今回のコロナの件もシフトしている方にとっては、先日の記事のバシャールのいう台風の眼というより、穏やかで波動の日々に思えていると思われます。

 

そのくらいシフトしてきて来たという事は、波動に違いがあります。

 

でも、まだ普通の世間の人は、とても問題視しすぎてしまうような、心境の場所にいたりするわけです。 頑張って解放してねーー。

 

先日、リサ・ロイヤルさんの動画なんかも見てましたが、やはりだいたいこのブログは同じような事を言ってました。

 

Make big siftと 動画から聞こえてきたように感じます。

 

 

この2020年は、光りの観点からみると、こんなにシフトに恵まれた年はないのではないでしょうか? 

 

もし、あなたが揺さぶりをかけられているように感じるなら、自分の不動の心を試されているのです。 

 

大切なのは、「 自分が目の前の事で揺さぶられた・・・という事に素直に気づくこと 」なのです。

 

まさか、こんな事が来るなんて・・・・と思わさせられるような出来事がアナタに起きたとするなら、それこそ、ハイヤーが出して来た今世でのテーマのカルマが出たわけです。

 

 

前回の記事でいうと、嵐の中にどっぷり入ってしまうような出来事に匹敵するくらい自分にとってキツイ事なはずです。

 

または、「 いよいよ、やっはり、来たか・・・・ 」とも思える事かもしれません。

 

でも、それでもいいんです。 嵐の中にわかっていても入ってしまう自分があってもいいんです。しっかり入ってしまっていることを解っていればいいんです。

 

それはしっかり意識的に、どうしようもない自分をもしっかり観察できているので、解放できているのです。 (これはわかる人には解るかもです)

 

一見その人にとって、足止めされてしまうような事には、実はとても魂的にジャンプすることが含まれていたりします。 

 

 

そして、物凄く未来に不安を感じるとは思いますが、トータル的には、守られてますので、近未来的には問題ない事が多いです。それがアセンション時代と知ることです。。

 

本当はもっと早く出さなきゃならなかった事が、寝耳に水のような形で現れてきたのです。

ハイヤーもわかっていながらそのテーマカルマを出してきているのです。

 

霊的に大きなシフトが起きているとも言えます。各個人個人の内面を揺さぶって来るのです。 

 

ですから、表面ではこう思っているんだけど、深層意識では、こう思っている・・・・といった、分離しているようなマインドを、この際、一気に見せられてしまうわけです。

 

いつも言う、物体Xは、事が起きないとわかりません。

 

 

やはり、人は、死というものの恐怖から未だに、解放できていないと、やはり、「 死 」 という幻想そのもののワードによって怯えるような解放劇が現れて来るのです。

 

「 死なんか気にしていない、死なんか来たらその時・・・さっぱりと・・・ 」 というような、エゴの誤魔化しはよくあることです。 

 

そこで、直球勝負のような、「 ほんとうはそうじゃないでしょー あなたの本心は・・・・ 」 といきなり見せつけられるように、ハイヤーは出来事、事件を現らわしてくれます。

 

ある意味、恐怖というのは、正直に自分のマインドを表してくれる目安です。

 

結局、純粋に、素直に、自分自身と向き合わさせられるわけです。でも、実は、輝くダイヤモンドのような価値ある時間です。

 

 

今まで疲れながらも、やるべき事の連続で、もう自分では歯止めがきかないくらい、突っ走って来た人は多いはずです。

 

しかし、この高波動の中では、各人にブレーキを踏まされるようなことが起きてくるわけです

 

これは自分では、自分をコントロールきかないくらい、エゴで突っ走ってしまっている人にとっては、自分を冷静に振り返るいい機会となっているのかもしれません。

 

このような時の、その人の態度で、すべてが顕れてしまいます。

 

おびえすぎて、神経質になり過ぎる人にとっては、その恐怖の部分に敏感にカルマがあるのでしょう。

 

 

しかし、守っても、守っても、やはり、基本的に恐怖を握りしめて離さないので、もし、その先に進んだ人生の場面でもやはり、同じような事が起きてくるはずです。

 

例えば、火山の噴火は、人間のエゴ以外でみれば、あってあるもの なわけです。 自然の中のサイクルであり、とても自然の中では 大事なエネルギーの流れなわけです。

 

ただ、その噴火が、エゴの社会にとっては、恐怖になります。 経済を脅かし、人の安全を脅かし、人の作物や、粉塵によって人の健康も脅かすかもしれません。

 

