先ず最初の画像ですが、出発時間などはこれでは分かりませんが、本日今

頃は既に「中国電力㈱島根原子力発電所見学会」参加のため、すでに岡山

県を越えて鳥取県に入り、お隣の島根県に向かって走行中ではないかと思

いますので、未来記事で書いています。もう1時間で原発に到着し、13時前

位までに見学と昼食になり、30数㌔離れた出雲大社に参拝して帰る予定に

なっています。記事に書けたらまた後日と言うことにさせて下さいネ。





実は16日に思いついて、あと5日に迫った東寺百合文書も一部含まれる「新

見荘」の展示を見に「岡山県立博物館」に行ってきました。
予定には無いよう

でしたが近くの高等学校の団体参観が有り、竹原学芸課長が展示解説をなさ

っていましたので、高校生に交じって(笑)聞かせて頂きました。



展示内容についてはすでに当ブログでも紹介(最近記事は16日です)させて

頂いている内容には、東寺が派遣した僧の祐清が斬
殺された経緯などが、新

資料の発見に依り明確に成った部分など、各資料の内容の説明なども直接伺

うことができ、より的確に理解することができました。



上の画像の文書は、祐清の遺品などの報告一覧と、最後の三行は下揃いで

書かれていますが            これ三の事ハ、ゆうせいの
                        かたミにもみせられ候ハ
                        いかほと候うれしく候  たまかき


と書かれており、「白い小袖」「つむぎ表」「布古」の三点を祐清の形見として

頂けたらと書いています。

また言い伝えではありますが、中国道の新見ICから西に向かい数㌔先のト

ンネルのすぐ手前に祠が有り、そこが祐清殺害現場との説もあるやに聞き

ました。確かに私が地元でこの話を知ったのはずいぶん以前ですし、新資

料などによる新説や新事実も興味深いものでした。

帰る前に、学芸課長さんに御挨拶したのですが、昨年10月11日にたまが

き書状の東寺宛ての文章をブログアップしたのですが、「Nさんが書いて下

さっていたのを拝見しましたヨ」って言われてしまいました。(^_^;)

いよいよ会期も今日・明日のみですが、お時間の取れる方は是非ともお運

び頂き、私も22年間住んだことのある新見について、知って頂けたら嬉しい

です。

  こんや帰宅するのは20時半以降になりそうなので、コメ返、ブログへ
  のコメントは翌日に成るかも知れませんが、なにとぞご容赦のほど。