実家を出て短大の2年間は姉と香椎の新築の賃貸マンション に住みました。2DKで5階。後にも先にも高層階に住んだのはこの2年だけ。
新築だったけど、数年前に駅周辺の再開発でなくなりました。
20歳で就職した時、会社には寮がありました。寮といっても賃貸マンションの3DKの数部屋を会社がかりていました。1部屋は共用室で、朝ご飯だけ寮母さんが作ってくれていました。寮母さんは人事課の女性。ご主人を亡くして母子家庭。お子さんは2人。寮の1部屋は寮母さんのお宅。だから住み込みに近いかたち。
携帯電話のない時代。共用室にのみ公衆電話があり、寮母さんか、たまたま共用室にいる人が電話に出ます。共用室にはテレビもあり、お部屋にまだテレビがない新人はよく集まって見てました。
3DKの部屋に1部屋ずつもらえるのは2年目からで、新入社員が多い時は6畳に2人とかもありましたが、私たちの時は1部屋ずつもらえました。
寮費は朝ご飯、光熱費込みでなんと一万円!
給料は安かったけど、これは助かりました。しかも桜坂にありました。
今の地下鉄桜坂駅のすぐ近くでした。地下鉄桜坂駅ができるかなり前には建て変わり、寮も廃止になりました。
寮母さんはご主人が亡くなった時の保険金と、寮母で住宅費を節約してお金を貯めたらしく、3つマンションを持っているとのうわさ。
今思えば朝ご飯なのにやたら品数も量も多くてたくさんあまってた。
さては、残りをお子さんのお弁当や夕ご飯に回して、食費も節約してたんだな😁
ただ会社との往復の日々だったけど、青春真っ只中の思い出満載でした。
寮に3年いて、結婚するまでは一人暮らしをしました。
結婚してからもたまに機会があれば、アパートあるかな~と見に行っていたけど、こちらもかなり前にマンションに建て変わりました。
つきあい始めて通ったパパの一人暮らしのアパートも宅地に変わりました。
友人のアパートもほとんど残っていません。
実家を出て40年の月日をしみじみ感じます。
そんな中でも残っているお店なんかを見つけるとうれしくなりますね。
代替わりしてお子さんが継いでることが多いけどね。
自分より少し先輩のご店主もみなさんそろそろ引退される時期。継ぐ人がなく、店舗だけ残っているのもさびしい限り。
島に帰った時、昔の島の中心地を回ってみたら、ほとんどシャッターが締まった状態。
たぶん同級生のほとんどは島にいない。
今のマンションに引っ越してから同窓会がないから、私は同窓会でも住所不明のリストに入っていることだろう。
そんな人がいっぱいいるに違いない。
40年って色々変わるもんだな~