噴火自体に意味をもっと、つければ、「 ○○の神の御怒りじゃっ・・・ 」 みたいな幻想ストーリーもさらに付け加えると、さらに深く入れるわけです。笑

 

 

しかし、噴火は噴火、 噴火に意味はありません。 噴火がなぜ起きるのかということにも、意味はありません。 

 

意味は、いつもいつも 人間のエゴが、レッテルを付けるだけなのです。

 

それは、菌でも、なんでも同じです。 ここをしっかりシフトして離れて見れると、幻想ドラマの被害者にはなりえません。笑

 

幻想ドラマの主人公だけが、やられたー やりかえしたー 大変だー 深刻だあー とわめいて騒げるのです。

 

やはり、この幻想ゲームの主人公は、たまに、少しショック的な出来事に出くわします。

このショックというのも、この主人公の感じ方ひとつです。

 

 

それが心の中にカルマとしてある場合は、それがショックに感じたり、恐怖に感じたり、不安となって悩ませます。

 

もうカルマにもなってないのなら、当然、何も感じなく、通り過ぎてしまいます。 

 

これが自分の内面のカルマが投影したものと気が付けば、いいんですが、大体は自分が外から害された被害者となったり、加害者となったりして、さらに騒いでいきます。

 

それは、その内面のカルマと、どっぶりと抱きしめ合って生きていることになっているからです。 

 

このような事が世の中全体で起きているということは、全体的なカルマです。

 

 

もちろん、 人それぞれ、その出来事をどのくらい気にしているかは、その人にどのくらいカルマがあるかの目安にもなります。 

 

無ければ、ないほど 気にならなくなります。そして淡々と過ごせたり、とても静かに過ごせます。それは、立ち位置がちがうからです。 

 

その悩みの中に居る人は、加害と被害の中にいます。

 

しかし、シフトするということは、その上空とか、2階にいるということです。もう2階に上がってしまうと、1階のゴチャゴチャした災いのような取っ組みあいが、笑って観ているようになります。

 

 

それは、テレビ画面を1m離れてみる人と、30mはなれてみる人との違いくらいです。

 

あまりにも画面から離れれば離れるほど、真剣に内容が見れなくなるのです。

 

観ないようにするのではなく、見れなくなってくるのです。 そのくらい薄くなってしまうという事です。 

 

でも、実は今日のタイトルのように、人類というドラマにとっては、一人一人にとって、大きなシフトが起きる段階に入った ということです。 その観方は、2階から観ているとそう見えます。

 

こう考えれば、人類全体のシフトしていく、アセンション的ストーリーは、しっかり続いて行ってます。 

 

 

吹き上げるような、噴火は、煩わしさ、迷惑さを伴いますが、確実になにか大きくジャンプするためのきっかけとなってくれるでしょう。

 

これは、あくまでも試練とか、災いとは呼べません。そうではなく、人がエゴの激しい動きから、静寂さをとりもどすための、祝福です。

 

四季に、厳しい季節や、嵐、雷のようなものがあっても、それが、試練と呼んでしまうとすれば、人間の勝手なレッテルです。

 

そうではなく、歪んだものは、この大自然の大いなる流れの中では、調整されたり、治されていくのです。 それがとても自然に戻って行くためには必要だからです。

 

そのサイクルの中で必要なことが必要なだけ起きているということでもあります。

 

 

こういうときこそ、罰だとか、なんとかいって恐怖で脅す人が出てきたりします。

 

それに感応すること自体が、その人のカルマがあるからですが、関係ありません。

 

すべては、自然な浄化として、起きるべきに起きていることを受け入れることです。

そして、いつもいつも 画面から少し離して、眺めていることです。

 

このような時こそ、淡々と、淡々と過ごして「 吉 」です。

 

淡々と過ごせること自体が、シフトで得ることが出来た才能なのです。 

 

シフトしていると淡々と過ごせやすいのです。 笑

 

 

 

 

明るい元気な周波数で、GO-----!!!  ↓ 笑

こっちは、静寂さ。ねっ ↓

やすらぎ、安眠、解放時期に、、↓

松果体は、ビンビンだあー ↓

あっけらかーんkuです。 すずけん放送局 ↓

まんなかあたりに出ているかも。笑

満員御礼。 只今は販売はしてません。

今年の8月~9月に1日だけ販売する予定です。

またここに掲載します。

1年3ケ月待ちということになってしまってます。

価格変更があるかもしれません。

申し訳ありませんが、ご了承ください。笑

参考程度にHPです。↓