今までの多くのみなさんは、真剣に生きること、真剣に夢見ることなどを散々やってこれらたと思います。 もちろん、今もです という方も多いと思いますけど・・・笑
ただそれは、自分の中に湧いて来る欠乏感、勝手な責任感を埋めようとする中で、どうしょうもなかった衝動だったと思われます。
でも、それであったからこそ、達成感があったり、ありがたみがあったり、そんな人生が善しということで、世間的にも見栄えがよかったわけです。
感動というものがあるとすれば、この地球では、その困難の中から起き上がってきたり、跳ね返す勇気みたいなことだったり、忍耐だったりしました。
それはまるで、スポーツ観戦のような感激で、ドラマを継続するヤル気が湧いてきたりしていたわけです。 それも面白かったですよね。
ドラマを楽しくさせるためには、人生に凹凸があったわけです。 無いという欠乏と、達成した満足とを両方を味わえたのです。
これが当時なりの地球らしい過ごし方なわけだったのです。
しかし、2012年からシフトが進んでくると、感覚が違ってきました。 もっとのんびり、もっとやわらかに、もっと穏かに・・・・という感覚です。
これは 凹凸のようなはっきりした刺激のある人生より、もっと漂っているような感覚です。
これは、真剣に生きて来た人にとっては、実は脅威なのです。
今、なにか経営されている方でも、仕事でも 50代以上の方々は、困われている部分があるとすれば、「 努力が報われる時代ではなくなった 」ということです。
根性だとか、真剣だとか、やる気、だとか、無理矢理自分を奮い立たせて、発信するようなやり方こそが、昔は正しいやり方だったのに、今は通じなくなってきているのです。
真剣に生きることは、正しくて、感動を生む 感動を生む生き方は、「正しい・・・」と勝手い錯誤してしまっているのです。 その正しさが頑固な人ほど、取れません。笑
そんな簡単にいままで信じてきた、自分のやり方を捨てられないのです。
思い込みだけで、世渡りしてきた方なんかは、とくに 頭を捻っているはずです。笑
今からの時代は、「 シフトすれば、するほど 上手く行く・・・ 」 という感じなのです。
「 軽やかに、すみやかに、スムーズに・・・」 が 根底にある時代です。
逆に真剣とか、根性とかは、とても重い波動なので、無意識に嫌われてしまうのです。
嫌われて、商売になるわけもなく、、、そのような波動の会社は、苦労している人たちだけで集まります。 もちろんお金は回りません。 世の中の波動に合わなくなってくるからです。
「 そんな簡単なわけがない。。。。世の中そんなに甘くない・・・・!!! 」 といつまでも、自分達の時代の武勇伝を語っていたいだけなのです。笑 kuも気持ちはわかりますけどね。笑
しかし、逆なんです。 「 簡単です。。。世の中は甘いです。。。笑 ニコっ。。笑 」 と言った感じがこれからの若者たちの時代です。
だから、ちょっとブラック企業だと目立っちゃうのです。 kuからみると信じられない時代です。笑
だって、そんなこといったらkuの関わって生きた昔の企業なんかブラックどころか、プラチナ企業です。 朝から朝まで働いてましたから。。 爆笑。
話をもどします。 ですらか、ここが解ってないと、これからはドンドン、苦しんで行きます。 気づくまで。 だから、あたまは柔らかい方が得なんです。 柔らかく行きましょう。笑
しっかりグランディングしてても、ふわっと浮きやすい時代です。 ですから、あまり主体的になにか、真剣に取り組まなくても、なんとなく 運ばれてしまうのです。
ここまで話すと、今日の記事のタイトルが増々、○○が気になるところでありますが、シフトしてくるこということは、なんとなく上手く行ってしまう人生が続いてしまうということでもあります。
ですから、タイトルの○○を埋めるとすれば、こうなります。
「 自分の人生に興味がなくなる・・・ 」 ということになります。
これは、あまり興味がなくなってくる・・・・ という感じです。 この言葉を聞いて、すこしチャラんぽらんで、いい加減な感じがしたなら、まだ真剣に生きている方かもしれません。
いままで、ディセンションの時代は、欠乏感を満足させるために、 「 自分が、、自分が、、、」という マインドが常にあって、 「 自分の人生にとても興味がありました。 」 興味があったからこそ、前に進んできたわけです。
興味のない人なら、とっくに命は絶っていたかもしれません。
逆にいままでは、自分に興味がなかったら、生きて行けないようなマインドの時代だったのです。
