先ずは昨日のご報告ですが、15時~15時30分の受付でコロナのワク
チン接種を無事に終えることができました。接種後も特に変わった様子
はなく、昨夜は休肝日になったくらいで別にどうということもなく終えるこ
とができました。
slおxして今日の記事ですが、幕末に全国的に世直し騒動が頻発しまし
たが、岡山県下でも幕末当時、同様な騒動が起こっていたことを物語る
史料が、(1995年2月)4日までに井原市井原町で見つかりました。これ
まで知られていなかった一揆(いっき)の詳細な記録で、荒れ狂う騒動の
全容を記録しているだけでなく、備中、備後両地方で同時期に発生した一
揆なども記述されています。一揆の広がりや当時の世相を知る貴重な史料
となっています。 (こ
の記事は回顧記事で1995年2月5日の【山陽新聞】からの居ご紹介です)
見つかった史料は94年11月、井原市立図書館に寄贈された徳川幕府の
直参旗本・池田修理家(千石、備前池田家の支流)の陣屋文書に含まれ
ていた御用状下留や調書など約二十点です。
それによると後月郡井原村(現井原市井原町)の一揆は、慶応2(1866)
年12月29日に発生しました。村をあげて参加し、翌30日にかけて、掛谷
始めに次々と豪商宅など十一軒を襲って金品を強奪しました。
岡山藩からも鎮圧の助勢が駆けつけました。翌年、逮捕者の自供で中心
人物が明らかになり、八人を岡山城下(岡山市)の獄舎に連行しました。そ
の後、首謀者の義三次を所払いにしたほかは、全員を村預かりにする軽い
処分で落着しました。
この一連の経過や逮捕者の自白調書のほか、関係者の職業、収入まで
具体的に記録しています。リーダー格が奪った金を分配しているのに比
べ、村人の貞蔵は「耕す土地も今はなく、勝手向き不如意で、紺足袋一
足と銀札(藩札)二十匁(もんめ)を奪い、銀札で割り木を買った」と自供
するなど、幕藩体制が崩壊し、物価高騰で庶民の生活が困窮している
状態を浮き彫りにしています。この年は、全国で農民一揆百六件、村方
騒動四十四件など二百件近い一揆や打ちこわしの世直し騒動が頻発、
混乱はピークに達していました。
このほか、備中連島村(現倉敷市連島町)、備後上下村(現広島県甲奴
郡上下町)の一揆記録や討幕運動に利用したともされる「ええじゃないか」
騒ぎの神札が、岡山城下外れと川辺宿(倉敷市真備町)に降ったと、新事
実も資料中に含まれていました。
当時調査に当たった故太田健一山陽学園大教授は「一揆の全容を、ここ
まで系統的に詳述している記録は珍しいです。新事実の連続でもあり、幕
藩体制が傾き、民衆の不満が爆発した当時の世相がほうふつとされます。
全国的にも興味深い歴史史料です」と話しました。
オマケ記事ですが、この記事が報道された同じ紙面に有った記事を一つ…
英国のダイアナ皇太子妃が明日6日、来日します。
今回は非公式な訪問で、英国大使館によると、英国赤十字社の副総裁を務
めるダイアナ妃は、福祉事業への関心が高く、日本の福祉施設などを視察す
るのが目的です。(以下略)
あの衝撃的なパパラッチとの事故で命を失ったダイアナ妃が、ご健在な頃
のニュースなんですネ。記事が目についたので、オマケ記事でした。