大統領選で、トランプが出るたびに、プレアデスの波動がビンビン伝わってきます。笑
面白いですよねー。
記事です。
2020年も変わり目に来ています。 やはりこの変わり目に解放が大きく動く方もいると思われますので、こんな記事にしてみます。
このシフトが続く人生の中で、とても大切なようなものがあるとすると、「 自分の中心の部分を信じ切ること・・・ 」 となるかもしれません。
信じる・・・・という言葉は少し緊張気味にさせる言葉です。笑
2020年の軽さの中では、なにか、外側にある幻想の神みたいなものに、依存しきる感じがするからです。
ですが、ここで言う信じ切るというのは、信頼する といった程度での意味合いです。
あとは、ハイヤーがあなたに寄り添ってくれますから、そのスムースさが確信になっていくからです。
ハイヤーとのやり取りは、いつも平坦で、平凡な励ましのような言葉が多いのです。
逆に、頭の中のエゴの不安の声や、恐怖の訴えに、どうしても揺れて、自分の中心からズレたりします。
わたしたちは、肉体を持つ以上どうしても、エゴとは切り離せません。
大切なのはエゴの特徴をわかっていて、ハイヤーの流れの中でエゴを従として、生きることです。
エゴを主としないことです。
エゴが主となると、欲望や恐怖に振り回される人生になってしまうので、それを見破って、大いなる流れに合わせて生きた方が吉ですよ。ということです。
しかし、シフトの中で、精神的な嵐がふいてきたり、風、雨などが異常に強い場合は、耐えなくてはならない場面が多々あります。
そんな時は、自分の中心の部分を信じ切ること・・・・しかありません。笑
言葉を変えれば、自分の中心にいつも居る ということです。
人生に大きな変動があるときは、、それ相当のカルマの嵐がきている時があります。
いつも話すように、台風の中の一凛のコスモスの花のように、大きく左右に、風によってゆらされるような、激動の自分自身にさらされることも人生にはあります。
ですから、やはり、そのような時こそ、揺れるコスモスの茎のように、細くてたよりない茎にみえながら、台風に耐えている姿は、とても勇敢です。
エゴである仮の自分というものを通じて、シフトしていく自分とは逆に、エゴである自分は弱くなっていく・・・・ とても矛盾しているゲームなのです。笑
それは、焚火と木の棒の変な関係のようなものです。
例えば、薪の火が燃えているところに、火の調整を木の棒を使って調整するようなものです。
かき混ぜているうちに、焚火の火は順調に燃えて行きますが、最後にはかき混ぜていた、この木の棒も、燃えて行きます。そしてすべてが無くなって行くのです。
木の棒がエゴです。
そんな話が、煩悩を消すという話の譬えとしては、解りやすいのかもしれません。
結局、シフトでは、最後は自分の中心を信じ切ること・・・ が大切になってくるのです。
そんなに、揺れているとき、大きく目の前にトラブルのカルマが出ているときに限って、ハイヤーからはメッセージもありません。弱っているエゴにとっては大ピンチです。笑
そして、「 大丈夫だよ 」という、いつもの単純な言葉しか来なかったりします。
しかし、この「 大丈夫だよ 」 という言葉こそが、自分の中心で信じ切る 部分だったりするのです。
もういっぽうで、エゴは、「 こんなんで大丈夫なわけがあるわけないじゃないかー、 大変なんだぞーーー 」 と言いたいと思います。
しかし、ハイヤーから見れば、今いち早く、解放したいことを起こしているのです。
だから、自分の中心をしっかり、そんな時こそ、信じ切る、しっかりつかまって耐える事なのです。
夜明けが来ない日はないので、この幻想の世界は、諸行無常という言葉があるように、時間とともに変化してきます。
自分のカルマも静かに静視に徹していれば、時間とともに消えてきます。
逆に、そのような時に、近道を探したり、なんとか自分を安心させるように翻弄したりします。
しかし、大きなものが目の前に出てしまった場合は、あまり通じません。過ぎ去るまでは、対処しようとしてもどうにもなりません。
近道をもし、探しても見つかりません。 それは、近道を探すマインドそのものが、欠乏感でいっぱいだからです。
つまり、欠乏感は、欠乏した物事しか引き寄せられないからです。
そんな時、ハイヤーはゆったりした時間の中で、解放を促しています。
ただ、エゴだけが、追い立てられるように、時間がないような錯覚をして焦っているだけなです。
それは、近道しようとしている人に、 数字がきになっていたり、実績がきになっていたり、目の前の動向がきになっていたりしているはずです。
つまり、幻想の世界の中に、深く、深くはいっているので、怖くて仕方ないのです。
だからそこ、それを対処するために、近道をさがしたいのです。
このエゴの世界では、この近道探しは、普通です。 そして、近道は使い捨てです。
役に立てば、使うし、役に立たたないなら、次に行きます。
このように、エゴの世界は、合理的な世界観を見つけようとしながら、いつも不合理な場所にしかいれないのです。
ハツカネズミの車輪運動のようなものです。笑
ですから、単純なハイヤーの言葉の「 大丈夫だよ 」を信じられれば、欠乏感による 反射的な無駄な動きは、封じ込められます。
そして、しっかり、目の前に起きていることを嫌でも、受け入れることができるのです。
それが中心軸を信じるということでもあります。
このような時は、中心軸に居ながら、もう流れのままに生きるしかないのです。
解決策を実行しても、落ちるものは落ちて行きます。
エゴというのは、短期しか設定できません。短期間でなんとかしたいのがエゴの特徴です。
だから、kuは近道をさけて、遠回りしたりしてきたのです。
それは自分にとっては、ハイヤーの道だったからです。
近道は渋滞してます。みんなが欲望をギラギラして、競い合う混んでいる道だったりします。
その中で勝者になれれば、一時的な快楽を味わえます。 敗者になれば、苦痛と屈辱かもしれません。
しかし、遠回りな道には、大自然と調和するような、のんびりした道が見えてきそうです。
それは、のほほんとした、可愛い動物や、のんびり無防備な動物たちも顔を出すかもしれません。
一歩一歩、さわやかな、田舎の道を歩いて行くように、あまり刺激的な看板はありません。笑
どちらかというと、スターシードの魂は、このような、普通の人と離れた場所にいて、遠くで観ているようなマインドを持っています。
ただ、肉体をもってしまうと、どうしても人間としての人生を考え過ぎてしまうので、あせってしまうだけです。
スターシードが焦り過ぎても、あまりいい結果が出ません。 焦ったものを引き寄せるだけです。
だから、すこしだけ、ほんのちょっとだけ、遠回りして、逃げてもいいんです。
休みながら、進んで行く道も、いいかもです。
私達は、永遠の生命であることを知っているんですから。笑
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来年の4月あたりに再販売するかもしれません。