進んでいけば「 死 」・・・・しかし、、、 もどることもできず、最後は命のロープも老朽化して切れそうです。 もう八方ふさがりです。

 

あとは、なんとか自分を快楽で誤魔化して、自分を投げ出したいのです。 

 

すると五つの欲に酔いしれることで、追われるような短い人生も、死という恐怖も、一時的に忘れられるのです。 」

 

 

ここまでが、仏教の話でしたが、ku的に言えば、この話にはもうひとつ大切な事があります。

 

それは、この主人公を観ている自分、眺めている自分です。  

 

そうです。このストーリー観ている自分こそが、悟りの真我の自分です。

 

つまり、ロープにぶら下がっているのは、偽物のエゴの自分のことであり、アナタではありません。 もちろん、アナタが自分だと思えば、この主人公になれます。 

 

これが幻想ゲームなのです。

 

本当の自分は、いつもいつも自分を観ている自分です。この自分は永遠の平和にいます。

つるされてもいませんし、怖がっても居ません。 笑

 

 

この主人公の人は、コロナでパニックになっている人とも置き換えられます。

 

私たちの中で、今回のコロナを平担に、平静に見れているひとは、ストーリーを眺めている真我とか、繋がっている自分から眺めている人なのだと思われます。笑

 

そうになんです、幻想で見れない人は、このような恐怖を味わってしまっているだけで、本人は全くなんでもないのです。 

 

恐怖でいっぱいになると、先日も話ましたが、夜道にあるロープさえも、蛇に見えたりします。ほんとうに、そのように見えるのです。

 

恐怖や不安が、大きく、大きく、見えるのは、この主人公の内面からカルマが出ていて、色眼鏡でみれば、みるほど、大きく、大きく、怖く見えているだけなのです。

 

 

今日はkuが好きな老子の一節を最後に書きます。

 

 

まずは君自身が「 自由 」になること・・・より。

 

タオ(根源のようなもの)のエネルギーが、その人の中に植え込まれると、ちょっとやそっとで揺さぶられたって抜けない。

 

あのパワーをしっかり抱いた人は、人や社会にひきずり廻されない。

 

これを身に着けた時に、君はいろんな束縛から自由になる。

 

すると君の家族も、きっと、この柔らかな活力をもつようになる。

 

 

だから、大切なのは自分個人の中にタオの活力を据えることだ。

 

各人がただ、自分の中の活力を思いそれを大切にすることでいいんだ。

 

それがひとつの家に じっと湧き始めるのを思えばいい。 

 

ひとつの村に、ひとつの国に、どれほど広がってゆくかを、思えばいい。

 

いつもゆきわたるにちがいない静かな平和・・・・ 。

 

老子 タオ 抜粋より。

 

 

 

 

 

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本日、3月28日(土)の午後12時完売しました。

 

いつもどおりです。すみません。