アルビレックス新潟からは着々と契約更新等、J1に復帰する来季に向けたニュースが飛び込んできて、私たちをワクワクさせてくれますが、それはそれ、クラブにお任せということで、今日は新聞記事の話題です。
朝日新聞(名古屋版)12月9日(金)の夕刊に世界のサッカー切手を集めている人の話が載っていました。夕刊ながら1面トップです。
世界中となると、何千種類(枚)、何万種類(枚)の話なのでしょうが、まさに切手で学ぶサッカー史ということで、面白く読みました。
パラオで発行されたなでしこジャパン優勝記念切手とか、セントビンセント・グレナディーンで発行されたJリーグ初年度ベストイレブンの切手とか・・・
ご本人は8,000種くらいまでで切手の数を数えるのをやめたそうです。
で、私はどのくらいサッカー切手を持っているだろうかと思い、ストックブックを覗いてみました。フィラテリスト(切手収集家)ではない私は、もちろん、切手の絶対数がそれほど多いわけではありません。
探ってみたら、わずか4か国の5種類しかありませんでした。
それでもブログネタにする図々しい私です。
【日本】
私の手許にある日本の切手はただ1種。1964年東京五輪のため、五輪に先行して発行された寄附金付き切手です。
1961年から発行されたシリーズの最終回(第6回)にようやくサッカーが登場しました。単片での発行は1964年6月23日のことで、ここに示した小型シートは6回分まとめて8月20日に発行されました。
あの頃は、日本全体がオリンピックに沸いていましたからね。
新潟では大地震がありましたが。
【中華人民共和国(中国)】
インドネシアで1963年に開催された第1回新興国競技大会(GANEFO)の記念切手です。
GANEFOは、その頃台頭してきていた中国やインドネシアを中心に、オリンピックに対抗するスポーツ競技会として設立されたもので、社会主義国を中心に開催されました。
当時、UN(連合国家群、いわゆる国連)を脱退したインドネシアが政治がらみで牽引したこの大会は、スポーツと政治の観点から国際オリンピック委員会(IOC)の理解を得られるものではなく、IOCは、この大会に参加した選手はオリンピックに出場させないと警告しました。
翌年にオリンピック東京大会を控える日本オリンピック委員会はIOC同様、この大会に反対し、国としての選手は派遣せず、一部の"有志"が参加しました。このあたりのいきさつについてはあまりよく知られていませんが、近年の論文*に比較的詳細に記載されているので、興味のある方はお読みになられるとよいと思います。インターネットからも閲覧できます。
*冨田幸祐(ただし祐の偏は「示」):新興国競技大会(GANEFO)における日本選手団参加問題と日本政府:外務省外交資料館所蔵資料を手掛かりとして.体育学研究,2018;63:707-721
この切手を私がどうやって入手したのか不明です。
中国にペンパルがいたわけではないので、多分、北京放送(現 中国国際放送)から送られてきた郵便物に貼ってあった切手を剥がしたのではないかと思います。
【朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)】
上の中国の切手で述べた「GANEFO」の記念切手で、サッカー選手が描かれています。
ただ、この切手の発行年が1965年になっていて、その年にはGANEFOは開催されていないので、この切手の発行理由は不明です。フィラテリスト、あるいはGANEFOに詳しい方ならご存じかもしれません。
(축구:サッカー; 가네포:ガネフォ)
この国にも私のペンパルがいたわけではなく、朝鮮中央放送(現チョソンの声放送)からの封書に貼ってあったものを剥がしたのではないかと思います。それ以外に私と北朝鮮の接点はありませんから。
【ハンガリー】
第3回サッカーワールドカップ1938フランス大会の決勝でハンガリーがイタリアに2-4で敗れたものの準優勝した記念です。私が生まれるずーっと(笑)前のことです。
この当時、ハンガリーはまだ王国でした。
この切手の入手経路は上の2枚以上に不明ですが、ハンガリーには複数のペンパルがいましたから、そのうちの誰かが送ってくれたか、頻繁に交流のあった「ラジオ・ブダペスト」から送ってもらったかのどちらかではないかと思います。
発行年(1938年)からすると、当時の放送局やペンパルからの郵便物に貼られていたとは考えにくいからです。
(Olaszország:イタリア;Magyarország:ハンガリー)
ハンガリーのサッカー切手がもう1枚あります。
東京オリンピックから4年後の1968年にメキシコで開催されたオリンピックを記念した切手のうちの1枚です。
この切手の入手経路ははっきりしています。私のハンガリーのペンパルの一人から送られてきた手紙に貼られていたものです。恐らく初日カバー用の封筒と思われます。
消印が1971年3月18日になっているので、五輪から3年後のことです。書留郵便で、切手の合計金額は8.4フォリントです。当時、ハンガリーから日本までの通常の航空便料金は4~5フォリントでしたから、この書留郵便はそこそこ高額です。書留で何を送ってくれたのか。・・・今となっては忘却の彼方です。
それか、初日カバー用に既に8.4フォリント分の切手が貼ってあったので、それをフル活用するため、普通の手紙を敢えて書留にしたのかもしれません。
それほど多くの切手を持っていなくても、様々な側面から眺めるとまた面白いものです。他のテーマ(私の趣味、娯楽に合わせ昆虫、鉄道、美術等)も含め、もう少し系統的に整理しておけばよかったと反省していますが、今から整理し直すかというと、そこまでのエネルギーは・・・ありません。
見方をいろいろ変えればブログネタにはなるかな?とか・・・
でも、今後、どのように処理するかの方が重要です(笑)。
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