お早うございます。今日は倉敷市真備支所で午後ですが「東大橋家文書調査

報告会」があり、参加することにしています。

文書の概要や、大橋高之と五流尊瀧院、などの報告があり、報告会終了後、

希望者には史料解説も予定されています。降雪も気に成って居ましたが、冷

えてはいるものの見事に晴れていますので、チョット安心しています。



さて、ここからが今日の記事ですが、昨日も岡山城に触れたばかりですが、その

岡山城を築いた戦国武将・宇喜多秀家(1572~1655)終焉の地・八丈島(東

京都)の住民グループ「八丈島久福会」が、秀家が植えたとされる住居跡のソテ

ツを株分けして昨日11日に、宇喜多家の菩提寺の光珍寺(岡山市北区磨屋町

=下の画像)に植栽します。(実際にはもう植栽済みなのでしょうネ。
          (2月8日付けの【山陽新聞】からで、画像もお借りしています)




光珍寺は、秀家と父で城下町岡山の礎をつくった直家(1529~81)に想いを

はせるイベント「戦国の涼星 宇喜多直家☆フェス」の会場でもあります。

11日に3回目のフェスが開かれるのに合わせ、秀家を顕彰している同会が植

樹を提案したものです。



同会によりますと、住居跡のソテツは高さ約3㍍、幅約8㍍に育っています。



幹から切り取った小株を持ってメンバーが来岡し、寺の入り口近くに植えること

になりました。光珍寺の石渡住職は「400年の時を経て岡山に植えられるとは

秀家も思わなかっただろう。末永く大切に育て、八丈島との
絆をさらに強くして

いきたい」と話しています。


直家☆フェスは午前10時~正午に開かれましたが直家の命日が14日とされる

ことから、植樹後に法要を営み、宇喜多ファンの参列者がチョコレートを備えると

いうバレンタインにちなんだ形が定着してきています。同会の佐々木豊茂顧問に

よる「宇喜多秀家と八丈島」と題した講演もありました。

秀家は関ヶ原に戦い(1600年)に敗れたのち、流刑となった八丈島で、亡くなるま

での約50年間を過ごしました。

「八丈島久福会」は昨年1月に発足し、岡山市など縁のある地域を訪れ、交流を深

めています。

 たまたま命日がちょうどバレンタインであることから、数年余り前に一人に女性
 が「これを差し上げたいにですが」と差し出したのがチョコで、ご住職も驚かれた
 とか聞いたことがあります。それがニュースとなり、次第に年々チョコ持参のファ
 ンが増えてきたと新聞紙上で話題になりました。今はそれが定着したようですが、
 多分直家・秀家も、想いも寄らないチョコに面喰いながらも喜んでいるのでは?