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チョコミントの部屋

日々の出来事や感じたこと、おすすめ情報など綴っていきます。

母がずっと食べたい食べたいとジェスチャーするので、姉がお饅頭を少し潰してあげられないだろうか?と嚥下指導の先生に聞いてみたら、やはり誤嚥の可能性があるからダメということだったけど、ミキサー食ならあげてみましょうということになりました。

で、病院食も昼に1回用意していただくことになりましたが、最初は姉たちが母の好きなものを6種類、ゆるいおかゆ状にして持参し食べさせてもらいました。私はリモートで見学。


水やりんごジュースはスポンジにしみ込ませて飲ませてもらっていたけどスプーンで食べるのはプリンだけだったので、他の食材は久しぶり。


母の歯茎の力がすごいので、プラスチックスプーンは使わず、 金属のカレースプーンに半量ほどをゆっくりと口へ。


しっかり飲み込めているので、6種類を1口ずつ次々と口へ。

一通り飲んだらおしまい。


母はもっとちょうだいとは言わず満足して寝たそうです。


母に食べたい意志があるのに、ただ見守るだけって、誰も口にしないけど餓〇 させてるみたいな罪悪感がある。だからみんな安堵した。


パパのお母さんの時は施設にいて、認知症でほとんど 反応も薄い感じ だったけど、 食事は出てたし、胃ろうしますか?と聞かれなかったから食べていたと思う。そしてある日様子がおかしいと聞いてからは3日ほどで亡くなった。

まだコロナの制限がかかっていた時期だったので、あまり面会もできなかった。

だから、パパのお母さんはまだどこかにいるような気がする。


母の老衰はなかなかきつい。


今日かもしれないけど1ヶ月先かもしれない。


1つよかったのは坐骨神経痛で入院したおかげで職場にすぐ戻らなくても済んだこと。


迷惑かかるから、一旦辞めますって言ったけど、待ってますと言って下さり、母の件もあったから、退職にしてもらって誰か雇って下さいと言った時も待つと言って下さいました。


少し前ならこんなに長く休めなかったと思う。


更にパパに年金が入るようになったから私が働かなくてもなんとかなっている。


タイミングはとてもよかった。


兄も継続雇用終了で無職だしね。


この期間でみんな色々考えたと思う。


老い、老後、相続、終活、死に方…


死に方は自分じゃ選べないけど…


母のことが終わったら体力があるうちに断捨離しよう。捨てなきゃいけないものがたくさんある。


でも問題なのは私よりパパの執着。


案外どの部屋にもパパの捨てられない服があるのよね。以前から何回もいらない服は捨ててって言ってるんだけど…

看取り期に入って半月経ちました。


私は実家に泊まったり姉2人の家に泊まったりしていました。


実家には昔たくさん布団がありました。


子どもたちがみんな子どもを連れて帰って来た時のために用意してくれていたのです。


でも母が高齢になり、管理が行き届かなくなって劣化してしまいました。それで、ほとんど処分し、2組しか布団がありません。

兄が1人でいる時は私は実家に泊まりますが、兄嫁がいる時は私は姉たちの家に泊まります。


兄嫁の義理のお兄さんもちょっと大きな手術があり、そちらにも行っていたので、その間は私は実家にいたのですが、兄との暮らしがなかなかに苦痛。


これまで兄とは兄が18歳 で家を出てから、冠婚葬祭以外あまり接点がなく話題がありません。


1度用事があって自宅にもどろうかなと言ったら、


それはあなたが決めることで、俺がどうこう言うことじゃない…と。


そりゃそうだけど…


それに兄はいつも私に丁寧語なのです。


まあ、大人だしね、当たり前なのかもしれないけど、もう少しフレンドリーでよくない?


で、私はいつまでも姉や兄に甘える大人になれない自分を反省してしまう。


兄も暇だから家のメンテナンスを始めた。


未婚の息子も何回か泊まりに来た。


兄は福岡にマンションを買っているし、兄嫁は通院の必要があるので、実家に永住するつもりはない。

だけど、兄嫁や息子、娘ファミリーが泊まったら、もう私の実家じゃなく兄の家なんだと思った。


で、更に居候がつらくなり、自宅に帰って来てしまいました。


あとね、母を見ているのがつらい。


ただただ、栄養がもらえず衰弱していく母を見てるだけってなかなかつらい。しかもまだ少し意識があるのに…


お腹が空いて何か食べたいとしきりにジェスチャーする母に誤嚥が心配だからあげられないのよと断るつらさ。


母を眺めていたら、自分がくも膜下出血で入院した日々も思い出して息が苦しくなる。


姉が久しぶりにラーメンを食べたいと言って初めて行ったお店で1口食べておいしいと思った途端に涙があふれてきた。ちょうどテーブルにティッシュが置いてある店だったので熱さで鼻水が出てきたのを拭くふりをしながら涙も拭った。


精神不安定だなと思ったので帰って来た。


自宅に帰ったら帰ったで、いつ危篤で帰らなければいけないかわからないから仕事もできないし、食材もたくさんは買えない。


1ヶ月の入院から始まって2ヶ月半仕事をしてないと、認知機能まで低下して、記憶力、集中力が一気に低下。


人の顔は思い出しても名前が出て来ない。


ボケないようにせっせとケータイで語学の勉強をしたりゲームをしたりしてるんだけど…ゲームも前ほどしなくなった。


リハビリもほとんどしてない( -.-)


この期間が私たちの生活に及ぼす影響は大きいな。




母の消えそうな命を毎日見つめていたら色んな気持ちがたまっていました。

 

それが、先日の夜中の雷で目が覚めてから急にあふれてきて、久々のうつ。


心がザワザワザワザワします。


しばらく自宅にもどることにしました。





看取り期の期間は個人差があるみたいです。


管を抜いて当日の人もいれば数ヶ月もちこたえる人も…


とりあえず母は27日に管を外してから9日経ちました。


今日は手足がパンパンに腫れているようです。だんだん水分が吸収できなくなっています。



母は脳梗塞で左側が麻痺しています。梗塞の状態も処置できる段階は過ぎているとのことで特に手術とかはなく、内蔵もかなり悪い状態であること等から、鼻からの酸素とわずかな点滴以外の管を外すことになりました。(これを病院では看取り期に入ると言うみたいです)


脳梗塞とはいえ、はっきりとわかる 単語も言ったり 、私たちの質問に首を振ったりうなずいたりもします。


右手も よく動かします。


兄と姉2人と交代で病院に面会に行きます。


そうこうしているうちにお誕生日を迎え、93歳になりました🎉


お母さん、お誕生日おめでとうって言ったら、 「ありがとう」と応えました。


とても看取り期に入ってるとは思えないです。