やはり、この教育という言葉も、これから時代が進むにつれて、古い言葉のような気がしてくるかもしれません。
今日の記事は、今まで自分自身が教育受けてこられた方への記事と、お子さん持たれている方への記事と、どちらでも気づきのキッカケになれればと思います。
本来、完璧というすべては有るという視点から、もし人類が見れるようになってくると、全く今までとは違う、ストレスのかからない視点になると思います。
大人は子供より知識人であり、子供は未熟であるのでその教えを受ける・・・という子供のエゴを教育していくシステムだったのです。
子供のころは誰もがワンネス意識に近い感じです。ただそれを無視して、分離意識を芽生えさせて、エゴを成長させるシステムと言ってもいいでしょう。
それもゲームなので悪くはありません。
悪く言うのではなく、目隠しゲームをやってきたのがディセンション時代の我々です。
これは、今までの人生の渡り方とも関係があって、先祖代々、あまりにもディセンションになれすぎた人類は、大人になることは、リスクの回避であるというような教育となっていたわけです。
学歴も、良い所に就職も、収入も、地位も、ある意味消極的に捉えれば、リスク回避だったわけです。 ですから、夢というワードの根底にいつも心配という言葉があったりします。
「リスクを選択して、転ばないように、失敗しないように、リスク回避できることが立派に歩いて行ける大人・・・」これが教育だったような気がします。
ですから、大人たちはいつもリスクに対しては敏感に反応していたはずです。
そして、子供にとってのリスク回避は、正しい生き方 という定義をもたらし、実践させます。
それって今までの時代の渡り方であって、もう時代は変わっています。
アセンションの時代に入って進んで行くということは、不安、恐怖が薄れていく時代に入った事を意味します。
つまり、リスクの心配が、段々薄れていく・・・・ ということです。
それは、幻想への目覚めでもあります。
そのような意味では、自動車ひとつでも、近未来では、自動運転になりそうですよね?
交通事故も減ってきています。 それはあくまでも解りやすい例ですから、このように人類の進歩とともに、リスク回避をしてくれような流れに時代は動いて行っているのです。
しかも、波動上昇の中で、相当なポジティブなエネルギーが活性化していきます。
そのような時代変化の中で、まだ教育は、遅れをとって今だに古い教育となっていると思われます。 しかし、大夫それでも変化してきているのでしょうけどね。
あとは警察なんかもそうです。免許証の書き換えは、みなさん交通事故の映像みせられたりしますよね。 あの人たちもいまだに、常にリスクばかり考えています。
悪いわけではないですが、危険予知が大好きなようです。笑
今までは、未来に対して、不安と希望を持たせて、学習は未来のための学習マインドが多く、将来楽に生きれるように、今を犠牲にして、苦しんで勉強に励むといった構図が多かったと思われます。
非常にエゴ的な発想の教育です。この段階の年齢、小学生や中学生だとして、すでにエゴの強化をさせられていくのです。 エコ゛教育です。競争なんか分離してないと出来ません。笑
つまり、「 今を犠牲にして未来に託す・・・ 」という幻想独特のエゴの世渡り法です。
これからの教育というのがあれば、kuが感じる事を言えば、「 自分で自分の人生を創造できるようになること・・・」 となります。
この「 自分で自分の人生を創造できるようになること・・・」というのは、自由が全体にあって、恐怖や不安がないような世界観の中でこそ、おもいっきりやれるマインドなんです。
この自分の人生を360度、どの角度からでも自分で創造できるようになるには、エゴの自我のワガママ引き寄せでは、できません。
その根底には、①自我と、②潜在意識と、③魂との3つが三位一体となって、発信する創造のことです。
例えば、引き寄せの法則を宝くじの例で語ってみます。
①エゴで宝くじを引き寄せの法則使って引き寄せたい。
②潜在意識では、そんなの無理、宝くじを引き寄せられない。拒否。
③魂では、宝くじの大当たりは引き寄せることは人生の今からの設定にない。
