先日FBで、白河の観光協会の知人が、11月30日(土)に、JAしらかわセレモニープラザで開催される

講演会「山田方谷に学ぶ改革成功の鍵」を紹介されました。方谷の顕彰をしているのが、高梁を中心と

した岡山県以外でもと、ちょっと嬉しくなりました。高梁市にある「高梁高校同窓会東京支部の皆さんの

働きかけで実現したそうです。その高梁では、来月2・3日はお城まつり秋の陣が予定され、岡山新選組

準備会も参加させて頂き、パネル展示やパフォーマンスのほか、東日本大震災の被災地支援で「東北の

物産販売」も予定して居ますので、良かったら是非お越しいただいて、物販に協力頂けると嬉しいです。


さて、方谷の話題の追補ですが、実際は9月の行事の紹介に成ります。

【山陽新聞の夕刊】で、10月9日付けで紹介して居ますので、その記事からの紹介です。


東京都千代田区の二松学舎大学で開催されたのは、幕末備中松山藩の藩政改革を成功に導いた、山田方

谷(1805~1877)の理念や志を学ぶシンポジウムです。

会場と成ったのは、方谷の弟子で、岡山県倉敷市出身の三島中洲が創設した漢学塾・二松学舎が前身です。

基調講演には徳川宗家19代目で、翻訳家・政治経済評論家の徳川家広氏が立ち、パネルディスカッションで

は方谷の子孫の野島透・財務省九州財務局長を司会に、6氏が熱心に意見交換をしたと新聞は報じて居ます。


 映画化された「武士の家計簿」などの著書がある、歴史学者の磯田道史静岡文化芸術大准教授(岡山市出身)

は、備中松山藩で財政責任者の元締役を務めた方谷の業績を「歴史上、レベルの高い改革とたたえました。

方谷は現在の数百億円に当たるとされる10万両の借金を、7年間で同額の貯金に換えた。原動力に成ったのが

鉄製品やタバコを生産して、江戸などに”輸出”して利益を得た殖産興業だと言う。明治維新の核となった薩摩藩

と比較し「日本の植民地化を防いだ薩摩だが、民は本当に貧しかった。方谷は藩を立て直したと同時に民の懐も

温めた」と評価したそうです。


 情報公開と言う手法を「一番参考に成る」と注目したのは、伊原木隆太岡山県知事でした。「県財政は非常に厳

しい。県庁職員や教師の給料を減らして対応しているが、多くの県民はそれを知らない。状況を説明しながら、新

たな取り組みは、デメリットも示しながら政策を進めたい」と述べました。


橋本徹日本政策投資銀行社長(高梁市出身)は「利は義の和なり」という言葉を取り上げ、「義を重ねていくと、正し

い利益も積み重なる」と解説。「お客様だけでなく、従業員、株主へのサービスを積み重ねれば、短期的には収益

に成らないかも知れないが、中長期的にはきっちり利益が得られるはずだ」としました。


方谷が仕えた備中松山藩主・板倉勝静が、鳥羽伏見の戦いに参戦した際、江戸帰還を促す方谷の手紙を受け取

り、それを拒否したエピソードを披露したのは、板倉家19代目当主の板倉重徳氏(川崎市在住)でした。「方谷は、

勝静を『強情』と書き残しています。本当にそう思って居たかは定かではないが、2人の間には、本音で語り合える

絆が有ったと思う。」加えて「ちなみに私も良く頑固と言われる。」と話し、会場を沸かせました。


「『私心が有ってはいけない』『透明度のある政治をして説明責任を尽くせ』と方谷は厳しく言って居る」と逢沢一郎

「山田方谷の志に学ぶ国会議員連盟」幹事長は言って居ました。NHK大河ドラマ化を目指す運動に触れ「力を合わ

せて頑張りましょう」と呼びかけました。


桜博子東京岡山県人会女性部会長(総社市出身)は、幼いころの思い出を話し、「父が『伯備線の方谷駅は、日本で

初めて人の名前がついた駅だよ。幕末に一生懸命、藩の財政を立て直した偉い人』と教えてくれた。もっと多くの岡

山県人が、方谷の事を知るように、小学校の副読本で紹介して欲しい」と伊原木知事に投げかけて居たそうです。


  「山田方谷の志を学ぶシンポジウム」は9月に首都圏の財界人や岡山県関係国会議員らが開催しました。
  約500人が参加して、NHK大河ドラマ化を進める署名も募ったと伝えて居ます。

      そして番外の個人的と言うか、新選組にもチラッと関係する話は、来月板橋で新選組
      サミットも開催されますが、駅の前の近藤・土方の供養塔や、新八の墓碑が有るのは
      「寿徳寺」さんの境外墓地ですが、2007年1月に亡くなった寿徳寺の前和尚・新井慧
      誉師は、二松学舎大学の教授だったのです。何か因縁みたいなものを感じました。