この波動上昇の時期になると、自然と浄化はたくさん起きて、そして解放されていきます。 

 

しかし、自分自身の性格に関するような観念とかカルマはなかなか最後まで落ちません。

 

とくに、自分に対する自己評価の部分が低かったり、つまり「 自分なんて・・・ 」という想いが昔からある場合、自分の性格に対する評価が、とても低いわけです。

 

これも、 このブログの読者なら解ってきていると思いますが、おかしな話になります。

 

「 性格??? ・・ ? 」 ということです。笑  つまり、性格とはエゴの性格になります。

 

 

エゴそのものが、幻想なのに 「 性格 」 という言葉を付け加えただけで、なにか個性的な感じがします。 「 個性…wwwwwww 」 これもそうですね。笑

 

もちろん、全部を否定して、虚無になることが、このブログも目的ではありません。

 

そうではなく、アナタの中で、いままで生きてきた中で、「 緊張させてしまっている部分」に焦点をあてて、それを許していきましょう・・・・ というのが目的だったりします。

 

そうです。性格というものが、分析するのに使って、それでよくなるならいいですが、性格という固定概念に固まって思い込んでしまって、ネガティブになる必要なんかありません。 

 

 

もし、シフトされて、外側の真我の自分にいれば、その性格さえも、ある程度フェイクに思えてくるので、本気になれなくなってくるのです。

 

思い込んで、性格を変えようとか、なんとか自己変革とか無理するともちょっと古いです。笑

 

それで善しを思えないで、なんとか変ってくれたら・・・と嘆願してばかりいるのが、エゴの正体だからです。 

 

そして、外側の真我の自分にいると、いつでも中立に見えてくるので、善しと 思えるのです。

そして、善し と思えるからこそ、中立的になります。

 

ある意味、自分というエゴに興味がありすぎるから、トラブルが起きていたのです。ドラマが展開してこれたのです。笑 面白いですよねー。笑

 

 

いままで、大嫌いだったのも、 大好きだったのも、 自分というものに対するジャッジであり、裁きであり、 そのあなたが裁いてきたそのものが幻想だとわかっていくると、裁くのがバカバカしくなってきます。

 

「 なーーーんだあ~ ~ バカバカしい。 あはははははは ~ 」 となるかもです。

そうなると、もう完全に許しているのと同じになります。

 

あれだけ、ジャッジしたり、しているときは、許せなかったのに、ジャッジやめたとたん、許せるのです。 それはなぜでしょうか?  

 

それは大好きなのも、大嫌いなのも、どちらもその自分というエゴが気になっていたからです。 気になって、興味がいつもいつもあったからです。

 

 

ところが、真我から中立でみて、自分というものがそもそも幻想だとわかってくると、興味が薄くなります。 

 

つまり、自分自身に対する あれだけ調教したり、教育したり、成長させたりと願っていた、大事な大事な未完成な自分に興味がなくなってくるのです。

 

だから、どうでもよくなり、「 許せるのです。 」笑 なんと逆説的でしょうか。

 

あれだけ、自分の至らなさに興味があって、「 変えよう、変えなきゃ、変わらなきゃ・・・」 と真剣に成ってた頃には、変わらないのに、 興味がなくなったり あっさり変化してくる・・・・

 

そんなものなんです。笑

 

 

自分を嫌いでも、大好きでも 同じなんです。 「 どうしたら・・・・自分は・・・・・ ? 」 というこの改革精神みたいな、重いものを捨ててしまうことなんです。 

 

だから、シフトされて軽くなるのです。 

 

軽くなるとは、ある意味自分というキャラクターに対して、いい加減になることです。

 

やはり、自己卑下されている方というは、真逆な自分が魂にあります。ある意味大好きなのです。 それは、言葉は悪いですが、エゴである自分を愛しすぎているのです。

 

大嫌いの反対は大好きです。 そして、エゴにとっては、どちらでもいいのです。 

好きでも嫌いでも、自分というエゴに興味さえもってくれれば、エゴは存続できるからです。

 

 

つまり、あまりにも自分自身に興味を持ちすぎて生きていて、自分から離れられないのです。

 

例えば、、慢心する自分を嫌ったりとか、、、自分ばかり得することは・・・いけない事だと思っている自分とか、、、、自分は謙虚でなくてはならないとか、、、 自分にはできないとか、、、自分にはなんにも良い所がないとか、、、、自分なんてとか、、、

 

この例は自分を責めたり、卑下したりした内容ですが、いつもいつも自分というワードが付いてます。 いじめようが、ほめようが、おだてようが、恨もうが、自分がいつも気になるのです。

 

ですから、逆に本当のシフトするためには、「 その自分とは だれか?・・・ 」 ということに気が付かなくてはならないのです。

 

 

本当の真我のような自分というか、エゴてはない我になってしまうと、頭の中で信じていた自分が、自己卑下しようが、慢心しようが、笑おうが、悲しもうが、それは、すべてなすがままとして、放っておけます。

