人類を硬くしてきた生き方として、伝統というようなものがあります。

 

今回、多くのスターシードが日本にも生まれてきましたが、やはり平民としての生き方を選んでいる方が多いです。

 

それは、あまりにも伝統を有するような場所や人々の中に自分を置きたくなかったからです。

 

このアセンションを満喫して、シフトしつづけて行くには、どうしても自由という部分が大切になります。 

 

ですから、あえて、幻想ゲームに深く、深く入り込むようなセッティングはしないようしてきたようです。

 

その意味は、伝統という過去の長い幻想の観念は、人を縛ってしまうからです。

 

 

皇位継承問題と言われるものも、みなさんご存知かとおもいます。

 

年号が変ったことでさらに男子継承の問題は今またクローズアップされています。

 

女系天皇を容認するべきかどうか? という事から 右側の人々は、「 とんでもない!!! 」 ということを叫び、男子継承を当然に維持するべき・・・・ という論争になりつつあります。

 

頑なに、2600年くらい続いてきた天皇制という、伝統は、このアセンションど真ん中の波動の中でも揺れてきそうです。

 

かといって、なにが正しいとかになると、アナーキーな発言になり、「 男子継承しなくてはならないなんてどうでもいいじゃないか・・・ワンネスなんだから・・・・」 という左翼的な思いがkuにあるわけでもないのです。

 

 

kuの中では、話題にならないわけです。 あまり気にならない。 というのが本音です。

 

それはスターシードとして物凄く大きなこの宇宙という世界の中では、小さい事のに感じてしまうだけなのかもしれません。

 

この伝統ということは、ある意味いい意味でそれに憧れることもできますし、その崩壊に賛成するものもあったりします。

 

人それぞれです。 ただ、これからの時代、三次元から五次元へと、シフトしていく過渡期にとっては、不要なものは自然と崩れている事が多いように感じます。

 

この世界は、幻想の世界であるために、栄枯盛衰というカタチ、また諸行無常ともいいますが、すべて変転変化していきます。 

 

 

これは何回も記事にしてきましたが、流れていく、変化していく事こそが、この世界の本質です。どれだけ長く続くようなものでも、いつかは消えていきます。

 

この世界の中では、どんな繁栄でも、消えていきます。 

 

それは、アナタが一番嫌がっている、また大好きな仕事場でも、大切な家庭でも、人間関係でもあらゆるものが、未来には消えて行ってしまいます。 

 

なにが言いたいのかといいますと、執着しても無意味ということです。

 

とくに、この伝統的な事の中には、長年その民族が、その人々が、執着して、「 正しい 」 とさせて来た念が入っており、なかなか放せません。

 

 

これは動物や植物なんかにない、人間の独特のエゴの観念です。

 

その伝統的なものが、なぜ美しかったのでしょうか。 永遠という何か理想的なものをふくんでいるからです。

 

エゴというのは永遠とか不変というようなものに、屈服します。

なぜなら、自分が永遠になれないことを知っているからです。

 

エゴは自分が不完璧なのを充分わかっていて、それがヘリ下りや謙虚という屈服したマインドになると、理想的なものに服従することを、喜びとしていきます。

 

そして感動したりします。  つまり伝統的なものには、永遠に良いモノ。 という観念が入っているのです。 

 

 

もちろん否定しているわけではなくて、今まではそのような遊びを、楽しんで人類がしてきたのです。笑

 

自信がいつも持てないエゴは、その永遠性に依存したがるのです。 伝統的な繁栄、伝統的な考え方、伝統的な服、伝統的なマナー・・・・・ などなどです。

 

それが、完全に正しい と思い、 新たな正しい生き方、正しい振る舞い方、正しい生活、正しい思い 正しい言葉遣いなど、、、多くの正しさを身に着けてしまうのです。

 

そして、逆に、それを知らない事に対する自分の未熟さ、 その正しさに賛同できなければ、不良となり、多くの罪悪感も生まれてきます。

 

そして、人生全体が、いつも環境の中にいて、「 世界の中の自分 」 をたっぷり肩に力をいれて、演技できたのです。 演技と忘れるくらいに。笑

 

 

もっと簡単にいうと、この伝統的な正しさを 実行するひとこそ、その時代の真面目な人という立派なエゴの人格ができてしまうわけです。

 

よく観察すると、この正しい、真面目という方々は、伝統的なルール、規則、一般的な考え方に準拠して生きているはずです。

 

 

