なんか、最近多くの方々にご覧になっていただくようになりました。感謝です。笑 

 

自分のブログは感性の赴くまま、自分の体験など、含めて、書いてます。

「今ここ、真我の流れ」 でワクワクして書いてますので、日々の内容に一貫性がなくてもご容赦ください。笑

 

今日から、少し新しい試みで、シフトを妨げる要素をどんどん排除して、もっと軽く、もっと軽くなるために、いままで、良しとしてきた今はもう不要な心の道具をどんどん取っていく試みをしようかと思います。

 

 

 

カルマの浄化に関しては、今までもお話ししましたし、最近の若い子達は特にあまりカルマもなく、どんどんイケイケで自分の夢や、なりたい自分に楽しく、軽やかにスムースに行こうと思えば行ける時代に入りました。 

 

2017年からまったく新しいスムースで軽やかな時期に突入です。

 

ただ、一般的な中年以降の人々がこの軽やかさについていけなかったり、あまりにも時代のギャップを感じてしまい、どうしていいのか解らなくなっている人を多いのではないでしょうか。

 

強烈な制限波動の昭和を通り抜けて来ましたので、しょうがないですよね。?笑

 

 

やはり観念です。 カルマを解放してキレイに浄化されてても、どうしても観念が邪魔して、なかなか前に進めない人も多いのではないでしょうか?

 

これは若い子というよりは、20代前半から上の中年、老年の方々には、しっかりした観念があり、シフトを妨げているように思えます。

 

これからの子供達が大きくなっていくと、その考え方の違いは相当開いて行ってしまうと思われます

 

極端なこというと、あと、10年後に出てくる子たちは、無垢のまんまそのまま成長して大人になり、熟していくような時代の子達かもしれません。

 

昭和生まれや平成一桁くらいまでの方々はまだまだ、幼いころからの観念が自然と根付いていると感じるなら やはり、自由というより塞がれてる感がまだまだあるのではないでしょうか?

 

つまり、観念でガチガチになって、ワクワクしても飛び出せない。 といったこともその一つでしょう。

また、「こうあるべきだ」 「社会常識的に考えて・・」 「恥をかかないためには、、、」など

エゴのブレーキのことです。 または、エゴの思い込みのことです。笑

 

こういった観念は、だれかに取ってもらうのではなくて、自分で気が付かないと取れません。

日々使っていると、それを使っていることすら気が付かない方も多いと思います。

 

ただ、時代性でしょうか、この観念でさえ、簡単に簡単に外しやすい、波動領域の地球にシフトしてきてると感じます。

 

キーポイントは あとは気がつくことだけ です。笑

 

例えば、宗教やってる人ならその教義も観念です。

ある特定の政治のカラーならそのイデオロギーも観念です。 

身近なところでは、職場の中で当然こうするべき゛常識・・・なども観念です。

学校、職場、宗教、地域、家族など、多くの観念が教え込まれてきました。

 

 

こういった観念をどうとってもっともっと 中年以降の方々がシフトして軽くなっていくか?

ここは非常にシフトのポイントであると思われます。

 

 

そこで、今からの話は、自分なりのやり方なんですが、あくまでも一例です。

 

自分の場合、「神との対話」シリーズが好きでして、その書籍の中で「神とひとつになること」という書籍があります。

 

ただ、こう申し上げても、この神との対話そのものを一つの観念作りになると、いけないので充分にブログの内容を吟味して、取り入れるところは取り入れる、という作業はしてください。

笑 あくまでも自分流です。

 

この「神とひとつになること」という書籍の凄いのは、サブタイトルが「人間を縛ってきた10の幻想とは何か?」となります。

 

この10の幻想を使って、日々の自分の周りに使っている観念を紐解くことができると、とても自分の場合、当時、楽になりました。 

 

これが人間の10の幻想です。

 

①必要性という幻想

②失敗という幻想

③分裂という幻想

④不足という幻想

⑤課題という幻想

⑥裁きという幻想

⑦罪の宣告という幻想

⑧条件という幻想

⑨優越という幻想

⑩無知という幻想

 

