未来や過去は幻想である という言葉は、ここの記事でも使います。

 

アインシュタインは長年の友が亡くなったとき、その家族にこんな風に書き送りました。

 

「彼はは亡くなったけれど、私はそれほどショックを受けているわけではありません。

なぜなら我々物理学者は、過去・現在・未来の区別が単なる幻想にすぎないことを知っているからです。例え、その幻想が非常に強いものであっても・・・・」

 

という内容です。

 

どうしても、私達は、頭の中に、過去と未来をいつも意識している生き物です。

 

そうです。エゴの特徴は、いつも、過去と未来に生きているのです。

 

 

そして、この未来というのは、消しゴムになろうとしたりします。 今日はそんな話です。

 

では、何を消したいんですか? と言った時に、「 過去を消したいのです 」 という事です。

 

過去の何を消したいのか・・・といいますと、過去に傷とか罪悪感とか、罰とか、いろんなものを持っているから、未来をつかって帳消しにしたいのです。やり直したいのです。

 

もちろん、未来は不安だから、帳消しにしたいという思いもあります。不安を打ち消すだけの安心した生活を作りたい・・・・というのもあります。

 

しかし、過去に不安を消すことができなかったので、未来に安心を作って行きたい。つまり過去のマイナスを消したいということでは同じになります。

 

 

そこを消しさえすれば、うまくいく、心やすらぐと真剣に思っているから未来に託すのです。

それを本気で思っているのです。 

 

そしてその先に何が出てくるかといいますと、「 がんばります 」 という思いが出てくるのです。 だから一生懸命に頑張り続けるわけです。未来にむけて。

 

しかし、なんのために自分は一生懸命にがんばっている事さえ解っていないわけです。

気が付いてないのです。

 

それは、いつもいうように、死という生きている間中につきまとう影と 夢とか希望というのは、表と裏のような関係にあるのです。 

 

 

死に対する恐怖心というのが、人生の裏の影に、いつもいて、その反対の明るくなれるような夢とか希望という言葉を使って誘導します。

 

そして、「 永遠にどこかこの世界で生きていたい。 生きている実感をしたい。生きているという感覚を得たい・・・。」となるわけです。

 

そうなんです。よく考えれば矛盾しているのです。 いつか死ぬのに、それでもなにか残そうとしたり、永遠に自分の物かとのように、人は執着したりするのです。 

 

永遠に自分に手に入ることなどないのです。 自分自身が永遠に生きられないのを知っているのに・・・・です。 これが人間全体の物体Xとなります。

 

 

このように、しっかり目の前の事実をみつめるのではなく、どうしようもない事に対して消しゴムで消そうとしていくのです。

 

たとえば、一般の人々だったら、お金に対する不安を払拭するために働いているわけです。

未来の老後の資金がどうのこうのと・・・ このくらいないと・・・・とかなんとか。。です。

 

それに便乗して、不安を煽り立てるように、ライフプランナーのような人々は、数字を合わせて言ってきます。 そこにニーズがあるから登場します。

 

将来何十年後の日本では、このくらいの資金がないと老後暮らせないとか・・・いろんな情報が、いろんな角度から、入り込んで不安を掻き立てます。

 

 

そして、結論が、自分が一般の平均以下なら、さらに努力していきます。不安を消したいからです。

 

逆に平均以上でも、問題はあります。 それでもまだ足りないになったりするのです。もっともっと平均以上になってもまだまだ足りないになるのです。

 

それはなぜかといいますと、自分と同じような人たちと比べるのです。例えば東大に入ったとしても、落ち込む人も沢山います。 

 

自分は地元では、優秀だとおもってたのに、東京に出て、東大では最下位にちかい。。もっと優秀な人が東大には沢山いる・・・・ となるわけです。

 

このように、人間の主観とか思い込みというのは、上に行けば、もっともっと、さらにもっとなのです。 

 

 

逆に下にいけばいくほど、さらに努力しないと・・・となり真っ青な顔で人生の恐怖と戦っていくのです。

 

結局、不安というものが、マインドに膨らんで行く限り変わりません。不安がある限り、上に騰がろうが、下に下がろうがあまり関係ないのです。

 

