この地球を離れた高次の宇宙からもし今のこの場所を見たとします。

 

すると、とても不思議で、とても興味ある場所に見えると思います。笑

まさに先日の記事ではないですが、鈍行列車です。 

 

こんなに波動があがっているのに人々のマインドは鈍行列車です。

でも、だからこそ面白い場所なのかもしれません。笑

 

やはり肉体という一見不便なものがあるので、遠回りな労力や極度の負担などが、どうしても降りかかってきていたのが今までの世界です。

 

しかし、遠回りで不便な世界の中にも、しっかりと神がいる。神性を感じることができます。 

 

 

この星はアセンションに入ってものんびりです。であっても実は他の高次にはないような、貴重な体験してるのだと思います。

 

先日、箱根にドライブ中の山の中で、イノシシの親子を見ました。母親イノシシと子供四匹です。

 

ノンビリと過ごしている姿は、いくら人間が大都会で忙しいという幻想に振り回されていても、

彼らには関係ありません。 それを認識さえできません。

 

ただ、在るだけ です。 そしてその在る姿には愚鈍すぎるくらいの、無頓着さがあります。

 

 

その姿からは効率よく生きているように見えません。 計算高く生きれるような波動はありません。 

 

そしてそんな姿だからこそ、kuにとっては、とても可愛らしく見えたのです。

 

これが写真です。撮れました。母親と子供たち。笑

 

彼らには乗り物がありません。雨の日だったのに、傘もありません。彼らには靴もありません。

彼らにはお金もあません。 彼らの住んでいる場所はどこでしょう。

彼らは今日の夜には食物にありつけるでしょうか?

 

しかし、kuにはイノシシたちが、この自然の中でしっかり生き抜いていると姿だけが見えたのです。 ( ストーリーの中の自我の視点ですよ。笑 ) 

 

 

この愚鈍さのすばらしさ、他の高次の星ではないよな、苦労の多い肉体をもった生き物が、それでもあるがままに生きている。 それって完璧ではないでしょうか。

 

それは、高次にいる輝くような美しい宝石のような動物たちとは違います。

 

満たされてる世界ではないからです。 食物にありつけない日は、四匹の子供たちも我慢しなきゃならない時もあるでしよう。 

 

怪我をもししても、その傷が治るまで待たなきゃならないでしょう。 しかし、不足感だらけに見えるのは、人間からの観方であって彼らはそう思ってないかもです。 

 

 

ただ在るだけ  それって完璧です。 未来も過去もイノシシには感じる感覚さえないかもしれません。

 

どうしても、人のエゴは 一次元より二次元、二次元より三次元、三次元より五次元・・・というように、上に上がることが善しとしてしまいます。

 

しかし、アメーバーはアメーバーとして完璧に存在しており、ヒラメはヒラメとして完璧に存在しており、他の惑星での高次のマスターはマスターとして完璧なだけなのです。

 

人間にとって欠乏という錯覚が実は楽しかったからこそ、その感覚を長い時間味わっていたのもかもしれません。

 

もちろん、欠乏感がいっぱいな世界があるのではなくて、今までのこの地球は、自分自身の中に欠乏感がいっぱいになっていた ということです。

 

 

では、自分自身がスターシードだとして、なぜ欠乏感がいっぱいになってしまうような経験をしてしまったのかということです。 それは予想できたはずです。 

 

そうなんです。わかっていて出てきているのです。笑

 

先日の記事の各駅停車の話ではないですけれど、そのような欠乏一杯の世界の中で、愛というものを探してみる旅を始めてみたい・・・と考えたわけです。

 

探して、探して探し当てて、やっと手に入るような錯覚を経験してみたかったのです。

 

宇宙に帰れば、慈愛、愛に満ち満ちあふれたような世界に居すぎたために、どうしてもどうしても愛の違う場面での経験をしてみたくなった。。

 

 

それには、地球での愛と 宇宙での愛は まったく違うので、地球という、真っ暗な見えない世界の中で、愛が見つかったら、どんなに面白いだろう。どんなに美しく感じるだろう。

 

そんな経験してみたくなったのです。

 

愛の満ち溢れたような世界の中で、愛を感じつづけるのではなくて、目標をもったり、努力したり、我慢という錯覚をもったりして、やっとの思いで、みんなと愛を共時できるような体験です。

 

もちろん、幻想がわかってしまうと、そう思えません。だから、わざと記憶喪失になってような設定で、楽しんできたわけです。

 

 

欠乏感の中で、みつけた湧き水、欠乏感の中でさがせた木の実、食物、寒さという体温が失われるような感覚の欠乏の中でやっとみつけた温かい、休憩場・・・

 

さきほど、イノシシの話ではないですが、あるがままに生きて 今の体験をそのまま受け入る中でのドラマです・・・・。

 

そうです。この世界ばいくらアセンション中だといっても、まだまだ欠乏感だらけです。

 

それを拒否したり、改善しようとしてりすることが真のシフトではなく、どこまで目の前の事を受け入れられるようになれたか・・・が真のシフトのような気がします。

 

 

それは あるがまま で達成される、無動、無私 かもしれません。

 

そして、今はまだ感じられないとしても、2019年ともなり、波動はあがり、充足感がひろがっていきつつあります。 

 

それでは充足感とはなんでしょうか?  それは光があふれてハートで満たされるという体験のことです。

 

不足感には、光、つまり愛が、無いという体験の状態だったのです。 不信、不満、不安などです。

 

ですから、充足感という体験を感じてみたかったのです。

 

 

もし、充足感だらけの中にいたら、充足感がわかりません。不足感の中に身を置く事をしたからこそ、充足していく喜びがあるわけです。

 

そうです。それが気づきということです。 気づきは不足感から充足感へのドアなのです。

 

そして、上級的に言いますと、在りてあるものですから、充足感そのものも幻想です。

不足感も充足感もありません。 すべて在る世界が本当の姿ですから。笑

 

元から・・・・有った・・・ すべてが充足しかない・・・・となります。笑

 

ですから、そんな発見するゲームを地球でしてみたかったのです。

 

 

先ほどのイノシシになぜ感動をするのでしようか?  

 

それは大自然にあるもの、生きるものは在る世界でみているので、その完璧な姿に感動するのです。 

 

動物を見て感動していのではなく、その動物の中に自分の完璧さを見ているのです。

意味わかりますか? 笑

 

この世界は自分を映し出しています。 感動ということがあるのならば、それは瞬間的に完璧なものをを見たのです。

 

それは、すでに自分の中にあるものです。それを眼を通じて、耳を通じて、五感を通じて何かを感じたのです。 

 

 

そういう意味では、目の前に起きることに不平不満を立てることもあるでしょうが、実はすべて自分を完璧に映し出しているのです。 

 

つまり、難しくなるかもですが、不平不満な事も、美しい感動も、すべて充足の中で、満たされている中で起きています。

 

良い事も悪い事と感じることも、すべて完璧な愛の中で起きていることなのです。

 

ただ、地球に来て、人間となり、物質的にエゴまみれになると、どうしても不足感からしか見れないのです。

 

だから、のどカラカラになった時の水の一杯は美味いわけです。

そんな経験をしてみたかったのです。

 

 

わたしたちは神であるので、光そのものであり、もっと奥には 「 空 」 そのものです。

 

完璧なアナタがほしいのは、不完璧な体験なのかもしれません。

 

そして、アセンションによって、不完璧から完璧な体験をしたいのもアナタかもです。笑

 

この三次元の不足感だらけだった地球が、いよいよ 愛、光、空など、アナタのハートなかに満ち足りてくる体験です。笑

 

 

 

 

 

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