いよいよ、最後の幻想とまとめに入ります。

 

最後に来る⑩は無知という幻想となり、締めくくります。笑

 

まあ、、そうなりますよね。笑 

①の必要性からどんどん幻想を重ねてきて、とうとう、結局わからないのだ・・・に行きつきます。 無知です。

 

ここまで、深く、落ちてきました。 もちろん、ほんとうの自分は落ちてなど一回もないし、完全にわかっているのが本来の私たちなんです。無知になっちゃったんではないです。勘違いして遊んでいたわけです。

 

 

書籍はこうあります。

「ひとつずつ幻想が積み重なっていくと、人生はますますわかりにくくなった。人間はますます答えのわからない問いを重ねた。これが真実なら、なぜああなのか?あれが真実なら、なぜこうなのか?・・・まもなく哲学者も教師たちも音をあげた。「わからない・・・」と彼らは言った。

こうして無知という考え方が生まれた。この考え方はいろいろな目的に役立ったから、たちまちひろがって、究極の回答になった。-----わたしたちにはわからないのだ。と。」

 

こうなると、もう、もつれすぎた糸みたいになってしまいましたね。笑

 

これは自分の考えなんですが、人生について、生き方について、多くの方々が模索していますよね? 探求というか? 答え探しというか? それゆえに、知識を獲得したり、情報を集めたり、人間はいろんなことをします。

結局、探しているんだとおもいます。解答を。

でも、この記事をとおして、神が言ったかどうかはどうでもいいんですが、(神様すみません 笑) 。

この10の幻想は、エゴの歴史かもしれません。 いや、エゴのカルマを作る歴史です。笑

 

 

エゴの特徴は・・・探求です。 そして、判断が大好きで、答えをほしがります。

ゆえに、この10の幻想すべてを探求してきたのだと思います。

 

なにゆえにかといいますと、分離した自己です。分離した自己が統合してるワンネス意識、つまり、愛、平和、幸せなどをどこかで感じているんです。

 

ただ、問題なのは、分離している自己はそれらを外側で見つかると思ってるんです。だから外側に探求すればいつか見つかると思い込んでいるわけです。外側に解答を求めて探求してくわけです。

 

でも、この分離した自己こそが幻想なんですよ。 エゴも幻想ですけど。笑

 

だから、幻想自体が外側になんとか答えをさがしても、見つかるわけがないわけです。

 

つまり、外側に答えはなくて、分離した自己が消えたとき、つまり、エゴの消滅が起きたとき、

すべてはワンネスですべての幸福はすべての平和は、すべての愛はここにあったと気づくわけです。 旅と終わりです。笑

 

 

話を元にもどします。

こんがらがってしまった、人々のマインドはどうなるのでしょうか?

書籍はつづきます。

「 「わからない」は「わかるはずがない」に変わり、つぎには「わかる必要はない」に、最後には「かわらなくても傷つきはしない」に変わった。

「わかるはずがない」は宗教的な教義になった。宇宙には秘密があり、神はそれをわたしたちが知ることを望まない。そう教義は宣言し、その秘密を探ることすら冒瀆だと言った。この教義はたちまち宗教から政治へ 、さらに政府へと広がった。」

 

さらに続きます。

「探ってはならぬという禁止令のおかげで、無知は好ましいということになった。質問をしないほうが賢くて、礼儀正しいということになった。それが世間に通用するふるまいになった。」

 

 

いよいよ、無知が広まって、混乱し始めると、それを利用する者と利用される者という役者がそろってきたようです。

 

やはり、このブログでも書いてるように、世間的に見た正しさとか常識とか、あたりまえとか、普通とか、などの観念はとても今の時代になると、不要なのかなあー って感じます。

 

最近の社会までは、こういう正しい生き方などを追求されたり、自分になりに正しい人間になりきったりして、生き方の正当化をしてきましたが、やはり、疲れます。

 

なぜなら、幻想だからです。

 

社会に合わせて生きたり、世の中の常識に拘りすぎると、これからの時代はどんどん幻想がはがされて来る時代なので、どうしても、自分のハートが真実であると感じません。

 

 

ハートに真実さを感じないものは、どうしても行動できなくなるし、親だろうが、上司だろうが、老人のたわごとだろうが、従えなくなってきます。

 

それで、社会や会社が成り立つのかどうなのか? が、時代が試されることになるのかもしれません。 ただし、集合意識的には完全にハートに従え~ が GOサインです。

 

というのも、それらのアドバイスしてくる人自身が自分自身を救えているかどうか、なんですね。

年を重ねた、老人が苦労話をしてくれても、その話が幻想どっぷりの話なら、有難迷惑なわけです。本人は気が付きませんけど。笑

 

まったく、シフトが急に ここ数年で起きてますので、気が付いてないうちにドンドン時代の精神性が変わって行っていることに気が付かない、年配者も増えていくと思います。

 

 

つまり、無知なんです。無知なのに、自分は知ってる、わかっていると思っているわけです。

足元が固まってないんです。死んだらどうなるかくらいもわかってないんです。笑

死ぬのが怖くて、そういう話も自分の人生から無視してきた人が多すぎるんです。笑

思考停止といいます。それ。

 

そのくらい、目の前に展開する、人生というストーリーにどっぷり浸かって、なにも考えずに、ここまで来てしまった・・・・・。いまさら、この重い人生の荷物を降ろすこともできない。。。

こんな感じだと思います。

 

 

さらに、書籍は書いてます。

「わたしはあなたがたを愛している。だから、無知は幻想だとあなたがたに言う。あなたがたは、真の自分について知るべきことをすべて知っている。それが愛の本質だ。学ばなければならないことは何もない。ただ、思い出せばいい。」 

(※ここでの神は自分と究極的には同じです。神はわたし、わたしは神でもけっこうです。)

 

そして、10の幻想のしめくくりとして、書籍はこう書いてあります。

「真実とはこうである・・・・・」

 

「 ①神はなにも必要ない

  ②神に失敗はありえないし、あなたがたにもない

  ③離ればなれのものは何もない

  ④充分である

  ⑤しなければならないことは何もない

  ⑥あなたがたは決して裁きをうけない

  ⑦あなたがたは決して罪の宣告を受けない

  ⑧愛に条件はない

  ⑨自らに優越することはありえない

  ⑩これらのことすべてを、あなたがたはすべて知っている。 」

 

 

とうとう、10の幻想が解かれました。 

この10の幻想が、どんどん多くの人のマインドから解かれ放された時、どうなるのか?

 

ハイヤーセルフ、おおいなる存在、宇宙意識、つまり、この書籍で言う神と繋がっていきれるようになるわけです。

 

これが、アセンションであると感じています。

 

 

自分はすでに進化した、他の惑星を幽体離脱で見に行きますが、シリウスなんかはすでにアセンション済です。

 

シリウスなんかは、この10の幻想そのものが解かれてます。 逆に言えば、この10の幻想がまだマインドに在る場合、まだアセンション移行中ということになりえます。

 

人によって違いますし、ここに来る方は、無いかたも多いのではないでしょうか?

 

ますます、地球からこれら幻想が無くなり、カオスから卒業を祈念して、このシリーズを終えさせていただきます。

 

6回という長いシリーズ、本当にお付き合いくださり、ありがとうございました。