なんか、どこかの党のようなタイトルになりました。すみません。笑

 

だいぶ以前ですけど、、平均台・・・の記事を書きしました。 

 

人は人生に平均台を歩いている・・・と。平均台から降りる事は怖いので、なんとか綱渡りのように恐怖に怯えながら、一歩一歩進めてきたのがディセンションの時代でした。

 

そしてひたすら前に進めていくわけです。前はゴールになっていずれは死となり平均台から落ちていきます。

 

先は死ということはわかっているのですが、今渡っている場所が怖くて、落ちないように、おちないように、緊張して生きることで、未来の平均台の終わりを忘れることさえできるのです。

 

 

平均台の0から始まった柱の上を「 気を付けて、気を付けて、さらに気を付けて、渡って行きます・・・・」と言っていました。

 

そしてなんとかこの平均台の上をなんとか安全なものにしょうとして、いろいろがんばってみたりするわけですが、その努力もむなしく、平均台は終わりへと向かっていく・・・この終わりとは死です。

 

このように、人のエゴというのは、直線上に考えやすいのです。

 

自分のいる今の立場とかポジションを捉えて、直線上の未来を設定して、直線上の過去をふりかえったりして、一本の線の中での自分を整えようとするのです。

 

 

もちろん、それが悪いわけではなくて、エゴが不安すぎることのないように、今自分がいる位置というのは、知ることで安心したりもできるわけです。

 

今いる自分の位置がわからなくて、右往左往して、フラフラしてしまうこともありますので。笑

 

ただ、いつまでもその直線に拘りすぎると、もう2019年ですから、これ以上行けないような感覚になることが多くなってくるのです。

 

人生がパンパンになるというか、」「 行き詰る・・・」という感じです。

 

たとえば、順調にやってきてた、順調にまだいってない、なんとなくやってきた、ただなんかここから先は行けないような、閉鎖された感覚です。

 

 

突破していかないとならないのはわかるのですが、どうしても前に進めないような感じです。

 

このような時は、やたらに行動しても、いい結果がでなかったりします。その感覚はなんなのかといいますと、内面の奥にあった、カルマの消化不良のような詰まりが起きているとも言えます。

 

しかし、今日の記事ではそれではなく、直線上に進むことを考えているからこそ、目の前が詰まった感覚になっているのです。 これは仕事でもスピリチュアルでも同じことです。

 

スピリチュアルでも気が付いてみると、平均台をつくって直線上に積み上げて行こうとしていたりするわけです。

 

 

直線上に積み上げて、高くしていくことこそ、結果を出し続けることであり、達成できるような感覚があるのです。 

 

そのような地球独特の観念があるからこそ、実は煮詰まりの原因になっていたりするのです。

 

ではどうしたらいいのでしょうか?  そういう時は、スピリチュアルであったとしても、なんでも、一旦捨ててしまう。 スピリチュアル感覚全部捨ててしまうのです。一旦消してしまうくらいです。

 

一旦、ぶっ壊してしまう、白紙にしてしまう。笑 

しらぬまに握りしめちゃっているものを放してみるのです。

 

やはり煮詰まり感というのは、どこかで先細りになっているということでもあります。

 

 

それはエゴ自体の先細りにすり替わっている事が多いのです。

だから、なにか努力、精進をしようとして無理しようとするわけです。

 

どうしても直線上に見ていると、積み上げて行けるような錯覚をしていくのです。

エゴの頭の中の妄想なんですね。

 

ですから、逆に努力、精進していくのではなく、手放しを行う必要があると思われます。

 

このぶっ壊してしまうと、すべてが無駄になってしまうという心理的な罠があるのです。

なぜなら、エゴこそ、どうとしても手放さない本人だからです。

 

実はそうじゃないのです。 ハイヤーの導きだったりするのです。

 

 

kuならkuで、一旦宗教的なことや、スピリチュアル的な詰めて、詰めていた時期にそれをすべて手放ししたことがありました。

 

そして、ただ夢中にサーフィンだけをやっていたのです。ド下手ですけど。笑

それだけが楽しかったし、それ以外やりたくなかったのです。

 

