元々この話題に触れるつもりはありませんでしたが我慢できなくなりました。

 

沢田君の年賀状について 小山田圭吾

「それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ、人に年賀状とか出さないんだけど、僕のところには何か出すんですよ(笑)。で、僕は出してなかったんだけど、でも来ると、ハガキに何かお母さんが、こう、線を定規で引いて、、そこに「明けましておめでとう」とか「今年もよろしく」とか鉛筆で書いてあって、スゲェ汚い字で(笑)。」(P.57-58)



『クイック・ジャパン』(1995年8月号)から引用

今回の炎上を受けて、小山田圭吾さんはコーネリアスの公式Twitterで16日に謝罪文を発表しました(後ほど公式サイトでも掲載)
記事の内容には事実と異なるものもある(間違っている箇所の説明はなし)

 

 養護する方もいらっしゃいますが・・・「全文を読んだら印象が変わる」だの「音楽に罪はない」とか。受け取り方は人によって違いますから否定しませんが、まず全文読むほどこの人に興味はありません。あと芸術はその人の感受性なので作った人もその作品の後ろに見えます。だから私はあまりいい印象はありません。

 

 私はいじめられた方なのでそちらの目線から話させて頂くと、この雑誌で沢田君に対談を持ち掛けたとの事ですが「もう思い出したくない」と思っている相手、しかも何の前触れもなく・・・。母親は昔のいじめの事を知らない・・・。この時沢田君はお母さんの顔を見ますが私にはお母さんに助けを求めた様に思います。その後母親からお断りの連絡が来ましたとありますがその理由は書かれていません。そもそも自分の子供で昔のいじめを知っていたら子供にもこんな話を持ち掛けません。私も小学校の時(初恋とは思いたくなかった初恋)を書いたようにいじめられた当事者といじめた当事者2名づつ担任に呼ばれて「お互い言いたい事を私の前で言いなさい」と言われたが・・・。「馬鹿が、言えるわけないやろ」と思いました。まして家でそんな話を母親に出来ませんでした。昭和1桁生まれの父の耳に入ればもっとつらい事にもなります。

 

 まず何で本人から対談依頼しなかったんでしょう?相手を見直しているという記事もありましたが「あいつ」呼ばわりの上自分では行動しない。それは「あいつが自分に合いに来るべきやろ、俺が何であいつの下(もと)にいかないかん!」と思ってるからでしょうね。あと相手が自分より立場が上になっていたら絶対嫌だと思いますが自分の方が立場が上と思っているからと勘繰ります。

 

 どうやったら世間から反省している事を分かってもらえるか?とか言うけどそういう人は謝罪が受け入れられる事を事を急ごうとします。早く許してもらおうなんて思ったらまずそこから間違ってませんか?

 

 次に引っ掛かったのは謝罪文の中で「記事の内容には事実と異なるものもある」と発した事。この言葉によっていじめの事実を全てうやむやにした事です。具体的に書かない事でオブラート状態ですが故意にやってるとしか思えません。人によっては「今更訂正しても仕方ない、どうせ信用してもらえない」と言われるかも知れませんが間違ったところも全て受け止めるならこの文は不要です。

 

 言いたいことは他にもありますが最後に小山田圭吾のいとこ田辺晋太郎氏(42)が「はーい、正義を振りかざす皆さんの願いが叶いました、良かったですねー!」とツイートした事。いたちっぺのつもりだろうけど世間をなめすぎ。「先程は辞任の速報を受け、取り乱して不適切な投稿をしてしまいました。ご不快な思いをされた方に対し謹んでお詫びすると共に猛省しております。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪しています。不快の上に不快を重ね、その先がわかってやる未熟さ。これで小山田一族はたとえ心底謝罪しても「鬼畜な一族」の烙印が押されますよ。