このアセンションの流れ、アセンションのパワーというものは、じわりじわり浸透するような感じ方です。

 

これは当たり前ですけど、、2012やノストラダムスの時代に期待していたようなものとはちょっと違います。

 

ある意味、ちょっと地球の方々が期待していたようなものではないのかもしれません。笑

 

それはエゴが勝手に理想を描いて、根底に今の自分の生活や自分自身から逃げるための叫びではないようです。

 

「 だれかこんな世の中壊してくれ―― 」というある意味逃げる事がペースとなって、センセーショナルな事を好む、昔帰りの世紀末パワーでないということです。笑

 

 

逆を言えば、とんでもないくらい美しい変容した自分の姿や世界が来る・・・・というようなふわふわした物語の世界が来るわけでもないわけです。笑

 

それはともすれば、人類の歴史の中でも、そのような夢と希望によって、頭のなかにユートピアを描くことで、政治活動や戦いもされてきました。

 

カタチは変われど、宗教も人類救済という、理想のもとにユートピアを作り上げるための共同体のようなものを作ってみたものの、失敗してきました。

 

それは頭の中にある、エゴの理想であり、エゴの夢見であるということです。

 

それは、その考え方の根底に、「 この環境が嫌だ、この環境さえ変わってくれれば、つまり社会が変われば、自分や人類は幸せになれる・・・・・」 という単純な理想がエゴにあるからです。

 

 

しかし、本質的には、「 自分が創った世界 」が展開されているわけですから、環境がかわっても何もかわりません。 逆だからです。

 

それは豊かさという本来の自分の中の神の豊かさという波動が、思い出せないで蓋している限り、どんなに社会にお金が必要無くなっても、それに代わる貧相なことは、自分の周りから消えません。 

 

それは、環境が変われば、自分が救われるという、古い時代のエゴの理想にすぎないからです。

 

ですから、なにか不思議な現象があって、自分かある日突然に、「 何か興奮して、うぁーこれやります、これできましたー こんなに変わりましたアー 」 という有頂天になって喜びが一生続くような、快楽的なパワーがアセンションパワーではないということです。

 

 

もちろん、そのような快楽もないと、今までのこの地球ではやっていけなかっことも事実です。

 

しかし、もうそのような行き過ぎた快楽をもとめなくてもやってけることは、今の若者のほうがかんじているのではないでしょうか。

 

少しずつ、静かに、静かに、浸透するようなパワーという感じが近いと思います。

 

なんかこう、数日間なんか光に包まれるような事が起きるとか、異変に地球中がなるとか、そんな感じはでありません。笑

 

各人ひとりひとりがそれぞれのパワーを自分オリジナルとして感じ取って、進んでいくような感じに捉えられればいいのかもしれません。

 

 

正解が探してしまうような迷ったマインドとか、みんなで何か結集する・・とかが無いような感じです。

 

どちらかというと、刺激的なドラマではなく、エゴが喜ばないような、とても静かに浸透していく感じです。

 

昔のバブルの時代のように、やらなきゃならない、使命があるー というような、ものに未だに燃える人がいるのですが、それは昭和のやり方の押し付けになってしまうのです。

 

とにかく人が集まって無理やり何かを成し遂げよういうようなやり方は、昭和のやり方であり、昭和の世の中の観方なんです。

 

なぜなら人が多くあつまらないとならないのは、ひとりひとりが繋がっていることを信頼してないということです。繋がっていないことを前提に強制に近い形になってしまっているのです。

 

 

もちろん、楽しみでみんなでセミナーとか御茶会なんかはいいですけどね。

同じ波動の趣味嗜好の人同士が、楽しく集う事で、波動も高くなってきます。笑

 

ここでいうのは、決起大会のような雰囲気につつまれた、みんなが一斉にある方向に意識付けられるような集まりのことです。

 

これから作られるアセンションの時代は逆です。 ひとりひとりが繋がっていることが当然の世界なんです。 繋がってるのに場所は関係ありません。

 

つながってないから、集まり、そして会話があり、説得があり、理解する という図式になるの゛てす。 そして決起大会のようになり、パワーを一つにする という幻想です。

 

 

ただ、人が集まることで、パワーを増殖することはできるので、魂、波動の共感、共振というのは楽しい集いとなります。

 