 

そのように成ると、エゴのほうも自由という感覚をわかってきて、解放が進んで行きます。

 

緊張はどんどん、解放され、 性格なんかも、自分を意識しすぎるから生まれてきたものであり、自由というもとに、どんどんハメを外して行けるようになるのです。

 

すると、新たな経験が生まれてきます。この新たな経験は、自分というものを性格という檻におしこめていたときには、どうしても得られなかったものです。

 

 

ハイヤーセルフにつながって、流れに素直になることで、恐怖のない自由がどんどん体現されていきます。これが、大いなる流れのなかでの真の自己表現です。 真の成功です。

 

つまり、悲しみや苦しみを味わっている真面目で、動けない、良い人である自分というのは、社会的には正しくて、良い人なのかもしれませんが、どれだけエゴで生きていたか・・・ という事に気が付くことなのです。

 

真面目というワード、正しいというワードがエゴの自分を檻の中に押し込めて、エゴを大事に、正当化してきたのが、真実です。 

 

もう、ここに来られるみなさんは、そんなバカバカしさに、気が付いてもう、解放だあーーーっと両手を広げて行こうとしているわけです。 それはそれは、すばらしいスタートです。

 

 

陽気も、陰気も、ネガもポジティブも全部自分の中にあることを発見するためには、1000%ワガママになって、自由を謳歌するくらいでちょうどいいと思われます。 

 

1000%ワガママやれるなら、もう善悪は自分の中で越えてしまってます。 笑 

 

ちょっと過激です。笑  もう赤ちゃんみたいになっちゃいます。笑

 

地味な性格のという檻が崩壊すると、過激な自分もあったりします。

 

それでは、1000%くらいの我がままをやってしまうとどうなるのでしょうか? 笑

 

 

「 周波数が あがります。 波動が騰がります。」 笑

 

一見このワガママな自分というものは社会にいるとなかなか人の目があって出来ないのですが、やる時にやっちゃうと一気に波動があがってしまいます。

 

個人セッションなんかでも、ほんとうの宇宙での自分とか、潜在意識にあった隠されて来たものを発見できてしまうと、ほんとうの自分が出てきたりします。

 

一気に開き直って、「 やりたいこと、でてこーい やってやるーーー 」 みたいな。笑

 

ウチの昔からのお客さんなんかでは、50代で、最近、20歳の若い子と付き合っていた人なんかも出てきてます。 (( ←すまん言っちゃった。。○○ちゃん 笑 ))

 

 

当店に来る前の彼女は、自身のブログで、「 死にたい~ 」しか書いてないような人でした。

 

しかし、ほんとうの自分自身を徐々にわかってきて、解放されたのです。

 

今は、Skypeであっても、30歳くらいにしか見えません。 凄く若いです。

「やりたいことやって、執着せず、宇宙に向かうぞぉぉぉぉぉぉぉ ~ 」という もの凄いポジティブ変換です。 笑  

 

これはこの人の波動が高いからできるのです。 波動が低いとこんなことはできません。なぜでしょうか? 恐怖があるとこういう事は起きないからです。 

 

このように、自我と潜在意識の壁がとれて、統合していくということが、どんなに桁外れた事の展開になるでしょうか。 もう無限の可能性があります。

 

 

そうんなです。 わたしたちは、無限そのものなのです。 本来自分というものがエゴの見方してなければ、無限にちかい感覚がこの地球でも意識拡大していきます。

 

もう、やりたい放題やっても面白いです。 やりたい放題やってしまえば、どんどん波動は騰がって行きます。 

 

キモチ的に、100%程度目指しているから変化しないのです。200、500、700、1000%行ってしまいましょう。

 

いつもと同じように、ちいさく、真面目に、やってると変わらないです。

 

もちろん、時期もあります。 ただ、この記事でもうその時期が来ていらっしゃる方がいると想定して、このような景気の良い記事にしてます。 そのような方は跳ねなくてはなりません。

 

 

無音で、静寂な池から、垂直に登ってく、龍の如しに 大きく飛んでいくことも大切なことかもです。 もちろん、自分のハート次第です。

 

たまに、自由という顕われのひとつのとして、はっちゃけた自分を出すのもいいとことだと思います。 

 

ほら、ヨーロッパでさえ、怪しそうな舞踏会とやら、パーティーやら、女装なんかして騒ぐパーティーもあるじゃないですか? 笑

 

そして、新たな自分、新鮮な自分、フレッシュな自分という、エゴキャラになっていくのです。

そこまでやって、自分が変らないわけがないわけです。

 

 

ハイヤーセルフに従順になったエゴは、自由というのもとても感じて、

 

羽ばたいて行けるようになるのです。笑

 

 

 

 

どんどん使ってください。 なんかこれ人気ありますね。↓笑

 

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満員御礼です。 

 

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12月末に販売を開始します。 日にちは後日ご報告します。

 

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