ここを見破って行かなくてはならないのです。 不安というのは、どんなに大金持ちだろうが、どんなに貧乏であろうが、自分の中にいつも不安がある限りつきまとってくるのです。

 

そして未来という消しゴムを使って一生懸命に消そうとするわけです。

 

消したいのです。その不安を。 物体Xの場合、 消したい気持ちなんていちいち考えません。

 

 

ですから、何をするのかと言いますと、目の前の世界を一生懸命に変えようと努力してしまうのです。

 

目の前の世界こそがすべてなんです。目の前の世界が良くなってくれれば、自分の不安は消せると真剣に信じているのです。 

 

そしてこの幻想の世界で、仕事をしてカタチを整える、いじって、努力して、収入を増やすとか、地位を得るとかのように、カタチを整えたり、揃えことで、不安を消せると思い込んでいるのです。

 

だから未来に対して、一生懸命に、努力してしまうのです。笑

 

そして、何をしていくのかといいますと、努力して、がんばって、夢とか目標のようなポジティブなものを信じて、すばらしい未来を作って行くんだ という言葉をいつからか信じてしまうのです。

 

 

それは誰かが言った言葉かもしれません。親か、先生か、だれかが言った言葉かもしれません。

そのように成長していくなかで、「 人は夢見ていきていくんだ ・・・」という言葉を信じるのです。

 

これって、仮面を造っているのです。物体Xを創っているのです。

 

もちろん、夢を見て生きていく事は、素晴らしい事なのかもしれません。

 

ただ、死というものを思い出したとき、顔つきが変わってしまうくらい白けてしまうなら、やはり物体Xとなっていると言ってもいいかもしれません。

 

 

ほんとうは、不安を消したいがために、または欠乏感を消すためにがんばっているのに、そうではなく、自分が永遠に生きて活躍できるような錯覚した偽のマインドがそこにあるわけです。

 

でも魂は、永遠なんです。魂も自分というこの光であり、神である自分も永遠なんです。

しかし、肉体は死ぬかもしれません。でもそれも、抜け殻でしかありません。

 

やはり、人生の場面、場面で、いつもいつも受け入れて生きることだと思います。

今この瞬間に生きられれば、未来や過去に真剣になることもありません。

 

人生をコントロールしょうとするから苦しむのです。昔の自己実現はみんながみんな自分をコントロールする事ばかり進めてきました。

 

 

今では、人生をコントロールしょうと試みる人は、人生の達人のようなもてはやされ、人生に翻弄されるような人は、努力を有する人・・・となります。

 

ただ、kuなんかが、この日本が1970年代のころに、人生のレールばかり乗ろうとしていた人に、自己実現を話しても誰もわかりませんでした。当時は安全なレールが魅力だったのでしょう。

 

そしてkuが、自己実現なんか興味なくなったころに、その頃の人々は、時代にやっと追い付いて、レールの虚しさをわかったのか、ようやく自己実現という言葉を自分の言葉のように使うようになったのです。笑

 

遅いです。もう、今は コントロールの時代ではありません。 

 

そうではなく、変化変転していく目の前の人生に、たいして、動じず、受け入れていく時代なんです。

 

 

そうなんです。簡単さ、軽やかさの中で、人生を意図していける時代なんです。

 

それはエゴの意図だけではなく、魂全体からの意図であるから実現していけるのです。

 

そのためには、自己実現のように見えないレールをエゴで敷いても、恐怖や不安からくる埋め合わせのようなものなら、むなしく終わります。

 

それは、未来という幻想に踊らされるマインドを見抜かななくてはなりません。

 

そして、ハイヤーの流れを信用して、変転変化を受け入れて、生きる、アセンション時代の軽やかな在り方こそ大切です。

 

 

未来に対する不安は、永遠に生きようと信じたいエゴのせつない反抗です。

 

また、未来の消しゴムのように過去を消そうとすること自体が、人生をコントロールしょうとするエゴの徒労です。

 

アセンションの時代で、シフトされている方は、ハイヤーにつながった、充分にあるという、今ここという場所で、さわやかな風に吹かれながら、目の前に来る変化の風の中で笑っていられるのです。

 

 

 

 

 

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