私のおばはもう亡くなりましたが、脳性まひでした。
赤ちゃんの時に子守りの方が落として運悪く石に頭をぶつけて脳性まひになったそうです。
昭和の初め頃です。
その頃は障害者は差別されていて、なるべく人前に出さないようにしていました。
私のおじいちゃんが住んでいた離れの奥に部屋があり、おばはそこにいました。
親戚が集まる盆正月にもそこから出ることはありませんでした。
離れの裏側に行くと窓がありおばはたまにそこから顔をのぞかせていました。当時の私は幼稚園くらいで目が悪く、その頃のおばの顔は覚えていません。おばちゃんであることは聞いていましたが、話しかけられても発音が悪く、理解できませんでした。少しこわいような…でもなんだか親しみをこめて声をかけてくれているような気もしていました。
年に1回見かけるか見かけないかくらいでした。小学校の中学年あたりからは寝たきりになって窓から声をかけることもなくなりました。
そして私が短大の頃に亡くなりました。
久しぶりに見るおばちゃんは体は曲がり髪は白髪でした。60歳前後だったと思いますが老婆のようでした。
亡くなった時にキリスト教の神父さんがいらして頭にレースをかけてもらっていました。
その姿を見た時、私は生前元気な頃に車椅子に乗せて散歩をしてあげればよかった。親戚が集まるときに一緒に座らせてあげればよかった。と思いました。
当時は車椅子も簡単には手に入らなかったからできなかったんでしょうけど。
今パラリンピックの開会式で色んな障害のある方が生き生きとパフォーマンスするのを見ながら、おばちゃん、いい時代になったよと心の中でつぶやきました。
小学生の頃宮城まり子さんのねむの木学園に興味を持ちました。
乙武洋匡さんの「五体不満足」は買って読みました。
障害は特徴の1つなんだと思いました。
私が障害をもったら耐えられるだろうか?
きっとパフォーマンスされた方々もつらい日々を経験されたことでしょう。
それでも今は生き生きとしていらっしゃる。
なんなら、私のできないことをしてらっしゃる。
すごいなと思います。
1番の障害はできないと思う心ですね。
健康なのにできないと嘆くのは失礼だなとも思いました。
むしろ、障害を克服した方はパワフル。
小学校の先生をしていた姉が障害のある子どもたちのクラスを数年間担任したことがあります。
小学生だから親御さんも心配で離れられない方もいたみたいです。気持ちはよくわかります。でもやはり親御さんが信じて見守ってあげると障害のあるお子さんもちゃんと力を発揮します。
音楽をしている子もいました。同じ障害の方とグループで演奏会もされていました。
絵が好きな子もいます。毎年姉にその方の描いた絵のカレンダーが送られてきます。
かなり重度のお子さんもいましたが、その子もゆっくりゆっくりですが慣れていきました。
みんな違ってみんないい。
まだまだ偏見は残っているけど、それを許さない世の中になっているのがうれしい。
おばのように世間から隔離された人生を送る人がいてはいけない。
どんな姿に生まれても普通に生活する権利があります。
障害のある方が勇気を出して手伝って下さいと言わなくてもいい世の中になるといいな。
〇武さんは障害者をポジティブにとらえられるようにしてくれた人だと思う。浮気事件さえなければ、開会式に出てもいいくらい…残念だな。
妊婦の時、我が子に障害があったらどうしようと不安になった時期もありました。そんな時に障害のあるお子さんを育てていらっしゃるお母さんがテレビでおっしゃった言葉を聞いて、神様がこのお母さんなら育てられると思って与えて下さると思おうと思いました。
どうか、神様から特別なお子さんを与えられたお母さんは悲観せずまわりを頼って下さい。隠さずオープンにして下さい。きっとまわりが助けてくれます。
生まれつき頭蓋骨がいびつなお子さんがいました。初めて見た時、少し驚いたけど、お母さんは隠さず普通にしていました。同級生の親御さんたちにも彼のことを話して理解してもらっていると人伝えに聞きました。だから彼は今でも隠さず、とても明るくすごしているらしいです。
パラリンピックの開会式、ちょっと難解ではありましたが、一生懸命にパフォーマンスされる姿に色々思い出したり考えさせられたり感動したりしました。
私もかなりの近視で、コンタクトレンズができていなければ障害者手帳をもらおうかと思ったと母が言っていました。
障害のある方が普通に生活するには段差や階段や色んなことに工夫が必要ですね。そういうことにもっともっと目が向けられるといいですね。
だいたい、障害者って言葉もなんとかならないかな~