13日~15日にかけて、長野に行ってまいりました。

 

ここはほぼ毎年、行きます。 んんん~高級ホテル? いやちがいます。

 

山小屋のような場所です。笑 しかも、何もありません。電波もありません。(いいね返しとコメント返しは山を下りてやりました)笑

 

でも、ここが好きなんです。 素になれるというか、はがれるwというかw。

 

小屋のような場所の周りは森です。 しかも、ここは高波動です。笑 

 

 

しかも、自分が瞑想中心に来てるのを、宿の人は知っているので、静黙してくれます。

 

こんな都合の良い場所はありません。笑

 

特に、この2017年という年は、自分にとっての方向性が固まる年と感じてますので、自分ではなかなか気づけない都会的な執着を取るためにここに来ました。 そんな感じです。

 

自分にとっては、いつもいつも皮を脱いでいくことが大切で、脱ぎ続けるためには、無意識に執着してるものに気が付かないとダメみたいなんです。笑

 

 

 

バランスというのが上手に整ってくるためには、自分で何とかしようというのはダメなことが多いです。自分は一切やりません。 笑

 

ここでのバランスの意味は、人生の基軸のスピリチュアルティとか、仕事とか、家庭とか、お金とか、人間関係とかのバランスです。

 

バランスが整うように、普段気づけない執着やエゴ、カルマなどを解放できる環境に一時的に移動するのが自分にはベストなんです。そして、振るい落とすのです。 

 

みなさんの中にも、もし 今の状況から出れないなにかをお持ちの方は、質素な場所に出かけて、自分を見てみるのもいいですよ。( 瞑想系の方はやってますよね 笑 )

 

 

ちょい、深いのは、自分の中で、今回の2日で、マントラ系瞑想と、非二元が融合が始まりました。

 

目の前の現実が、割れてきたというか、 本気になれなくなってきた部分がまた更に増えたというか、そんな感じです。笑 ←意味がwwww

 

とくに、ここの2日間で、瞑想にそわそわ感がなくなり、きっちり「空」の中に静寂にとどまってます。

これは、非二元の実験と瞑想の絡みがとてもよく融合してきたのです。

具体的には、五感の幻想を体験的に剥がしにかかってます。笑 ←ちょいオタッキーかな。笑

 

自分なりに非二元の実験を日常でやってみてるのですが、瞑想がそわそわするカルマの領域を抜けて、もう一段、深いところに今回は入り、戻ってきました。

 

これは、いいかもしれません。笑  

 

非二元の使い方として、瞑想している自分というのを消してみる試みで、やり方もベガからの指導でやり込んでます。笑

 

 

 

そんなことを経験しながら、先日の書籍もしっかり今年も読みました。

 

 エックハルト・トールの stillness speaksです。

 

 

今年も読んでいて、ハイヤーセルフが気になる部分を自分に注目させました。

 

そういう注目させた部分は、記事を読まれるみなさんの内面に、なにかヒントになるかもしれないので、何個か抜粋して、解説してみますので、みなさんなりに気になる部分があり、役に立てる部分がありましたら幸いです。

 

P62より・・・・・

「エゴ的な自己は、あくなき欲望に振り回されてます。自分をより完全なものにしたいという欲求から、常に獲物を追い求めているのです。これが、エゴが強迫的なくらい、未来に没頭している理由です。」

 

と書かれています。

 

未来という部分が気になるところです。笑 

 

みなさんもご存知のように未来は幻想です。 でも、次することや、スケジュール見て、どうしよう、こうしようも未来なんです。

 

そうは、いっても社会生活となると、未来や過去を意識しないと、仕事にならなかったりします。わかります。笑

 

 

でもこれからの時代は言葉ではダメで、体験のレベルで体感していくことです。、

 

ますます、未来は幻想で、「いまここ」しかない。

そして、最大限に「いまここに在る」ということが、地球には必要になってくると感じます。

 

この世の中は今まで本当にエゴの世界で、できていました。

 

たとえば、大都会なんかは特にそうですが、渋谷駅に向かう人の群れ、または、新宿駅から職場に一斉に歩くひとの群れ・・・・・・ 一歩でも早く・・・

 

今日のスケジュールややるべきこと、どうすればよいか、今日中にどうしてもやりたくないことに対する拒否感など、未来、未来、未来に没頭してます。

 

この書籍に言うように、未来への没頭の根底にあるのは、エゴの欲望なんですね。

もうひとつあるとすれば、エゴの恐怖感です。 

 

 

やはり、このような山小屋ではなく、都会の中に居れば、どうしても次すること、次することをある程度は思考が走ります。

 

しかし、無意識に思考に飲み込まれて、無意識に行動するのと、意識的に次することの思考を監視するのは意味がちがいます。 意識的になりたいものです

 

しっかり思考を監視すると、自分のエゴに気が付きます。エゴの性格とか。そこがポイントなんです。笑

 

こういう、大自然は(手が入ってない)ダーマの流れ、全体が大いなる存在の流れで動いてます。

 

ですから、そんな中に自分が入ると、カルマや観念をしっかり見つけやすいんです。

自然の中にいればいるほど、自分もダーマの流れになります。

 

もっといえば、自然の中で瞑想するともっといいと思います。笑

 

 

では、この文の結論としては、どうなれば、いいのでしょう?

