またまた1995年の新聞からですが、上品な蒔絵(まきえ)が施された、焦
げ茶の朱塗りの木箱があります。上部には鼓型の軸2基と大小2つのハン
ドルが付いており、紙腔琴(しこうきん)の金文字が書かれています。
紙腔琴は明治時代に流行した和製オルゴールで、振動して音を発する「簧」
(した)と空気を送り込む空気鞴(ふいご)を箱の中に装備しています。小穴
が開いた巻紙の楽譜を軸に挟み、ハンドルで左から右へ送ると音楽を奏で
るものです。
(この記事は95年5月31日の【山陽新聞】から画像もお借りしました)
先ず横向きですみませんが下の画像が大橋家住宅に現存する紙腔琴です。
毎年3月の倉敷音楽祭で、倉敷市の美観地区に登場するストリートオル
ガンに似た仕組みで、明治23(1890)年に戸田欽堂«1850=嘉永3~
90=明治23)が発明しました。
欽堂は岐阜・大垣藩主の子として産まれましたが維新後に洗礼を受け、
明治13(1880)年、日本最初の政治小説「情海波乱」の著者として明治
文学史に名を残しています。(太田愛人著「開化の築地 民権の銀座」)
紙腔琴は、明治7(1874)年にキリスト教書店として東京・銀座で創業した
十字屋が発売しました。楽譜は讃美歌から唱歌、長唄まで幅広く数十種
が用意されていました。(下の画像は、楽譜が挟まっている説明図です)
一戸建て家賃が1か月40銭(筆者註・100銭が1円です)ほどの時代に、
紙腔琴は15円もしましたが、皇族や音楽学校、教会とともに、全国の富裕
層から注文が殺到しました。当時の新聞は「当今無比のl名器」と絶賛、「鬱
悒(うつゆう)症の者抔(など) ニハ精神を開豁(かいかつ)ならしむる」と効
能を説く記事もありました。
十字屋には備中早島(都窪郡早島町)の最期の領主で、後に詩人として名
をなす戸川残花(1855=安政2~1924=大正13)が勤めたことが知られ
ています(戸川安雄著「戸川残花伝」より)。維新後銀座で開いた質屋の経営
に失敗したためでした。
大橋家で紙腔琴を購入したのは、文人だった6代当主とみられます。残花の
十字屋勤めは紙腔琴発売前の明治15(1882)年までですが、購入には親
交のあった残花の紹介があった可能性も…。
現在、十字屋は記事更新時リアルタイムで創業145年を迎えますが、95年当
時の杉山日出雄取締役は「空襲で何もかも焼けてしまって…」と振り返ります。
大橋家住宅の紙腔琴には説明書はついていたものの、楽譜は見つかっていま
せん。100年前、一体どんな音を奏でたのでしょう―。