ただ、それはありなんですが、なにか目標みたいなものが出てきて、全員でなにかをするとなると、それはアセンションパワーとは違うと思われます。

 

どうしても、今での地球の癖で、どうしても決起してしまうのです。笑 すると繋がっているような感覚になって、気持ちよかったのです。 

 

結局、繋がっていないので何かで補おうとしているだけです。その根底には、なんだかんだで、集まるまでに無理矢理感があるはずです。

 

 

集まってみると、その場では盛り上がるのですが、集まるまでは結構やらされている感があるのでわかります。 

 

もう2019年になると、このやらされる感覚、制限される感覚に多くの方が、敏感になってきてます。そのハートとか体感で感じる、違和感にだんだん耐えられなくなってきているのです。

 

これは自由というものがアセンションはベースにあるからです。解放とは、自由になっていくということです。 

 

魂の自由です。 この魂の自由を顕現することができる世界が目の前に展開するならば、アセンションしていると言えるのではないでしょうか。

 

 

そして、原点回帰するように、もうひとつ大切なアセンションとのかかわり方として、大自然と調和していく・・・・というのもあると思われます。

 

これはいつも言うように、Siriusをひとつのモデルケース、アセンションのモデルとすれば、やはり科学と自然の真の意味でも融合です。

 

地球のやはりまた゛エゴのメインの科学という流です。

 

しかし、Siriusなどは、より大いなる存在の中で無理なく大自然と融合してる・・・ それは、自分だけの利益のために傷つけあわない世界です。

 

ここで何が言いたいのかといいますと、アセンションパワーが繁栄してくると、人だけではなく動物、植物など、自然全体と自分自身が調和してくるということです。

 

 

それは、みんなが自分であるという高次の視点から星を共有しているからであり、この段階で正とか邪とか、被害者とか加害者とかを意識して、お互いに傷つけあったりしないわけです。

 

ならぜなら、一体感があれば、あるほど、すべて自分として扱うので、自分で自分の手をバットで殴るアホはいないように、なるわけです。

 

ある意味、正とか邪とか、決めないとならないということは、分離感が強いからであり、一体感が強くなれば、なるほど、そのような相手と自部の取り決めのような分離感が薄れてくるわけです。

 

やはり、シフトが弱く、繋がってない感があるから、そのような二元性の中で分離できるのです。

 

 

Siriusのように、二元性が強くないと、動物も植物も自分もすべてに一体感があるからです。

 

だから、取り決めとか法律のような人と自分をわけて、ルールを決めていくようことは必要ないのです。

 

相手は自分でもあり、自分も相手であることを体感として解って来る世界では、環境と自分が一体化してくるようになってくるわけです。 

 

よって、みんなの喜びは自分の喜びである・・・ということが、どこかの道徳で習った言葉だけの知識ではなく、体感としてわかってる世界が高次元のような世界なのです。

 

つまり、法律だとか、規律だとか、しばりは必要ないのです。なぜなら、みんな自分だからです。

 

 

各人は、バラバラに何かやっていても構わないのです。

 

でもすべて繋がっているので、大自然やロウアーセルフ( マザーアース)にしっかり繋がることで、各人がどこにいようとも、しっかりアセンションパワーがみなぎってきて、人それなりの幸福の現象化をしていくことなのです。

 

各人まとまったり、各人が嫌な事でもひとつになることでもあません。 それなら軍隊とかわりません。 

 

そのような強制の世界観ではなく、各人がどこにいても、どんな時でも しっかりロウアーセルフに繋がって、そしてハイヤーセルフと繋がって、シフトしていく。

 

そのロウアーセルフからハイヤージャンプするとき、大きなパワーが出てきます。

 

 

 

世界各地、日本各地で、各人がそれぞれ、好きな分野で、好きな場所で、好きなことをして、

そのようにパワーを出しはじめることです。

 

それは、見えない部分で、地球や宇宙に無意識に貢献されている姿なのではないでしょうか?

 

自由というマインドがどんどん拡大されてこその、シフトです。 

 

さあ、マザーアースと宇宙と繋がっていき、アセンションパワーが少しづつみなぎる時間かもです。笑  

 

わーーーい。笑

 

 

 

宇宙時代は、どんどん波動的にも近づいてます。↓

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