シフトが急速に進んでくると、突飛でもない事が目の前を展開したりします。
やはり、どうしてもストーリーの中に入ってしまっていると、どっぶり楽しみすぎてしまう・・・という要らぬ苦労をしたりもします。笑
実際、自分の中で、どこまで波動が騰がって、解放できて来ているのか?・・・・という目安が、
どうしても、初体験のようなこのアセンションの中では、掴みづらい感覚になってしまいます。
強いて言えば、人によっては、ボコボコしたような道、歩きづらいような道のように、日々の中でも喜びと落ち込みが交差しているような感覚になる場合が、それです。
解放がまだ浅い方というより、一段落、二段落、終わったような方に出てきているかもしれません。魂の奥の奥に溜まっていたようなものが、出てくる感じです。
ですから、目先の雑念レベルの引き寄せられたというより、魂の奥にあったストレスのようなものです。
これが、この季節の中で、もう安心して出てきてしまっている・・・・というようになります。
抑えていたものがドンッといきなりです。
例えば、自分にとって良い事が目の前に快楽のごとき、いきなり現れます。
「 やったっ!! 」 と解放されたように気分になるのです。その日は、進んだような気持ちです。
しかし、その次の日には、それの道を塞ぐように、ドカンッ と落とされます。
「 ええっ、、ちがうのかよっ・・・・・」 となります。
そしてまた数日経つや否や、「 やっぱり大丈夫なんだ~ いいんだあ~ 」 と喜びが来ます。そしてまた一日経つと、「 やっぱり駄目だ~~ 」 となります。
そして、何事もなかったように、白紙になったりします。 何事もなかったように・・・です。
これは、手品でもされたような、不思議な迷わされた気持ちになるはずです。
このような事を何回も、何回も繰り返して、波のように表れては消えて行ったりします。
これはいつもこの記事でもいうように、快楽 と 苦痛 を目の前に見せられているのです。
もちろん、自分が自分に見せているわけですが、この幻想世界は、良い事起きれば、快楽であり、悪い事が起きれば苦痛に変わるわけです。
これを繰り返しているわけです。これは大企業だろうが、個人であろうが、すべてはこのサイクルから逃れられないわけです。 これがエゴの世界なのです。
だから、やる気をたかめて、なんとか快楽だけを得ようとするわけです。執着するわけです。
「なんとか、この件が上手くさえいけば、自分は幸せになれるんだ 」という幻想の中での自分の理想があるわけです。
その理想のために一生懸命努力しつづけるわけです。でも結局、幻想での事なので、その理想はいつまでもなかなか実現しません。
たまに達成できても、達成するとさらに次の目標、さらに次の欲望とふくらんでいきます。そこにあるのは欠乏感があるだけです。
だからここで 「 永遠 」 といういつものワードがでてくるのです。 永遠は人間にとっていつまでも追い求める、欠乏感の連続のようなワードなんです。
もっとはっきり言いますと、「 永遠 」というのは、求めるものでなくて、「 今ここにあるもの 」で見失っているだけのことなのです。
エゴにはそれがわかっていて、あえて幻想である自分が永遠を探しているのです。
話をもどして、このように、2019のこの中盤の時期、今時期には、とくにこのようなデコボコしたような快楽と苦痛の両方か交互にくるようなことが起きやすいです。
つまり、アナタご自身の中でどこまで行ったら最高に喜んでしまうのか・・・逆にアナタの中でどこまで行ったら落ち込むのか・・・・・ など、自分自身の快楽と苦痛の極限の部分を体験できるわけです。
極端に喜んでいる自分、極端に落ち込める自分など、 すこし躁鬱のような波動になります。
これはもともと、ご自身の中にあったものを ハイヤーセルフがアナタに見せてくれているのです。
ハイヤーが、「 今のあなたのキャパシティーは これくらいだよ 」 というように。笑
ですから、見れている事が、、体験出来る事が、、、本道であって、目的なんです。
見せてくれていることが、見れていることかが、体験できることが、本道であって、ストーリーに中に入って、快楽を追い求めてなんとかしようとするこが本道ではないのです。
ここが自分軸で外側から観るのと、ストーリーの中に入り込んで、迷って観るのとの違いです。
例えばの話をします。
息子さんが 嬉しい事が学校であって、 「 わーーーい よかったあー 」
自分も一気に喜んで、「 よかったねーえーーーー 笑 」 となったとします。
しかし、次の日学校から電話があって、勘違いにようなことになり、「 ガーーン、、と落ちます」
「 ええーふざけるなあーー 」と叫びたくなるようなキモチです。
そして更に次の日学校から再び電話があって、「 それはそれで悪くなかった。逆に良かったんだあ――― 」 というような事になります。 この時点でそうとうホッとしています。。。笑
とおもったら、いきなり、横の場面から、まったく関係ないような保護者さんが出てきて、
「 うちらの子はお宅の子に、こんなことされて・・・・」 といきなり違う事でズッコケたりするわけです。 笑
結局最後は、すべて誤解であって、なんにも実は起きていなかったりするわけです。笑
白紙に戻るわけです。
いったい何が起きていたのだろうか? となるはずです。
そうです、これがカルマ解放が起きているだけなのです。 問題なのは、自分に解放が起きているのに気が付いてない場合です。
気が付居ない人は、間違いなく、ストーリーにハマってしまって、気づいてないです。
この中で言えば、息子さんが良くなれば、喜び、状況が悪くなれば、苦しみ悩むという、パターンに入り込んでしまっている人のことです。
「 なんとか、脱しよう、なんとか、良くしよう・・・・」と必死になっているのです。
自分からカルマが出て、一時的にそのようになっている事さえ、解ってません。
これは当セッション後でも、ヒーリング後でも、沢山あります。本人が気が付く人が多いのですが、プロばかり来るわけではないので、自分に何が起きたのか解ってない人もいます。笑
やはり、ハイヤーセルフの導きによって、今のアナタがどこまでやったら喜びの頂点になるのか、逆にどこまでやったら苦痛になるのか、 デコボコしたような場面を出さないと気が付かないからです。
「わざと今の自分のキャパシティを見せられている・・・・」 という事とも言えます。
アナタご自身のこのアセンションの中での成長というか、シフトの力量というか、キャパシティーを目の前に見せられているのです。
答えは、その問題を解決することばかりに目が奪われている場合、ストーリーの中から出れてません。
逆に外側からしっかり見据えて、これは今解放中だから、このような事が起きているんだな・・・・ と感じられる人はシフトされている事となるのです。
ところが、笑い事になれないということは、良い事あったら喜んで、悪い事あったら苦しんで、ストーリーの中で苦しむ主人公になってしまっているわけです。
そして、最後は、「 誰か助けて、、、これどうやったら解決できるの??? 」 となります。
これがストーリーの中の主人公です。
そうじゃなくて、これはハイヤーセルフが、「早く気づきなさいよ・・」という事で見せているわけです。実はね。
ですから、学習するものではなくて、体験というカタチで、見せられて、感じさせられているわけだと気が付く事なのです。
ここがしっかり、俯瞰できるか、鳥瞰できるか・・・・ それが実はシフトの観方なんです。
そこが気づけている時、あなたは、デコボコ道を今たとえ、歩んでいたとしても、しっかりジャンプしていることになります。笑
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