今朝のあさイチの話題は夫婦の関係性。
その中で出てきた最近流行ってる言葉。
私はかなり前に終了しました。パパは母子家庭だからお母さんしかいません。
お母さんは来てくれただけでありがたいというスタンスでしたが、私たち世代は嫁に行ったらお姑さんには気を遣うものとすり込まれているから気を遣っていました。
何で気を遣うのか?
長男の嫁で後を継ぐものがあれば円滑に継がせてもらうために気を遣うんじゃないのか?
とすると継ぐものは何もないし、パパは次男だし。
子どもたちの世話で精一杯だった私はいい嫁キャンペーンは切り捨てました。気に入られなくてもいいも~ん。そう思ったら甘えるとこは甘える。できることはする。ってなりました。お母さんちに行ってもうたた寝してたりしました。するとお母さんも私が来たからと気を遣わず、お母さんもうたた寝したりして。
逆に不満もなくなり、お母さんといい関係になりました。
気をつけたのは甘えたらありがとうを言うことくらいです。
お母さんは母子家庭だったから余分なお金もないし、孫に多分にお金をつぎ込むこともありません。元々子ども好きって感じもありません。なので、ご機嫌をとって、何か買ってもらおうなんて気持ちにもなりません。
お母さんが自分のために買いだめているわずかなお菓子が仏壇にあって、それを帰りに子どもたちにくれるくらいなのですが、たまに賞味期限切れもあったりして…
なのでいい嫁キャンペーンは終了。
娘になろうと決めました。
自分の親と同じように接しよう✊
するとお母さんとの距離も近くなり、おばさんとも仲良しになりました。
その頃からお母さんの記憶が少しずつなくなり、今はすっかり誰の記憶もありません。
会いに行くと「誰やろか?」みたいな顔をされますが、「お母さん」と呼ぶので娘かな?ぐらいには思ってくれるみたい。「あなたは誰?」とも聞かれませんが施設のスタッフとも思ってないみたい。こうなると元気な時のお母さんを思い出してひたすら愛おしいのみ。
私の体力があってお母さんに年金があったらお世話してもいいなと思うのですが、私はくも膜下出血で倒れ、うちで世話をするとお母さんの収入はなくなるので無理です。
まあ基本次男の嫁なんで、お気楽ではあります。
息子(長男)を婿に出してから、苗字って親(先祖)の世話を誰がするかの責任を縛り付けるものじゃないのかな?と思います。
少子化進んでるし、当人同士がよければ他人がとやかく言うことじゃないと思う。体験談とかを聞かせてもらえるのはありがたいけどね。アドバイスは歓迎だけど決めるのは本人。
配偶者の呼び方は色々あるけど、なんて呼ばれようが愛情があればなんでもよくない?愚妻って、ほんとにそう思って言われるのは嫌だけど、年配の方との会話ではへりくだる(謙譲語)のがあたりまえだったから、いくら良妻と思っていても、うちの良妻が…とは言えない時代があったのよ。
それに違和感を感じるなら、ふ~ん、昔の感じねとスルーして自分は納得できない旨をご主人に相談されてはいかがでしょう。
うちの嫁が😍と言われるとうれしいけど、うちの嫁が😔と言われると嫌な気持ちになる。
今の人に足りないのは他人の気持ちや状況を思いやること。
SNSでわかるのは起こった事情だけでストーリーは見えないんだから。
すごくすごく素晴らしい人でもつい犯罪に手を染めることもあるんだから。
すごいすごい極悪人がちょっといいことをしただけでいい人と思われてるかもしれない。
近所付き合いが減った分、私たちの見る目は機能低下しているのかも。
村八分は結局モバイルでも起こるんだな。
昔脳の私にはわかるようなわかんないような感覚。
多様化しすぎて難しい。
あ、また話それました。
とにかくいい嫁キャンペーンはしなくていいと思います。自分を大事にね。