波動がどんどん上がってきています。このような波動は自分自身の隅から隅まで浸透してくるような波動なので、どうしてもいろいろ事が浮き彫りになってきやすいです。

 

いろんな意味で敏感なスターシードは、この時期、心の奥で無意識にしていた事でも、自分にとっては大きく浮き出てくるように感じるかもしれません。

 

実は、自分自身にとって昔からすごく違和感を感じるような部分というのは、自分の内面で分離になっている部分があるのです。

 

違和感を感じてしまうと、「 私はこういうのは嫌いです・・・こういうの無理です・・・ 」 と言い切るようになってしまいます。それは今までなら当然です。

 

 

自分というキャラクターが確立してますから、自分が、好き、自分が嫌い というのは幼い頃からの自我の教育で、レッテルを自分に貼ってしまっている部分でもあるのです。

 

つまり、「 私の性格上・・・わたしが一番自分をわかっている・・・わたしはこれが嫌いです 」

または、「 私はこれが好きです。 」 という反応する自分です。

 

自分自身の性格上、このような事はどうしても受け入れられない・・という部分。

 

前にも言いましたが、テレビ見てても、「 生理的に無理っ・・・!! 」というような人や場面は、これからの時代は、サインとして使えるのです。 それはとてももったいない部分です。

 

 

拒否することでも、好意を持つ部分でも、その事に自分自身が反応したことが、ポイントなってくる時代です。  

 

やはり、違和感を感じることが起きてきたら、それが悪いとか良いではなく、ハイヤーからのサインであり、「 そこにアナタの分離感が今ある部分ですよー 」 という大切な気づきなサインだったりするわけです。

 

昔の話をすれば、大昔、家の奥さんがテレビ見てて、あるCMで、どうしても「 私こういう人、不得意・・・・!! 」 とよく言っていたCMがありました。 

 

サラリーマンが恥ずかしげにタコ踊りするようななんか軟体動物のような人の コマーシャルだったのです。笑

 

 

つまり、そこに自分自身の恥ずかしさみたいなものを隠していた部分が、CMで露見して、みせられてしまっている感じなのです。

 

このように、昔の記事でもとりあけましたがこの恥ずかしさと分離感というのは、いつもサインとなっているので、実は人間研究としては面白かったりする部分なのです。

 

たとえば、お笑いタレントなんか見てても、「 嫌だ、私、こういう人絶対無理・・・・」 という人は女性の反応の中でもいると思います。

 

または、kuのYOUTUBEでも、すずけん放送のあの出演の中に、物体Xの話で、わざと、風俗に行く校長先生の話をしています。 

 

 

もしkuが嫌われない事だけ考えたら、当店は圧倒的に女性ばかりなので、不利な話はNGです。 しかし、あの時kuはわざとしているのです。

 

そのとき、反応のとして、あのような譬え話にしても、嫌悪感を感じる人がいても良いとワザと思ったからです。

 

良い悪いは無い・・・というのは正解です。 でももし、極端に感情が動くなら知識としてはわかっていても、それは反応していることになります。

 

もちろんそれが良い悪いはないですが、自分の中を見れるチャンスとしてあるともいえるわけです。

 

 

なぜなら、その嫌悪感は、その方の内面にある 「何か・・」が浮き彫りになっただけであり、

kuがわざと、そのような話をして、浮彫させるような わざと役柄を買ったのです。

 

その場面で、kuが嫌われても構わないので、わざと話しているんです。

 

このようなチャレンジで、自分はどこまでが、嫌悪感を感じて、逆にどこまで自分にとって良い事言われると、喜んでしまうのか・・・というキャパが発見できるのです。

 

わざと、そのような話をした場合、それを相手であるみなさんがどう感じたか? という所が大切なんです。 

 

 

そこで違和感を感じたり、無理って感じたり、または大笑いしたり、何にも感じなかったり、いろいろあると思います。 

 

ただ、敏感になることがシフトにつながるなら、そのように自分自身の反応の中にこと、シフトの材料があるわけです。

 

つまり、世の中で起きること、目の前で、親戚とか、親とか、夫婦とかの会話や日々の関係の中で、あなたが、どのように反応するようになったかのか?  

 

その反応の出方こそ注目するぺきことなのです。 この発見が大事なんです。

 

 

そして、その恥ずかしさをしっかり見つめて観るようにするのです。

 

何回も、何回も、しっかり見る、逃げないで見る。これを行うとどうなるのでしょうか?

 

だんだん、苦虫のような顔から、苦笑いになり、そして笑いに変って行きます。

そして最後は、許せるようになってきます。 

 

そしてそれが、もし笑いに変ってくるようなら、統合が始まっているのです。

 

それは、恥ずかしいという気持ちは「 自分 」という存在が、リアルにあるから感じるのです。しかし、自分というのはエゴなのです。 

 

 

自分を感じる部分が強い部分として恥ずかしさを感じているのです。 つまり、そこにエゴがあるよ と教えてくれているようなものです。笑

 

そして、許せるようになることは、その自分が消えたり、自分の存在が薄いと感じたから許せたり、笑えたりできるのです。真剣になっていたら笑えません。 

 

つまり、恥ずかしさからどうてもいいや感に変ってきているから、笑えるのです。そこに緩みがあるのです。 この緩みこそ、統合している感じなのです。

 

なぜ統合なんでしょうか? それは簡単な問いです。 それは、その人のこの地球内でも愛の広さが大きくなっていくのです。

 

 

つまり、許容範囲、ハートのオープン度が大きく広がって行くのです。

 

嫌悪感を感じるような時は、分離になっているはずで、顔の表情も暗いです。 

拒絶というのは、分離だからです。

 

統合というものがあるとすれば、当然オープンであり、明るさがあり、無防備さがあります

 

結局、自分が一番避けたいような、嫌悪を起こすようなことは、自分の内面にあるのです。

あるから避けたいのです。 

 

普通の人は認めません。物体Xになってしまっているからです。

 

 

これが世界規模でわかってくると、戦争もなくなります。 

 

右翼の中には左翼的な部分もあり、実は左翼の中にも右翼があり、嫌悪している相手の中には、自分がいると、だんだんわかってくる世界こそ、アセンションであるのです。

 

それは無理矢理、わかろうとか、わからねばならない となると教義になってしまいます。

 

そうですはなくて、人類の円熟の問題なのです。 まだ、解りたくない人にも自由意志があります。 

 

しかし、これからどんどんアセンションが進んでくると、自分の内面にある極端な部分も統合されてきます。

 

 

その統合が進む中で、嫌いなもの、嫌悪しつづけている事の中に自分を見ることになるのです。 

 

そこまで人類が大人になっていくことこそ、理想としても良いのではないでしょうか。

 

そして、この外側を批判したり、コントロールしたりというような幻想テクニックではなく、自分の内面にある、極端な分離感が統合するとき、すばらしいひと回り大きくなった自分を発見するのかもしれません。

 

そして、その第一歩は、自分にとって違和感があるもの、ある事こそが、発見という愛なのかもしれません。笑

 

 

そして、自分が自分に愛を向けてあげて、発見できたからこそ、他の人の発見の手伝いがでるようになるのかもしれませんね。

 

自分の中に神を発見できれば、相手にも発見できるということです。笑

 

 

 

 

 

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