春の岩手旅行記



 TODAY'S
 
高村光太郎 独居自炊






メトロポオル

智恵子が憧れてゐた深い自然の真只中に
運命の曲折はわたくしを叩きこんだ。
運命は生きた智恵子を都会に殺し、
都会の子であるわたくしをここに置く。 
岩手の山は荒々しく美しくまじりけなく、
わたくしを囲んで仮借しない。
虚偽と遊惰とはここの土壌に生存できず、
わたくしは自然のやうに一刻を争ひ、
ただ全裸を投げて前進する。 
智恵子は死んでよみがへり、 
わたくしの肉に宿つてここに生き、
かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。
変幻きはまりない宇宙の現象、 
転変かぎりない世代の起伏、 
それをみんな智恵子がうけとめ、
それをわたくしが触知する。
わたくしの心は賑ひ、 
山林孤棲と人のいふ 
小さな山小屋の囲炉裏に居て 
ここを地上のメトロポオルとひとり思ふ。

〜智恵子抄より〜昭和24年10月



智恵子の死から11年。
岩手は大田村で独居自炊の生活になって4年余り。

高村光太郎、66歳の時の詩です。



私と智恵子抄との出会いは、
亡き父が暗唱する『樹下の二人』



中学生の頃、
学校に『道程』の詩が掲げられていました。


高村光太郎や長沼智恵子、
智恵子抄に興味を持ったのはその頃からです。



時は流れ、
宮沢賢治を研究する先生と花巻市を訪ねた際、
高村山荘にも足を運びました。
宮沢賢治との縁も深いとのことで。


奥の建物は高村山荘を護るために建てられた第二の上屋です。


明治時代にはニューヨークに国費で留学し、
ロンドン、パリにも在住した光太郎。


その高村光太郎が今にも倒れそうな
粗末な小屋で7年もの月日を過ごした。


第二の上屋の内部に第一の上屋があり
その中に高村光太郎が住んた小屋が立っています。


鳥肌が立つほどの衝撃を受けました。



来訪者のために作った厠、月光殿。


明かり取りの『光』の文字は
光太郎本人が彫ったもの。
光の文字から光が差し込むなんて洒落てるなぁ…




三畳あれば寝られますね。
これが水屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のやうに美味。

〜中略〜

智恵さん気に入りましたか、好きですか。 
うしろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さん斯ういふところ好きでせう。

〜智恵子抄『案内』より〜昭和24年10月



時折小高い丘から光太郎が
「ちえこー」
と叫ぶ声が聞こえたと伝わっているそうです。



実はこの日は平泉まで行き中尊寺金色堂も見てきました。
金色堂も光り輝いていた。


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