 

「これでいいんだー、ゆっくり行けばいいんだー」といったゆったり感や、安心感が、強く、強く、強まって行ってることが、ほんとうの意味で、シフトが順調に成功して行ってることだと思います。

 

問題なのは、渇望して、修行でも仕事でも未来に没頭することです。 ゆとりや、無防備さがありません。ハイヤーセルフにつながると、無防備さが出てくるからです。

 

 

 

もう一つ気になりました。

P100・・・

「 人生の状況を「調整」しても、平和を見つけることはできません。平和は、もっと深いレベルにある「本当の自分」を認識することによって、はじめて見つけることができるのです。 」

 

とあります。

 

人生の状況をなぜ調整するのでしょうか?

また、だれが調整しようとしているのでしょうか?

 

なんとかしたい・・・・のはいつもエゴです。 なんとかしたい・・・と問題意識が出てきたら、とりあえず、エゴだと認識してくださいね。笑

 

状況を認識するのは、エゴです。 状況とは時間と空間を内包してるからです。

 

時間と空間は幻想です。つまり、幻想をなんとかしたい本人こそ、エゴです。笑

 

わかりづらいので、劇を作ってみました。 笑 ↓です。

 

Aさん 「目の前のコンビニの店員の態度が気に入らないし、間違っていると思うのですがエゴでしようか?」

 

自分 「コンビニとか店員って空間にいますか? そこに時間は流れてますか?」

 

Aさん 「はい。。」

 

自分 「では、空間と時間がある、その場所で、そういう状況が起きてるわけですね?」

 

Aさん 「はい。。。。。。」

 

自分 「では、その状況を幻想とは思えないのはだれでしょうか?」

 

Aさん 「エゴですか? つまり、対処したいと思う心はエゴなんですか?」

 

自分 「はい、そうです。 ですから、その気持ちを本気にしないことです。笑 本気にするから怒りというゲームを始めてしまうんです。笑」

 

 

真我は なんとかしようなんて思いません。 ただ見てるだけです。笑

 

 

 

 

では、ほんとうの自分に会うにはどうすればいいのでしょうか?

 

未来や過去や時間や空間といった言葉が入らない場所にいることです。

 

それが、「いまここ」なわけです。 

 

近年、あたりまえですが、人工知能の話がどんどん出てきます。

 

でも人工知能がハイヤーセルフと繋がることが、まだしばらく無いなら、人間だけが、ハイヤーセルフに繫がれるわけです。

 

そのキーワードが「いまここ」なわけです。素晴らしいと思いませんか?

 

そんな素晴らしいキーワードを今すでに、みなさんも自分も手にしてるわけです。笑 

 

Lucky~~~ !!

 

でも、「いまここ」になかなか自分では入れないのなら、ありがたいことに大自然の恩寵があるわけです。 

 

自分も大自然の中で、しっかり自然の木々、鳥の声、風なんかと一体化してました。今回も。

 

この体感しながら、一体化して感じているときに思考は出にくいはずなんです。

 

しっかり自然を観察して、seeではないですよ。LOOKです。

しつかり音を聞いて、 しっかり感じて、出来る限り一体化してみると、

この世界は自分が創ったことまでは、わからなくても、自然との一体感は自分の中のリズムを整えてくれるはずなんです

 

思考を落ち着かせ、「いまここ」に在るのを戻すにためにも自然はいつでも自分達を迎えてくれます。

 

 

ほんとうの自分に出会えないもう一つの理由があります。

 

それは、素朴すぎて気が付かないんです。笑 「ほんとうの自分」にはみんな会っているのに気が付きにくいんです。

 

ものすごくドラマチックなものではなく、とても素朴すぎて気が付かないのです。笑

でも、「平和なこころ」「平穏」って、そんな素朴なことで、得られるんです。

 

エゴはこういう展開が大っ嫌いなんです。 どうしても刺激的に、劇的転回が好きなんです。

 

 

 

 

自分は呼吸法的な瞑想は自分ではもう、やってませんが、でも呼吸法って、ほんとうに凄いと思います。

 

生まれた瞬間から、死ぬ瞬間まで、呼吸ではじまり、呼吸で終わるわけです。

 

今ここにあって、しっかり、呼吸法してるだけで、徐々に、徐々に、少しづつ、少しづつ、変わってきます。刺激はないですけど。笑

 

刺激はない、派手さもなくて、あまりにも平凡すぎるけど、そんな素朴な思いと行為が人を変えてくれるのではないでしょうか? 笑

 

呼吸法で、呼吸を見つめていくことは「いまここ」であって、カルマも解放して、どんどん繋がっていきます。

 

そして、エゴと「ほんとうの自分」間にスペースが開いてきます。 

 
そうして、より強固に深いレベルで本当の自分に繋がり続けていくわけです。

 

 

 

 

 

自分なりに、ハイヤーセルフに繋がってる感を一言で言うと、、

 

自分の日常の心の平和力の平均値高しwww  

 
そうなんです、だいたい、ほとんど、平和になってくるんです。笑 

 

 

近日、youtubeに呼吸法の動画出します。 休日中にインスピレーションが来ましたので。

よかったら、使ってください。笑