古代吉備第2位の巨大前方後円墳・作山古墳(総社市三須)で総社市教委

が行った墳丘測量調査の結果がまとまり、これまでの墳長286㍍より4㍍短

い282㍍だったことが判明しました。これにより全国順位が9位から10位に

転落するため、古代史ファンらのため息も聞こえそうですが、市教育委員会

は「全国有数の位置付けは変わらない」と前向きです。
           (1月10日の【山陽新聞】からで、画像もお借りしました。)


作山古墳は5世紀中ごろ、自然の丘陵を土台として築造されています。

「岡山県史 考古資料」(1986年)の編さん時に作られた航空測量図により

ますと、墳長は286㍍になっています。大阪府の中津山古墳(宮内庁管理の

陵墓)と並び、全国9位とされて来ました。




総社市教委の調査は1998年、現地測量で正確な規模や構造を把握するた

めに着手されました。断続的に進められ、最終的な調査報告書は2016年に

まとまり、墳長は282㍍に修正されました。前方部の幅も174㍍から170㍍

に直されました。



調査を担当した総社市埋蔵文化財学習の館(総社市南溝手)の平井典子館

長は「墳長は短くなりましたが、自然の丘陵を利用しながら、少しでも大きく見

せようと後円部を縦長の楕円形にしたことなど、多くの特徴も明らかに成りま

した」と成果を語っています。



宮内庁管理でないため、墳丘上を自由に歩ける古墳としては、吉備最大の

造山古墳(岡山市北区新庄下・地図右端)に次ぐ全国第2位の規模でもあり

ます。16年末には総社市が墳丘の草刈りをしていて、平井館長は「よりはっ

きり形が見えるように成りました。訪れて、作山古墳の美しい姿を実感して

欲しい」と呼び掛けています。



もう1件いにしえの話ですが、西日本を代表する縄文貝塚遺跡の一つ「津雲

貝塚」(笠岡市西大島・国史跡)の調査で12月26日までに、史跡指定地の

外側からも貝層が見付かりました。
          (こちらは12月27日付の【山陽新聞】からの御紹介です。)



笠岡市教育委員会が遺跡保護の一環で、貝塚の範囲を把握するため、2013

年度から史跡周辺を発掘しており、縄文期に形成された貝層の確認は初めて

です。「遺跡の広がりなど全体像を把握する上で重要な手掛かり」としています。



貝層は、史跡の北側約5㍍の民有地に設けた試掘溝で出土しました。地価1.5

㍍にある黒色土層(厚さ40㌢)に、縄文人が食糧にしたハイガイやカキの貝殻、

動物の骨などの破片が大量に交っていました。貝塚は当時の海岸線に接して形

成されており、今回の発見で北側の内陸方向に遺跡が広がっている様子が想定

できます。

史跡北側の別の試掘溝では、熱を受けた赤い焼土層(厚さ数㌢)も確認しました。

直上の土層からは縄文土器片やサヌカイト製石器が出土しており、安東康宏・市

教委生涯学習課係長は「縄文人が火を使った、生活痕跡の可能性があります」と

話しています。



津雲貝塚は縄文後期~晩期(約4500~3000年前)を中心に形成されたようです。

大正期の発掘で貝塚と約170体もの縄文人骨が発見されています。1968年に一

帯の約3500平方㍍が国史跡に指定されましたが、貝塚の規模や集落の有無など

不明な点も多く、市教育委員会が約1世紀ぶりの発掘調査を行って居ます。