夏至も通過して、新たな展開となりそうです。エネルギーはあたらしい形をつくっていきそうです。

 

実はkuの本心は、みなさまとちょっとちがって、今までは、夏至も冬至も新月も満月もあまり興味ありませんでした。笑 気にして生きたことはありません。

 

 

それはいつも話している「 状況 」だからです。「 状況 」はとは時間と関わってます。

 

そして、時間そのものが幻想だからです。 ですが、エネルギーの変化はとても、このアセンションという壮大なゲームとしては非常に面白くなってきました。笑

 

ただ、あまり深くとらわれ過ぎないことです。 夜も昼も朝も夏も冬も実は状況なわけてす。

 

 

しかし、その本質は、なにかといいますと、「 自分が創った世界 」 の中の状況でしかありません。

 

ですから、こだわりすぎると執着になって、囚われた見方となってしまいます。

 

状況の本質は幻想です。 すべては流れて行きます。 すべては変って行きます。

 

仏教では、これを 諸行無常といいます。 すべてのものは常では無い、変転変化していく。

 

 

 

例え話があります。 釈迦が実在していた時の話です。

 

ある大富豪の女性は、なかなか子供を授かれませんでした。

やっとのことで、男の子を宿し、大富豪の夫婦はとても喜び、人生最大の喜びに溢れました。

 

 

ところが、一番可愛い盛りの幼年期に、その子は亡くなってしまうのです。

 

夫婦の衝撃は大変なものでした。 母となったその女性は亡くなったばかりのその子供をかかえて、家を飛びだしてしまいます。

 

道端にいる あらゆる人々に、なんとか子供が生き返る方法や薬はないかと、物凄い形相で探し続けます。

 

人の噂で、釈迦の事を知ります。 彼女は物凄い勢いで釈迦に会いに行きます。

 

母 「 尊い方よ、あなたは私の最愛の息子が生き返る薬を知っておいでですね? 」

釈迦 「 そうです、知っています。。。。」

 

母 「 何を手に入れたらよいですか?、、、 」

釈迦 「 ひとつかみの白い辛子種をもらってきなさい。。。。。。」

 

母 「 どこの家で手に入れられますか?、、、、、、」

釈迦 「 息子も娘も親族も 誰も無くなったことのない家からもらってきなさい。。。。。」

 

 

母である女性は、さっそく自分の街にもどり、一軒の家に行き、聞いて回ります。

 

「 辛子種はございますでしょうか?息子の病気の薬になるのです。 」

 

家の人 「 それはそれは、それならありますよ。 どうぞ、どうぞ、。。。」 

母 「 お宅では、娘や息子さんやどなたも無くなった方がいらっしゃいませんか?、、、」

 

家の人 「 そんなことはありません。生きている人より、今まで死んだ人間のほうが多いです 」

母 「 そうですか、すみませんが辛子種はいりません。。。。 」

 

 

このように、何軒も何軒も必死になって、訪ねて行きましたが、辛子種はどこの家にもありました。インドでは料理に常に使うものだからです。

 

しかし、死人が出ない家がありません。 母は落ち込み、落ち込み、沈んだすえに、泣き叫びました。 

 

そして気が付きました。。。。。。。。。

 

「 どんなに探しても、死人が出ない家はない、自分の子供だけが死という悲しみを経験していると自分は勘違いしてきた。 人は生まれてきては、死にむかう。それが短命という運命であっても。。。。」

 

そして、やっと冷静になれたのです。 

 

 

釈迦のもとに帰り、釈迦は言われます。 「 辛子種は見つかりましたでしょうか?。。」

 

母 「 いいえ見つかりませんでした。 でも、おかげでやっと目がさめました。。。 」

 

母 「 人はすべて流れていく人生の中の翻弄して、苦しみをつくっていく。

苦しみのもとは、流れていく状況の中で、それを掴んで苦しんでいる。。。その執着こそ、苦しみの原因だと、気が付きました。。。。」 

 

そして、この母は出家していきました。

 

以上です。笑

 

 

しっとりしてしまった、記事のなってきましたが、幻想と人間のドラマの本質をついていると思われます。

 

この執着をつかむと、カルマになって心の重石になっていきます。

 