自分を守るのは自分だけだ 自分を成長させるのも自分だけだ、自分の努力は必ず報われる・・・ といった、自分自身への執着です。エゴの自分ですけど。笑
ある意味、ディセンションの時代は、自分への執着しないと生きれなかった、幻想の濃い時代だったわけです。
この興味が無くなってい来るというのは、スピリチュアルでもそうです。 あまり真剣に自分というものを何とかしようというのは、力が入り過ぎてしまっている、ディセンションなのです。
ほかのこの世の生活に関することならともかく、スピリチュアルという霊的な向上のことなら、自分に力が入り過ぎても、興味がありすぎても、構わない・・・ と思っている人が多いです。
はっきりいって、テニスやるのも、スピやるのも あまり変わりありません。
カラオケも同じです。笑
逆に、崇高なこと、神様のような修行だから、こそ、我を捨てて行かなくてはならない時代に突入しています。
「 何とか、変えたい、、なんとか、変わりたい、、、という真剣すぎる願望が強いのです。 」
つまり、自分の人生に興味が、まだまだ、ありすぎるのです。笑 これは我執になります。
でも、シフトされている方になると、もうそのような、めんどくさいことは、やりたくないのです。
もの凄く、 「 単純に生きられるようになっている・・・・ 」 と言った感じです。
これは、ワンネス的に言えば、「 個という強烈な 自分を所有するという概念 」より、「 流れの中の自分・・・・・ 」というマインドへの切り替えが出来ているのです。
どこかで、流れに乗っている感覚が、「全体意識となって流れて行っている・・・」となっているのだと思います。
自分の人生を自分のモノだと思っていない、そこまで深く考えない、そんなめんどくさい事は、もう考えない・・・・・ そんな感じです。
「 どうでもいいんじゃない?・・・・」 というような緩すぎる感覚が、実はシフトなのです。
ですから、「 固く絞った雑巾ではなく・・・・ 柔らかいタオル・・・ 」 なんです。シフトとは。
でも、どうしてもまだ、自分自身に対して、好奇心がありすぎたり、頑なに自分自身に対して、厳しくしたり、許せなかったり、 自分を虐めていること、つまり 「 自分なんて・・・」と思い込みすぎている人は、悪くはありませんが、少し自分をほどいてください。
シフトしづらくなるからです。
これは、「 謙虚さとか、強烈な正しさ・・・という幻想を信じている 」からなんです。
つまり、「 自分なんて・・・から、自分を追い込んでいく姿・・・・」 です。
欠乏感があるから、自分が嫌で嫌でしょうがないのです。 そして自分から出れないのです。その自分こそ、幻想の自分なのにです。
そこにはいつもブレーキとして、「 正しさにこだわる自分がいるはずです。・・・」
嫌だ、いやだ、今の自分では嫌だ と言い続けていても、変りません。 言っている自分が幻想のエゴですから。
エゴの特徴をよく知ることが大切です。
エゴは、「 自分の人生を自分のモノだと思い込んでいるのです 」 だから、興味があり過ぎるのです。
嫌な自分でも、大好きな自分でも 結局同じです。 変わりません。
ですから、結局、だれが悪いわけではなく、 勘違いなんです。 自分に固執するのは、幻想の中での事だということに気が付いて行くこと。。これがシフトということです。
そうなると、 「 自分の人生に、興味がなくなる・・・ 」 そうです。あまり真剣になりすぎなくなります。
というか、興味があまり薄くなってきます。 だから、未来や過去をあまり見なくなるのです。
それがハイヤーの観方です。未来や過去は幻想だからです。
興味のある人は、未来に自分を投影しすぎるのです。または、過去にこだわりすぎるのです。
興味がなくなって、全体の流れに合わせれる自分が出てきます。
とても楽だからです。
委ねられる・・・つまりハイヤーの流れに合わせられる自分です。
すると、カルマを作りにくい人生となります。 だから、 変なな反動もなくなるのです。
トラブルも少なくなるのです。
興味がなくなってくるからこそ、逆に、得られてしまうのです。
それが多くの人には、なんとなく、わかってきている時代なのです。
ますます、これからは、アナ雪のあの映画の中の言葉の、、「 ありのままでーいいのーー♪ 」 となるのかもしれませんね。笑
ゆっくりお休み ↓ 笑
しっかり起床 ↓ 笑
昇龍・プラチナ龍 ↓ 発射 Sirius 笑
あっけらかーんkuです。 すずけん放送局 ↓
満員御礼中です。 販売停止してます。
12月末に販売開始します。
今は、だいたい1年待ちです。それでよければです。
販売は停止中ですが、 参考程度にHPです ↓