サーフィンやって、クタクタに疲れて、しっかりアーシングになって、グランディングして、そしてまたサーフィンやって、グランディングして、それでまた仕事やって、サーフィンやって、グランディングして・・・・・の繰り返しだけだったのです。

 

なぜそのような生活になったのかもわかりません。しかし、それでOKだったのです。

 

でも、なにか感じていたのです。大地とか海とか大自然と遊んでいるにも関わらす、ケガとか一切してなかったのです。

 

 

普通サーフィンやってると少しはケガしたりするのでが、しないのです。

 

それは、約2年間そのような期間が続いたのですが、その2年間は徹底的に自分の設定の中で、おおいにすべてを忘れて、手放して、地球と同化するという大切な期間だったわけです。

 

そのあと、kuは仕事で一気に全国的にブレイクした時期がありました。そのブレイクは精神的なブレイクとこの世的な結果のブレイクです。 

 

すると、あの2年間がどれだけ大切だったのかわかってくるのです。

ちょうど、あの記事、( 失くしたロレックス )のころの話です。

 

そのためには、自分が積み上げてきたものを一旦捨てないとならなかったわけです。

つまり、煮詰まり感、先細り観というのは、手放しのサインであったりするのです。

 

 

ここで捨てられない人は、心が凝り固まってきます。ku自身の場合は、それが面白くないのです。

凝り固まっているくらいなら、心を爆発させてしまうくらいの気持ちになるのです。笑

 

やっぱり面白くありません。 

なぜなら手放せない人を沢山見てきたからです。

 

手放せないと、手放せないだけの時間とパワーが溜って行って、崩壊させるときに凄い崩壊が起きたりします。 そのくらいしないと手放せないからです。

 

ほんとうに、自分の道があると感じなら手放せます。そこは大いなる存在とつながっているから自信があるからなんです。

 

 

いままでやってきたこと、学習してきたこと、捨てられるから繋がっている人なんです。

繋がってないから捨てられないのです。なぜなら不足感があるからです。

 

その不足感はだれが感じているのでしょうか? そうです。エゴです。笑

 

ですから、直線上のように人生を考えていて、自分なりに煮詰まっているような感覚があったら、ぜひ、捨ててみる、離れてみる、投げ出してみる、 ということがとても大切です。

 

このアセンションの時代は、不足感と充足感のどちらに自分があるか? が目安になります。

捨てられるという人は、充足感がある繋がっているから捨てれるのです。

 

 

捨てられないという人は、逆に執着があるよ と気づかせてくれているのです。

 

ならば、自分にどれだけ素直になれるかがポイントです。

 

言い訳のいけないところがあると、「 そのようになってしまった理由、そのようになりたくない理由・・・・」 などいくら上げて自分で納得しても、変わらないのです。

 

変わらないから、さらに不満が募ります。そして、どうやって害されたか、どのくらい自分の周囲の人が悪いかなど、いくらいっても、ストーリーの中の主人公のキャラクターを強めてしまうだけなのです。

 

解っていながら、どうしたらわからない人は、その場所から出た人に聞いて素直に真似すればよかったりもします。模倣もしていみるのも良いと思います。

 

 

しかし、もし自分より上手くいっている人に嫉妬があると、その気持ちを合理化していまきます。

「 そうなりたくない理由・・・・ 」を散々あげて、自分は嫉妬などしていない・・・と合理化しても自分の人生は一ミリたりとも変わりません。笑

 

kuだったら、どんどん真似していきます。自分は宇宙人で地球になれてないなら地球人の真似をいち早くしてしまった方が早いからです。

 

話を戻して、道が開ける人というのがいるとすれば、いつでも捨てられるという優雅なマインドを持っているのです。

 

つまり、捨てて、開けて、捨てて、開けて、捨てて 開けるのです。

 

 

だからといってなんてもかんでも捨てることがいいわけではありません。

 

その時期をしっかりキャッチして、いつも軽やかで、軽い自分でいれれば、カタチにこだわることも必要ありません。

 

爽やかな2019の後半を迎えましょう。笑

 

 

 

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