この10の幻想は非常に観念とりには有効だと思います。 というのは、社会全体がこの10の幻想でできているからです。

 
実直に言えば、みなさんどうですか? この10の幻想に基づいて行動を日々してませんか?という問いかけなのです。

 

自分から見ると この10項目は モーゼの十戎の逆の、自由解放の10解 と感じます。笑

 

みなさんがスピリチュアル的に意味きらうところの恐れというのがこの幻想を作っているわけです

 

 

 

 

 

①必要という幻想 

 

まず、スピリチュアルでは自分自身が神そのものであり、自分の生命そのものが神なので、外側に神がいたとしても、自分自身の投影としての神様であるので、強制したり、命令したり、恐れさせたりはしないのが、本物のアセンテッドマスターや大天使、または宇宙意識や高次元存在の神々たちの特性であります。

 

チャネリングでは気を付けたいのは、霊人でも神という人でも、強制したり脅したりするような霊人なら偽物です。

 

宗教の場合などとくに神さまが脅してきます。もちろん教祖が脅してるんです。

お金とるために。

つまり、ひとりひとり使命があったりします。笑 ? 使命は実行しないければなりません。?

 

教団に対してやらなければならない、奉仕、献金、人生そのものが神の必要性に答えようとします。

 

また、「こうしなさい、ああしてはダメです、こうあるべきです・・・」 と 自分達人間が天国に入るためには、何か必要である。その必要は条件だったり、使命だっり、戒律だったり、します。

 

神とひとつになることの中で、こう書いてあります。「宇宙(神)には、必要性は存在しない。特定の結果を求めはしない。宇宙(神)そのものが結果だから。」

 

この結果といのは幸福と置き換えます・・・と すでに本来は幸福そのものなので結果を必要としない。という意味にもなります。

 

これをちょっと外れて、引き寄せの法則に当てはめます。「不幸な気持ちで、幸福は引き寄せられない。幸福だから、幸福が引き寄せられる」となります。

 

 

 

つまり、この宇宙(神)は今ここにおいて、完全に幸福であり、その分身である、自分達もすでに、いまここにおいて幸福なのである。

 

幸福と思えないで欠乏があるのは本当の自分ではなくて、エゴの自分である。

本当の神聖の自分、神の自分、真我の自分は完全に幸せである。

 

よって必要性は 神にも神の分身の自分達にも必要がない。 となります。

 

この必要性という幻想で現代社会もできてます。 

不足感から社会はなりたっており、何かが無ければ満ち足りないと考えが進み、そこにニーズ(必要)が生まれ、企業が大きくなり、ストレスもたまり、無限の売り上げ向上を願って、欲望はますます、必要性の虜になっていきます。

 

病気なんかでも、なんであれだけ多くの病名があるのでしょう?

法律もそうです、どうしてあれだけの法律があるのでしょう?

多くの人々が必要性という幻想に踊っていたからではないでしょうか?

すべては恐怖が根底にあります。

 

欠乏感から必要性がうまれ、満足することのない行動であふれ、カルマを増産させます。

 

この必要性が幻想だと わかれば、もっと楽になると思います

満足感、幸福感、平和感から ますます、満足感、幸福感、平和感が引き寄せられてきます。

 

 

幸せだから幸せになれる

豊かだから豊かになれる

 

これこそ、幻想を見破った、現代の流れの考え方です。笑

 

 

つまり、存在が経験の先に立ち、経験を生み出す

 

 

なんて、解放的なことでしょう。笑

 

 

 

 

ただ、ちょっと 極端に進んできましたので、勘違いされる方もいらっしゃるかもしれません。

「必要性がないなら、働く必要もないし、社会も悪いし、なんにもしなくてもいいんだね。」

 

私自身、今回のこの記事はこうなるために書いてません。 そうではなくて 必要性が無いとわかると、気持ちが楽になる。肩の荷がらくになる こういった見方ができると人生の観念が崩れて楽になる・・・・ これのために書いてます。笑

 
どんどん幻想を解放しましょうー 

 

では、次回から 10の幻想の②、③、④ と進んでいきます。 笑