一年と惰性と段落 兄弟編 | 鉄火の轍

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主に日記と趣味のお話だったり
時々お料理ブログになってみたり。


改めましておはこんにちばんは。


前記事の続きです。


あ、パート2と早々の段階で申し訳ないけど、

この記事結構湿っぽいお話になることが予想されますので予めご了承ください。


これ以降のパートは楽しい感じにするから許してね。


子供やペットの思い出の写真 ブログネタ:子供やペットの思い出の写真 参加中


これはもうあの写真しかない。


コレ↓









かわいいっしょ。我が家の愛犬。

高校の時に撮った渾身の一枚。

自分の部屋においてあったドーナツ型のクッションを見て


「お、コレは…」


と閃いてすぐさまおやつで釣っておすわりさせ

カメラの横におやつ構えたまま撮ったんだよね。


カメラ嫌いだからこうでもしないと大人しくしてくれんのよ。

今でもすごく思い出に残ってる写真の一つです。



今年、この写真が今までよりずっと大事になりました。


2月の17日に死んじゃったんですよ。コイツ。


それよりも前から全然吠えなくなったし

俺のベッドにも登れなくなったし

ちょっかい出しても反応薄くなったし


漠然といよいよかな…って気はしてたんだけどね。

それでもきっとまだ生きててくれるだろうと思ってた。


それが2月になって更に元気がなくなって

中旬にもなると立ち上がれなくなっちゃって


それで17日の夕方、

もう寝たきりで起き上がってこなかったコイツの横で

バイト前の晩ごはんの準備してたら


急に「カハァッ!!」って息を吐き出すような声がして


どうした?って声かけて横にいったら

また「カハァッ!!」って声出して、

目は瞳孔開いてて今までに見たことないような牙の剥き方してて


あぁ、死ぬんだなってすぐわかった。


最期だと思ったら

心臓まだ動いてるかとか

とにかくありがとうくらい言わないととか

傍にいてやらないととか色々頭の中駆け巡って


胸に顔当てながら


ありがとうな。今まで楽しかった。


って言ったらそのまま心臓の音が聞こえなくなった。



すごいね。もう一年近く経つのにこんな思い出せるもんなんだ。


当然って言えば当然なのかもしれないけど…

一緒に暮らしてた家族が居なくなるっていうのが初めての体験だったから。



それで、父さんと母さんが仕事だったから看取ったのが俺一人だったんだけど

これがずっと引っかかってて


俺一人しかいなくてよかったのかな

しかも父さんでも母さんでもなく、

よりにもよって俺でよかったのかな

って思うんだよね。

きっと一番頼りない存在だったろうからさ。


引っかかった所で一生考え続けたって解決しないのはわかってるんだけど

やっぱりどうしても気になる。



でも、犬は死に際に独りだと飼い主の帰りを待って死ぬっていう話があったり


たまに行ってる喫茶店のマスターにこの話をした時


「他で飼われてたら病死したかもしれないし

もっと酷い目に遭ってたかもしれない。

それを老衰で最後まで生きてられたんだから幸せだったろう。」


って言われたりして

俺でもよかったのかなって少しだけ思えた。


もし本当に家で一緒に暮らして、

俺だけでも最期一緒にいてよかったと思ってくれたんだとしたら

これ以上に嬉しいことはない。



とはいえ立ち直れたかと言われればそうでもなく、月並みな言い方だけど

今でも心に穴が空いたような、ずっとどこか上の空な気分。

これが前の記事の「長い夢から覚醒めさせられたような年」って思う理由の一つ。

だってそうじゃない?

14年間当たり前のように一緒にいた奴が急に居なくなるんだよ?


学校から帰ってきて「ただいま」って

話しかけるだけの何気ない時間、


ちょっかい出したら俺の上にのしかかってきて

顔を噛んだり舐めたりしてきたあの感触、


昼寝から目を覚まして家の中を歩きまわる足音、


たったそれだけの事がどれだけ俺にとって大きな意味があったか、

どれだけ毎日癒やされてたか、

いなくなってこんなに思い知らされるとは思ってなかった。


もう一回だけ、いっそ夢でもいいから

また遊んでほしい。吠える声から毛の匂いまで全部が恋しい。

そしてやっぱり最期に何を思っていたか教えてほしい。


所詮は血のつながりもないペットだけど

紛れも無くアイツは俺の兄弟だった。

あの世でまた会えるのを楽しみにしてるよ。



さて、予想通りだいぶ湿っぽい話でした。


次からは良い思い出の方に触れるつもりだから気分明るくしてくよ。

じゃ、一旦終了次回に続く右矢印


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