kuは長野の電波不良な場所にいますので、いいねの返しが遅れます。
すみません。13日から15日までいます。よろしくです。 感謝です。
 
 
後半にはいります。。笑
 
というか、映画観てない人は、早く観た方がいいですよ? 笑
 
この映画がウケたという事は、、自分はあまりライトワーカーという言葉はあまり使いませんが、ライトワーカーの勝利宣言していいということだと感じるんです。 
 
地球という星が、パラレルとして美しい場所に移行しつつある、また古い地球と分裂して美しい場所に来た、どんな見方でもいいですが、ひとつ言えるのが勝利宣言の証になると感じました。笑
 

 
この映画は、また別の観点から見たときに、ひとつ言えることがあります。それは、
 
  ゛゛潜在意識以上魂の 今の自分(観る人)のキレイさを試される映画゛゛゛  です。
 
また、普通の人々にとって、この映画がウケる理由は、多くの人々が潜在意識がクリーンになってきている。と感じました。これが自分の見解です。
 
この映画のような経験を普段からしてるんだけど、ようやくキレイになって、理解できるようになってきたのだと思われます。
 
実は、、、kuも映画好きだったんですよ。笑 何千~万までいくかわからないけど観てます。

ですから、この映画の批判する方の意見も面白いと思います。
 
一言で言えば、試される映画なんです。ただ誤解してほしくないのは、新興宗教のくだらん天国地獄にはいれるかどうかの神さまからの裁きの試しではないですよ。笑
 
もとにもどして、この映画を批判する人は批判するパラレルも当ブログはオッケーなわけです。
 

 
でもこの批判の中身みると、やはり唯物的だったり、自分の潜在意識の中身をせっせと無意識に本人はわからず語っていたりしてます。
 
その一つの批判の理由に、主人公が童貞くさい というのがありました。
傑作です。爆笑です。 てか、最高です。 これは、ある意味凄い勉強になりました。笑
 
たしかに、シリウスなんかのようにアセンションしてる惑星は童貞と処女しかいないかもしれません。 てか、物質の人間的ではないからです。
 
アセンションを体験して進むということは、透明感が出てくるんです。ということは、エゴ的だったり欲望的なものが薄くなってくるんです。
 
 

 
ですから、この映画の落とし所も、しっかり、主人公たちを無機質に、透明感あふれるように設定してあります。ですから、純粋無垢なんですね。
 
ですから、童貞臭いという表現は、とてもいままでの地球的な表現なので、面白いなーって正直に感じました。笑
 
スピリチュアル的に言えば、童貞臭いではなくて、透明性が進んで霊体のような主人公の二人 かもしれません。
 
 
ですから、色々な在り方でもオッケーなのがこのブログのスタイルなので、それはそれで良いと思います。
 
 

 
自分がいいたいのは、スピリチュアリティあふれる方が、観ると理由がわかって感動できるのかもしれませんよ。といいたいです。
 
たとえば、神との対話シリーズの「神に帰る」という本がありますが、この本の中の内容の絵映像版がこの映画のストーリーに近い感じです。
 
P318 思い出すこと---その16 死から引き返すことができる より
 
   (質問者) つまり、死ぬ人は誰でも、「人生に戻る(生き返る)」チャンスがあるってことですか?
 
   (内面の神) そう、魂は通って来たばかりの「死」を「取り消す」経験ができる
  
   (質問者) どうやって、どうすれば、そんなことができるのですか?
   
   (内面の神)  ただ、「今は死にたくない、戻りたい」と言う、考える、感じることによって、神(自分に内部の大いなる存在)に告げればいい。魂はみな、「用意はいいか?前進したいか?」とたずねられる。このうえなく優しい質問だよ。物理的な世界から「境界を越える」すべての魂が、こう質問されるのだ。思考、感情、返事がイエスなら、魂は霊的な領域への旅を続ける。「もどしてください」と魂が頼めば、すぐに物理的な世界へ「送り返され」---死ぬ寸前の瞬間に到着する。
 
以上 神に帰るの書籍の 一文でした。
 
 

 
 
映画のストーリーと、ほぼ似てます。笑
 
今の2017年からどんどん年が進むにつれ、地上界と霊界の間がうすく、うすくなって行くと思われます。
 
この映画がウケたということは、変わった恋愛映画という事で自分に言い訳するのではなく、
実は、日本国民の潜在意識でいよいよ同意があったのではないかと感じます。
 
「そろそろ霊的に目覚めたいーー」 です。 
 
ひとつだけ、あまりお勧めしたくないのは、宗教でもこの映画に似たようなのを作ってます。
 
違いは、依存させるかどうかだと思います。 養命酒だか、救世主だかわかりませんが、この時代は奇跡の時代で、救世主の元に集まりなさい的な、古臭い感じでも似たような映画を作ってます。
 

 
 
でも、日本国民は凄いなって感じるのは、やはり、そういう輩のところには行きたがらないくらい、しっかり無意識下で、アセンションをわかってるんだなあー。って感じます。
 
違いは何か?
 
それは透明性だと思います。
 
宗教の映画の場合、白なんですよ。 透明ではなく。
 
透明に赤の色をつけても、そのまんま 綺麗な赤の色になります。
 
でも白の色に赤の色をつけるとピンクになってしまいます。
 
例えが悪いかもですが、宗教としてのエゴが入っているのに気が付いてないんです。
 
もちろん、白をペースにした宗教の遊びも悪くはありませんが、どうしても手前味噌なんですね。笑

 
 

 
 
しかし、この映画の場合、気が付かないように、わからなくても、観ることによって、シフトの材料がたっぷりあり、無意識にシフトさせてくれるんです。そこに透明性を感じます。
 
日本国民はそういう波動に実は優秀な民族なんだと感じます。
 
この「君の名は」の本気のブレイクに、日本人として生まれて、この感動の瞬間に立ち会えてほんとうに感謝したいくらいです。
 
こういう場合、自分の将来的な予感はとても当たります。 ですから嬉しいんです。笑
 
これから、ますます、凄くなっていくんでしょうねー ひとり、ひとりの意識も。笑
 
たのしみです。笑  
 
前半、後半 読んでくれて、ありがとうございました。