なごやんの旅日記(78)還暦新幹線 | (新)なごやん

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名古屋からJリーグ アルビレックス新潟に熱い思いを送ります。旺盛な好奇心そのままに、アルビネタに留まらず、鉄道、芸術、SWL(短波・海外放送受信)、昆虫、等々、思いつくまま書いていきます。
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 旅日記というにはナンですが、今日、10月1日、東海道新幹線は開業60年を迎えました。

 人間で言えば還暦です。もっとも、本来還暦というのは60歳に向かう年のことを言うのでしょうが。

 

 私が最初に新幹線に乗ったのは、学生時代の春休みです。

 脳出血で倒れた祖母の介護に名古屋の従弟と一緒に大阪へ行った時です。

 もちろん、まだ国鉄の時代です。

 

 当時、新幹線は東京と新大阪を結んでいましたが、1972年には岡山まで延伸しました。

 

 そして1975年には東京と博多を結ぶまでになります。

 広島まで新幹線で行けるようになったのはこの年です。

 

 私が社会に出て名古屋を中心とした生活になると、仕事であちこち出張する機会が増えます。

 出張先はなんだかんだ言っても(なんだかんだ言わなくてもよいのだけど)東京と大阪が多く、いつでも動けるよう、新幹線回数券を "携帯" していました。

 

 1987年に国鉄は民営化されますが、だからといって出張が減るわけではなく、新幹線回数券は私の常備品のひとつでした。時には名古屋と東京を1日に2往復しました。期限内に書類を届けようとすれば、郵送より自分で行くのが速いですから。

 こんな働き方の反動が今になっての反省→働き方改革につながっているのでしょう。

 今なら、「書類はとりあえずPDFでメールに添付します。予め目を通してください。原本は別途宅配便で送ります。」でしょうし。

 

 ミニ時刻表も活躍しました。

 これはメチャクチャ便利でした。スマホをカチャカチャいじるよりよほど簡単です。

 

 今振り返ると、私が東奔西走していた時代、最も頻繁に利用したのが100系新幹線でした。

 特に今のJR西日本が所有していた「グランドひかり」の7号車18Dは常宿ならぬ常席でした。

 

 現役を退いた今は出張など稀にしかなく、新幹線を利用する機会は減りました。

 この次乗るのは10月13日、等々力へ行く時でしょうか。そう、ルヴァン杯準決勝でアルビレックス新潟が川崎フロンターレと戦う日です。

 

 60年を越え、いずれ古希を、喜寿を、米寿、卒寿、白寿を・・・と続くでしょう。

 これから新幹線はどんな変遷を遂げるでしょうか。

 

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