先祖代々の宗旨とは、

江戸時代の寺請け制度で、

強制的に決められた

割りふられ、

寺に所属させられたものである

話を、

昨日しました


その後も、

戦争を経験し、

亡くなった人を何処に

おさめるか、

納骨するか、

供養するか

場所がなく、

途方にくれる時期

もあったと言う

そんな時は、

どんな宗旨でもいいですよ。お墓入れますよ

と、

人助けのように

寺の住職や、

関係者に言われて、

お墓を持った

という話を聞く


しかし、

「亡くなった人の仏事は、

その墓の宗教でやり、

おまいりする人の宗教は

なんでも構いません。

どんな宗旨でもいいですよ。」

なんて、

聞いてない!!


どんな宗旨でもいいですよ

と言われれば、

亡くなった人の仏事は、

どんな宗旨でもいいですよ。

場所がなくて困ってるんでしょ?

いいよ、うちのお墓空いてるよ

と、

うけとられても仕方ないのではないか。

だとすると、

だまされたということになる


お墓なくて困ってます

どんな宗旨でもいいよ

お墓空いてるよ

亡くなった人の仏事は、

うちの宗教でやってね

どんな宗旨でもいいよは、

おまいりする人はね


この流れ、

皆さんどう思いますか?

おまいりする人が

様々な宗旨を持っていることは、わざわざ言わなくても

当然のことのように思いますが。



    ~明日に続く~

南無妙法蓮華経🙏

なんみょうほうれんげきょう