となった場合、①だけでどれだけ待って、引き寄せの法則つかっても、達成はされません。
実際に引き寄せの法則使って、宝くじを牽けば当たると思った人がどれだけの数いるでしょうか。? 笑
それは②と③の同意がないことを①であるエゴはわからない、しらないからです。笑
この①と②と③の3つの意見が一致してるような状態で、創造することができるなら、「 自分で自分の人生を創造できるようになること・・・」 ことはできます。
そして、カルマ解放がされていることが前提です。 解放なくて、カルマだらけでは、これも①欲望の欲求のようなままになり、思うようになりません。
やはり、時代の流れを利用するということでもないですが、恐怖や不安が前提となって創造しているようでは自分の中からカルマが無くなっているとは言い難いです。
完全なくなることは無理だとしても、シフトする度、恐怖や心配が無くなってくる世界観を体験している人こそ、自由に創造できるような人になりつつあると言っても良いと思います。
やはり、教育というものが将来あるとすれば、心配がなくなってく時代の流れの中での教育なのです。
それは、「 誰かが誰からに教育される・・・」という、世界の中の自分、つまりエゴの幻想の世界の考え方も徐々に古くなってくると思われます。
そうではなくて、自分が花として咲いて見せる という教育です。
だれかに、何かを教えるという、幻想ストーリーではなく、自分が世界を創っているなら、自分がまず開花していくこと以外、教育ではないと思われます。
すると、教育という言葉そのものも、もう時代遅れ的な言葉となりそうです。
花は、だれに評価してもらおうと思ってなくても、咲くぺくして咲きます。 それ在る姿です。
その花を見ている人がいるわけです。「 なんて神秘的な咲き方でしょう。。・・・」 と感動する人がいるとします。 しかし、花本人は、ただ、咲いただけなのです。
つまり、わたくしたちは、この地球にて、花を咲かせて見せるという教育があるのではないでしょうか?
人類に先だって、だれかがやってくれるのを待って、ではなく、自分自ら魂の衝動のまま、ハイヤーの導きのままに 自分を咲かせていく。・・・・・
そして、その咲き方が輝いていれば、輝いているほど、後から来る少年少女たちに真似されます。 それは、少年少女のマインドの中にその輝いた自分を彼らが発見するからです。
そうです。そこに嘘がないので、少年少女たちは、自分の親たちに輝きを見るのです。
それと逆だったのは、いままでの昭和、平成の時代には、外では良い事言っていても、家の中ではズッコケていたりしたのです。 本音と建て前、分離波動です。笑
それなりに当時の親たちも、分離しながら、なんとか昭和を生きてきたのでそれもそれでありなんですが、今からは違います。
親の方に分離波動が、消えて、統合していけば、いくほど、その生き方に、真実の輝き、真の神としての本質が輝きます。
そうなんです。真の教育というものがあるとすれば、 親がサナギのままでなくて、親がサナギから神秘的な美しい蝶になって、神となって、行くところを見せることだと思われます。
また、教育者も輝いていなければ通じなくなります。 汚れたオーラではバレます。笑
その姿に一点の曇りも、一点の嘘もないので、360度の輝きがましてくるのです。
そうです。それこそ、人類が求めていた姿なのです。
つまり、美しさの輝きがどんどん伝達していくような、感化していく世界です。
もちろん、完全にいきなり、今の教育がなくなるわけでもなく、
徐々に徐々に、変化していくと思われます。
宇宙時代を迎えて、見本となるプレアデスのようなやり方などを人類は受け入れて行くかもしれません。 知性の奴隷のようなものではなくなっていくと思われます。
それはあまりにも今まで恐怖によって躾ていくような、緊張したように子供達の顔ではなく、人類が求めてきたような、子供達のさわやかな笑顔が、心の底からあふれてくるようなものかもしれません。
みんなが一つになって行くようなアセンション時代の教育なのかもしれません。
輝きが増して行きそうですね。 笑
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