旧岡山藩主池田家から伝わり、林原美術館(岡山北区丸の内)の

 

”顔”となっている大名道具。中でも国重要文化財7件を含む能装束

 

と能面は、近世岡山の文化の象徴ともいえる国内屈指のコレクショ

 

ンだ。同美術館の開館60周年を記念した企画展「大名家に伝わる能

 

楽」は、能楽にまつわる優品や文書約60点を通して藩主たちの素顔

 

とコレクションの魅力に迫っています。

(この記事は6月2日の【山陽新聞・文化面】からのご紹介記事です)

 

「三井寺」「野宮」など33の演目ごとに舞台での所作を示した「型

 

付」には、「扇左ノ肩ノ上、アケ」「正面へ向」と朱書で書き込ま

 

れている。

 

歴代藩主の中で特に脳を愛したとされる2代剛政(1638~1714)が

 

したためた「所作心覚」(初公開)。鑑賞するだけでなく自らも舞台

 

に立った剛政だけに、何度も見返し、修練に励んだのだろう。そのこ

 

だわりは能面にも及び、41面を描いた「御面図」は精緻な筆致で、色

 

まで付けるほどの凝りよう。「能面 小面 銘三笠山」は自身の還暦

 

と左近衛権少将任官を祝い、作らせた逸品だ。

 

驚くほどの能への執着だが、橋本龍主任学芸員は「綱政が能楽に熱心

 

だったのは、単なる趣味ではなく、社交のためでもあった」と指摘す

 

る。能楽は、幕府によって武家の式楽と定められており、しかも当時

 

の将軍は、大の能楽好きで知られた5代徳川綱吉だった。

 

橋本主任学芸員によると、綱吉は「御成(おなり)」と称して大名を

 

連れて家臣の屋敷を訪ねては能を楽しんでおり、1706年9月3日に側

 

近の松平(柳沢)吉保邸へ御成した際には、綱政も随行し「三井寺」

 

を披露したという。その時に綱政が描いた「柳沢邸見取り図」には参

 

加者の席次まで整然と記されている。さらに6代将軍家宣への代替わ

 

りにあたっては、江戸本屋敷に幕府の要人をはじめ大勢の客を招き、

 

5日間にわたって能を上演。その様子を記録した文書には、招待客か

 

ら当日の段取り、料理までが丹念に書き残されており、能が藩主と

 

しての外交活動だったことがうかがえます。