今日は坂本龍一が亡くなって1年の命日。


早いものだ。去年、別名義で別のブログに坂本龍一の死を悼んだ。


驚き的には高橋幸宏の死の方が大きかったけれど、追うように坂本龍一が亡くなって、悲しみが倍増した。


私が初めてファンになったのが坂本龍一だった。


まだ多感な高校生。


アスペルガーと知らず、何故こんなに世の中は辛いのだろうと、苦しんでいた頃。


その当時、北海道の東に入るFMラジオはNHK-FMだけだった。


何の偶然か当時、OAしていた


坂本龍一がDJを務める「サウンドストリート」と巡り合った。


トークが下手くそだけど、それでもこの時代を席巻したミュージシャンに惹かれた。


それからまもなく札幌に引越しをして、高校を転校した。日々が辛い。私は未成年なのに覚えた酒で毎日二日酔いで登校していた。不良ではなかったが、学校へ行くと言って、家を出て札幌の街をふらふらした事も多かった。


そんな中、YMOの解散が報じられ、札幌にコンサートにくる事を知った。だか、田舎から出てきたばかりの高校生はチケットの買い方も知らなかった。


とりあえず当日入れなくても、入り待ち、出待ちができればと、会場へ行った。

会場の周りをウロウロしていたら、開演がもう直ぐというところでダフ屋が声をかけてきて、定価でアリーナの良席を買った。ダフ屋の存在も知らなかったけど結果最後のYMOの散開ライブに参加できた。


人生初のライブだった。


それからも、私は坂本龍一のファンだった。


ラジオから流れる坂本龍一の声が日々の救いだった。


そうこうして私は、高校を卒業して夜間大学に通いながら働くようになり、急に日々が忙しくなった。


人生で1番、幸せな時期だった。


私は次第に音楽家として大成していく坂本龍一の音楽について行けなくなってきていた。


意味も分からず盲信していた坂本龍一の思想もついていけなくなった。


いつしか私は坂本龍一から離れて行った…。




だか、間違いなく坂本龍一は私の青春時代を彩った男だった。


だから、坂本龍一の死は大きい。


私の若い時代のアルバムに最後に古びたぼろぼろのピアノの写真を貼った。


あれから1年、私は今更のように私の知らない坂本龍一の歴史や音楽を改めて追いかけている。