東日本大震災から9年。あの日、あの時の記憶と今想うこと。 | 言語化×手帳で3ヶ月先の未来が変わる✒︎ゆるっとみぃの等身大ブログ

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3月11日。

 

この日は毎年、

職場で行われる追悼式に出席し

海の方を向いて

黙祷を捧げていました。

 

今年は一人で

地震発生時刻に

海の方に向かって

手を合わせました。

 

目を閉じて風の音に耳を澄ませる間中、

いろいろな思いが駆け巡りました。


あの日の津波で、

仙台市街地に近くて

海から離れた私の自宅からも

海が見えるようになってしまったこと。

 


震災の翌朝、

太陽に照らされて光る大地に

心の底からゾッとしたこと。

今まで見たこともない

その朝の光景は内陸の方まで

津波が襲ってきたことを

表していました。

 

 

image

 

私は地震が起きてからずっと、

自分は被災者ではない

という思いを抱えていました。

 


自宅マンションは

大きな亀裂が入り、

壁が剥がれ落ち、

 

部屋の中も

ぐちゃぐちゃに物が散乱し、

引き出しが出ていたり、

水浸しになった場所もありました。

 

 

職場の建物も天井が割れ、

壁に亀裂が入りました。

 

構内の道路は割れて盛り上がり、

ところどころ大きく歪み、

崩れてしまった建物もありました。

 

沿岸部のような

津波の被害はありませんでしたが、

日常の景色とは全く異なるくらい

大きな被害がありました。

 

そんな状況でも、

私には住む場所がある。

 

ライフラインが使えなくなり、

食べ物を手に入れるために

行列に並んだりしたれど、

沿岸部の甚大な被害を

前にしたら、全然被害がない

と思えました。


震災から時間が経ち、

沿岸部の惨状が報道される度に

この思いが強くなり、

 

震災から数年間は、

どこか別の世界で起きたことの

ように感じていて、

あの日の映像や被災体験を聞いても

涙が出てくることはありませんでした。

 

また、

お互いの被害状況がわからないため

震災当時の話をすることや、

話を聞くのをためらうことも

よくありました。

 

 

 

お互いの体験談を語ったり、

今日はお墓参りに行くなど

話をするようになった

5、6年後、

甚大な被害を受けた知人、

被災地に家族、親戚がいる人の話に

涙するようになりました。

 

私は、周囲とあの日の体験を

話すようになってから

ようやく、震災当時のことを

捉えられるようになったのです。

 

それは、

みんな、みんな、

私と同じように

複雑な気持ちを抱えながら

時を紡ぎ、生きていたことを

知ったからです。

 

 

被災後すぐは難しくても、

数年の時を経てからでも、

互いの経験を話したり

悲しみに心を寄せることが

どれほど人を癒し、

勇気づけることなのか。

 

人は人を支え、

人を癒すことのできる

力を持った存在なのだと

深く感じています。

 

 

 

追伸:こちらの写真のいちごは

被災地の石巻産のとちおとめです。

 

宮城県には、東北一のいちご生産量を誇る

亘理町、山元町もあります。

平成30年には、12年かけて開発された

宮城県育成の新品種

にこにこベリーがデビューしました。

 

震災を乗り越えた宮城のいちご

ぜひご賞味くださいね!