なぜ、執着するのかといいますと、エゴがこの世界が幻想だと思ってないからです。

 

現実だと思っているので、手放すまで時間がかかるわけです。これは肉体をもって人間をやっている以上しょうがないことなので、執着をもってしまう自分を裁く必要はないんです。

 

幻想という世界のキャラクターや物に執着している自分に気が付くだけでいいのです。

 

 

つまり、ku自身が、季節の変わり目とか夏至、冬至を気にしないのは、善悪ではなく、正邪でもなく、この世界を無意識に執着してない部分です。笑 自分の遊び方です。笑

 

これはkuの内面のことなので、皆様には当てはまらなくても構いません。笑

 

ただ、幻想の中での、つまり、アナタが映し出している映画の中の 夏至だっり冬至だっり、夜だったり、朝だったりするわけです。笑 

 

ですから、あくまでもゲームの中の世界の節目として、夏至もエネルギーもあると思われます。

 

 

ただ、多くのスターシードはそれを、魂的にはわかっていながら、宇宙規模の大きな幻想ゲームである、地球のアセンションを体験しにきているわけなんです。

 

ある意味、そのゲームの中でのライトワーカーなどといった、設定も面白いのかもしれません。

 

それは、充分に幻想とわかっていながらする、ゲームです。楽しく遊びたいものです。笑

 

大切なことは、ゲームに熱中しすぎて、幻想だということを忘れてしまうことです。

 

 

幻想を使って、シフトして、喜ぶならいいんですが、幻想の中のキャラクターになりすぎると、いつも言うように、快楽と苦痛の中をあがったり下がったりします。 

それはシフトではありません。

 

幻想を使って、シフトしていくのです。 目のまえに気に入らないことが起きたら、それ浄化、解放のチャンスです。 そこに出てきた感情が大切です。感情を嫌がるのではなく、解放させるのです。

 

シフトすれば、シフトするほど、幻想から自由になれます。 さきほどのたとえ話の母は、最愛の子供を手放してシフトするという設定を生まれる前にしたのです。

 

その設定からシフトしたのです。 意味わかりますか? 笑

 

 

すると、シンクロニシティがどんどん起きてきます。 このシンクロニシティは、今の時代頻繁にふつうのように起きているはずです。

 

たとえば、数か月前に 一日10回ちかく 1111 という数字をkuも毎日みてました。

 

下手すると、11時11分、11秒の時に時計をみていることなどしょっちゅうです。笑

 

すると、ヤンタラジローさんが、エジプトツアー 11月11日なんていうのも出してきました。笑

 

面白いですよねー。みなさん一人一人のシンクロニシティが、必ずあるはずです。

 

 

 

このkuの記事自体が、共時性があったりするので、この記事を読んで、「 私が今、体験していることだわ。。。」 と、たまたま自分が思っていたことが、kuの記事とタイミングが一致したと

沢山言われてます。 笑

 

これは、kuがそのような能力あるとかとは、関係ありません。それはストーリーに入ります。

 

そうではなくて、ここで もう一つの大きな気づきに気が付かなくてはならないのです。

 

シンクロニシティが起きる、もうひとつの側面としていいますと、それはサインです。

 

なんのサインかと言いますと、この世界は幻想であるということのサインです。

 

 

昔なら奇跡のようなことも、今では頻繁に起きるようになりました。シンクロニシティは乃木坂46の歌にもなり1000000枚もCDが売れないと言われている時代に売れてます。 そんな時代です。

 

つまり、共時性という、奇跡のようなことを見ている自分は、この幻想に気が付きなさいというアナタの奥底にある、神意識からサインでもあるわけなのです。笑

 

映画のDVDを見ていたら、一瞬画面が止まってしまったり、乱れたりすることがよくあります。

 

「 あれっ、一瞬、いま止まったよな ? 」 この乱れがシンクロニシティ。笑

 

つまり、没頭できる映画に、ちょっとした、偽物感を現わしてくれているのです。笑

 

 

 

 

 

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当店に来られる方は、宇宙でもkuは知り合いが多く、転生も星の系譜もみなさん似ています

面白いですよね。 エジプトでてたり、アトランティスとかレムリアでてたり、しっかりポイントを押さえて宇宙からきています。笑

 

 

 

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