人は、高みを目指して、さらに、さらに成長しなくてはならないような、焦りの時代を、過ごしてきました。

 

または、もっと消極的にいうと、自分は人より劣っているので、人並みにならなくてならない・・・という事もあるかもしれません。 

 

または逆に優秀と思っているような方は、「 もっと上に、もっと上へ・・・」となります。笑

 

いずれにせよ、なにか自分が大きくなっていくような幻想です。 

 

実はほんとうのアナタは、常に、、永遠に、、、この上なく、、、いつでも、究極の神様なのです。

 

 

しかし、この幻想の中の自分には、いつもいつも基準みたいなものがあって、その基準に近づけば、幸せになれる 遠ければ、不幸せというようになります。

 

この基準というのが、人から教えられた「おしつけ」だったり、自分で勝手に思い込んでいる社会の中の 「普通 」というものであったり、 「常識 」 というだれが決めたかわからないものであったりします。

 

このような事には、いつも正しさが入ってきます。

 

「 正しい生き方 」 という困った概念に襲われると、この成長というワードは余計にややっこしいワードとなり、さらに緊張感を高めてくれます。 

 

そして、何かになろうとして、成長しようと努力するわけです。

 

 

「 正しく成長できているか・・・」 という一見完璧に見える目標のようなものです。 

 

この基準のまずいのは、世間にもようやく、自分を認めてくれるように結果が出始めると、余計に執着になり、捨てられない基準となるのです。

 

この基準を手に入れたいがために、「高みをさらに目指して成長しなくてはならない自分・・・ 」これを目指して、さらに上に、さらに上にと、目指してしまうのです。

 

または、はやく普通までにはなりたい、はやく普通の人くらいまでに自分はなりたい・・・・と、何方も同じなのですが、よりよい自分というものをいつもいつも監視しているのです。

 

 

そのような方は、成長できてないと、物凄く不安になったり、無駄な時間を過ごした感じになったりします。 尖がったマインドにもなるので、あまり幸福そうに思えないかもです。

 

やはり、高みに上がりたい、早く成長したい というのは、エゴがそうしたいだけなのです。

 

エゴは欠乏感を回避したいので、行動しようとしますが、逆に満足できないループにはまって、回って、回って 抜け出せくなります。

 

でも、エゴが向上したいというのは、快楽にのぼせ上っているだけなので、いつか落ちていくわけです。 上がったら、下がるのがこの世界ですから。

 

 

でも本当にシフトされて行く方というのは、高みにいきなり上がって行くという感覚もあまりなく、、、、かといって、下がっていく感じもないような・・・・・・不安とか快楽すぎる事とは関係ないようなマインドになっています。

 

なんとかしなきゃ、絶対やらなきゃ、まだまだ 足りない・・・・などなど、このようなマインドが薄くなってくる・・・・ そんな感じです。

 

ようするに、成長を望みすぎているということは、自分で自分を教育しょうとしている・・・または、自分自身の事を「 自分のものだから、なんとかしたい・・・」 ということなのです。

 

自分自身を自分のものにしたいのは、誰でしょうか?  そうです。エゴです。

 

でも、人生は自然な流れであって、エゴのものではないのです。 

 

 

もし、順調にシフトされてくると、エゴが嫌がるような事によく合います。 

 

成長しなくてもいいような・・・ 努力しすぎなくてもいいような・・・ 暇が出来てしまって、あわてるような・・・・・

 

一般世間の常識とは逆の 状況が出てきたりします。 当然です。 一般世間のほとんどの人は成長すること、獲得すること、幸福になるために、急いでいるのです。

 

しかし、シフトするということは、欠乏感とはだんだん無縁になり、成長するような感覚もあまり感じなくなり、 「 今がとにかく一番いい 」 というような単純な場所にいるようになります。

 

そうなんです。 今からの時代は、「 世界は自分を中心に回っている・・・」 というワードなのです。 

 

 

この言葉を少し前に言ったら、「 なんて自分勝手な我がままな人なんだろう!!!! 」 といわれて最低のレッテルを付けらると思われます。

 

逆に、「 至らない自分だからこそ、成長しつづける、勉強しつづける・・・」なんていうと、チャクラにカルマが溜まって、病気になっている、老人たちは、拍手して褒めてくれるでしょう。 

 

しかし彼らから褒められても、ディセンションの時代でなく、もう、今は上手く進まないと思われます。

 

そうなんです。つまりシフトするということは、成長している自分に酔うことではありません。

 

 

一時的に自分の状況が良くなっても、それは一時的快楽の場所であることがほとんどだからです。

 

シフトするとことは、成長したり、落胆したり、悩んだり、飛び跳ねるような喜びのような、両極端の世界から、脱していくことなのです。 とても平安なことかもしれません。

 

とても、平凡で、刺激もないけど、いつも穏やかかもしれません。

 

また、成長する自分も否定して、 落ち込んでいる自分も否定している場所かもしれません。

 

もちろん、否定というのが、間違いで、嫌がっていることではありません。 

 

 

 

その両方を否定した場所に、顕れてくるもの、浮き出てくる場所、 がシフトされた穏かな場所になるわけです。

 

もっと、言えば、否定したから出てくるのではなく、シフトしつづけて行くと、その両極端なマインドは、卒業して行く・・・という言葉に近いかもしれません。

 

そして、「 成長 」 ではなく、、、「静長」になってくるのです。

 

せいちょう です。 静かなるマインドが、より長くなってくる。 日々の中で静かであることのほうが、長くなってくる。 静かというの状態ではなく、隙間が多くなってくるということてず。

 

静かとは、なにも起きないとか、なにも動かないことではありません

 

 

どんな動作でも、どんなウルサイ場所でも、いつもマインドに静けさが伴っているのです。

 

それは、究極的にいえば、シフトして いけばいくほど、静かな、おだやかなマインドになるからです。

 

せいちょう という言葉を 静かに、長く にしてみました。これは kuの造語です。

 

でも、シフトしていくということは、欠乏感からくる成長を望むエゴではなく、静けさや、穏やかさが、一日の中、一週間の中、ひと月の中、そして、一年の中で、少しづつ、静けさが長くなったり、増えてきたりするのです。

 

そこまで来ると、自分自身の周囲も大夫静かに、なっているでしょう。

 

 

本当のことをいえば、 もともと、静かで長く 「 静長 」 しているのが、ほんとうに自分であり、神である自分なわけです。

 

思えば、大昔は、あれだけ目の前の状況をなんとか、変えようと悶々として悩んでいたのに、

変えよう、変えようと、しているうちは全くかわらなかったりします。

 

「 そんな苦労していたことなんか昔に本当にあったんだっけ? 笑、、もしかすると無かったような気がする・・・・」 などと思えるくらいまで、今が穏やかに変化してきたのなら、もう自信を持たれて良いと思います。

 

そうなんです。シフトし続けてきたのです。 

 

この三次元で肉体持ちながら、変化されてきたのです。 素晴らしい事です。笑

 

 

 

もちろん、まだ目の前が忙しく、いろいろ出来事があっても、昔みたいな、フォーカスしてみる事も薄くなったのではないでょうか・・・・

 

この薄くなった・・・・というのがポイントです。 安心感がゆっくり広がって来ると、大袈裟に

強制したような動きはしなくてもいいようになってくるのです。

 

いつも自分軸から見るようないい意味での癖がついてきているからです。

 

アナタの中で、シフトを加速され、すこしでも「 静長 」 でありますように。。

 

穏かなアナタの波動が、おだやかな日々を作って来るのですから。笑

 

 

 

 

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