この一般的に生きると いうのが曲者で、 一般的に生きれば生きるほど、苦労がたえなかったり、次から次へと問題が引き寄せられてきます。

 

そうなると、伝統的な正しい生き方から出れるどころか、それ以外の道から出れなくなります。

 

よく、いいます。 「  こんなに真面目に生きてきたのに・・・・・ 」 これがエゴの悲痛の声です。 それは親や目上の人から教わってきたことをしっかり守って生きただけなのです。

 

 

 

これもある意味伝統のような、時間をかけて培ってきた正しさ という幻想です。

 

長く、過去から培ってきた幻想には、多くの人達がそれに従ってきたという、信じるに耐えられる何かがあります。 これにやられてしまうのです。笑

 

宇宙の魂として、宇宙から見る世界では、このような 真面目とか伝統とか そのような事自体が無いのです。 地球の中で、人間が決めた、勝手な考え、アイディアにすぎません。

 

エゴというのは、多くの人が賛同することを 正しいことだと思い込みやすいのです。

なぜでしょうか?  それは エゴはいつも、いつも幻想の自分なので自信がないのです。

 

 

 

自信がないから依存したがるのです。 その依存は、情報もあります。 その情報が伝統的であれば、あるほど、それに依存して安心するということなのです。

 

 

だから、伝統ある宗教の常套文句は、○○千年も続いている・・・・ という謳い文句です。

 

つまり、伝統までいってしまうと、簡単に正しさを手に入れることができるので便利なのです。

 

エゴにとっては、人にどうみられるか、人に悪く思われたくない、人によく見られたいなど、が気になります。

 

それは、「 自分の創った世界 」 とは無縁の、「 世界の中の自分 」 のキャラクターとして

いつも良く見られたい自分が存在します。

 

 

そして、伝統的な事に、真剣に正しさをもとめたり、守ったりすることで、自分自分のエゴの永遠性を願ったりしている部分があるのです。

 

少し前に、記事でも書きましたが、 自己犠牲して人々や社会のために死んだ人の心の根底

には、この伝統的な正しい考えや、生き方に行動した人々が多くいます。

 

神風特攻隊なんかもそうです。kuは昔好きでしたし、尊敬もしてました。今どちらでもありません。

あくまでも例として挙げてみましたが、伝統的な観念や 伝統的な正しさに時代背景として準じていった人々であることは間違いありません。

 

このように、永遠性というは、宗教でもあり、何千年もある宗教は正しいとか、 そのようにエゴというのは、確実性のあることに、弱いのです。

 

 

それはエゴ自体が自信のなさに起因するからです。

 

これは、記事として、みなさんの為になるとすれば、この伝統という考え方に依存しないということ、フラットに思うようにすることで、解放が進みやすいということです。

 

身近なところで、伝統的な考えかたは、地域、家の伝統、育ってきた親がもっていた伝統的な考え方など、いろいろあると思います。 

 

それはシフトのさまたげになっているなら、気が付いたほうがいいわけです。

 

「伝統的なものは大切にするべきだ・・」 という意見も 「 そようなものは崩壊するべきだ・・・」など、いろんな観方が氾濫してます。

 

ここまで来て、まだ正しさゲームをやりたい人達が氾濫させてます。

 

 

もう古いとか、古くないとか、いろんな善悪の中で、今時代は最後の執着をしています。

 

そんな中で、自分はどうなのか? と問われた時に、「判断しなくてもいい・・・」 という人がいてもいいんです。 

 

「 それは無責任 」という人は、善悪に拘っている人なので、保留する自分でもいいんです。

 

この「 正しいを放棄する・・・・」というアナタがいてもいいんです。 正しさを放棄する自分にとっての正しさ・・・みたいなもんです。笑 

 

その間に、せっせ、せっせと解放に励んでしまうと、さらにシフトしていきます。

それのほうが、人類にとっても宝物なのかもです。 笑

 

 

なぜならば、シフトしていくということは、幸せをアナタが体現していく・・・ということです。

 

幸せを体現できる人が増えれば、増えるほど、それがみんなの模範になるのです。

 

伝統より、なにより大切なのは、一人一人の幸福を今から感じていくことです。

 

そんな方が地球に増えれば、増えるほど安らかな地球が誕生すると思います。笑

 

 

 

宇宙の波動、と真ん中 ↓ 笑

昇龍・プラチナ龍 ↓ 飛翔。。笑

しっかりグランディングしましょう。笑

あっけらかーんkuです。すずけん放送局 ↓

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