甲子園球場(兵庫県西宮市)が終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)

 

に占領されていた時期とみられる未公開写真9枚が見つかったことが

 

15日、分かった。米軍が撮影した写真とみられ、ツタに覆われた特

 

徴的な外壁や「KOSHIEN」と書かれた看板もあった。米国の写真家

 

が4月、神戸市文書館に寄贈。甲子園は8月で会場100年を迎えます。

(この記事は6月16日の【山陽新聞6月16日付】のご紹介記事です。

 

甲子園を運営する阪神電気鉄道も占領期の写真は所蔵していないと

 

いいます。球場に隣接する甲子園歴史館の担当者は「見たことがな

 

い写真でとても貴重。野球だけにとどまらない近代史の資料と言え

 

る」としています。

 

1924年に開場した甲子園は44年から日本軍が軍事施設として利用。

 

終戦後の45年10月からは米軍が接収し、兵舎や酒場、米軍向けの体

 

育学校などに使われた。グラウンドや観客席は47年に返還され、高

 

校野球やプロ野球も開催されたが、一部は米軍による接収が54年3月

 

まで続いた。

 

寄贈したのは米カンザス州の写真家ランディ・ウェントリング氏。知

 

人が米国内で購入し、その後ウェントリング氏が譲り受けた。

 

原爆投下直後の広島などが収められていたことから今年1月、原爆資料

 

館(広島市)に相談。資料館の学芸員が甲子園の写真を見つけ、神戸市

 

文書館に連絡し、その後ウェントリング氏が文書館に寄贈した。撮影者

 

は分かっていない。

 

甲子園の歴史に詳しい専門家は、撮影時期をバックスクリーンやグラウ

 

ンドの整備状況などから47年春ごろとみられると分析。

 

「KOSHIEN STADIUM」と書かれた外壁の看板が映った写真もあった。

 

他に、球場外で米兵と見られる複数の兵士が、リラックスした表情で映る

 

写真や、ジープ型の車を前に笑顔で肩を組んだ2人組の写真もあり、構図

 

などからいずれも私的な写真とみられます。制限速度をマイルで示した英

 

語の交通標識も確認でき、占領下であった当時の様子がうかがえます。