心のお休み処 猫目堂カフェにようこそ

心のお休み処 猫目堂カフェにようこそ

あなたは疲れていませんか? 
心が疲れていませんか?
自分で出来るセルフセラピーの情報や、
問題解決の思考法などなど取り上げてゆきます。
記憶に残った日々つれづれの雑文などとともに
お楽しみいただけると幸いです。

***心のお休み処***
*猫目堂カフェにようこそ*

このブログは、livedoorでのブログ
「子どものアトリエ☆ネバーランド☆通信・・もう1つ」の
新装開店版のブログです。

店主は鎌倉でもうかれこれ15~6年
☆ネバーランド☆という、子どものアトリエと
カウンセリングルームを主宰しています。

猫目堂カフェはカウンセリングルームのほうのブログになります。

「ちょっとでいいから、話を聞いてほしい・・」
「大変って言う程大変じゃないんだけど、ちょっと辛い・・」

そんな時に開いていただけると嬉しいです。
考えるヒント、感じるヒント、生きるヒントの欠片なりと
見つけていただけるよう、書き進めてまいります(^^)
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ラッキー❤️って、普通良いことがあった時に言いますね。

私もずっと、そうだと思っていました。

 

良いことがあった時に、ラッキーなのかもって・・・

 

けれど、この頃 そんなんじゃなくても、後で考えたらラッキーもありなんだよなー・・と思えるようになってきました。

 

きっかけは、合わない髪染めをして頭がいわゆる薄らハゲになってしまった事でした。

 

ひえ〜、びっくり!!な体験です!!

 

ただ すっと指で髪を梳くだけでバラバラと髪の毛が抜けるのです。

まくらも朝には抜け毛がバーッと散乱しているし、

髪の毛を洗うと、洗面台の排水溝のネットが一発でいっぱいになり水が流れなくなる・・・

 

老けましたよ〜その時は!!

 

見た目年齢上がりっぱなしです!

 

前から見ると、頭の形のラインが丸見え。

後ろは完全に薄らハゲ。

しかも、髪の毛自体のハリも、コシもあったもんじゃない。

ゴワゴワ、ウネウネ、それでいてしんなりヨワヨワ・・・

救いようがない・・

 

もう、女としての人生終わったな・・と感じました。

あーもう!どうなりとしてくれ!!

アトリエの仕事など、人様と会う時には、部分ウイッグを着けるしかありませんでした。

 

そうしたら、心配した妹が見つけてきてくれたのがヘナでした。

 

ヘナって、以前にも何回か試した事はあったのですが、今ひとつ良い印象はなくて、好みの色にはならないし、どこがいいの?何かようわからん?と思っていた私ですが、せっかく心配してくれたのですから試す事にしました。

 

そしたら、びっくり!!

(よくびっくりします笑)

 

合計二回ヘナを乗せます。

1回目は赤くなるヘナと、ツヤが出る種類のへナで施術。

2回目は色が程よいブラウンになる施術をしました。

 

洗い流して乾かしてみたら、髪の毛が立ち上がっていい感じ。

本当には増えたわけではないんですが、髪の毛にコシとツヤとしなやかさがもどってるわけです。

しかも、いい色合いです。

 

手触りに感動すら覚えました。

 

このヘナは、基本的にヘナ髪と言われる良い髪質にするために始めの1ヶ月ほどは1週間に1度くらいのペースで自分で乗せて行くものなのだそうです。

 

頑張りました1ヶ月。

 

地肌に沢山の産毛が生えてきて、手触りはうっとりするほどしなやかになり、ハリもコシも、子供の髪の毛のようでツヤツヤです。


 

*髪の毛が薄くなってしまった時、1回目のヘナをした直後

 

*1ヶ月半後の1月の様子。けっこうフサフサしてきました。

 

色々学ぶ事もありました。

 

髪染めって、劇薬なんだそうです。

混ぜるな危険!!を、頭の上でやっているわけです。

 

顔にいくら良い化粧品を使ったとしても、一枚皮の頭には劇薬乗っけているということですからそれが良い訳がない。

そういえば、若い時からオシャレで、よくパーマや髪染めをなさる方ほど薄毛になりやすいと言いますね。

これかア!と思いました。

 

また、ヘナには粗悪品も多く、染まりが良くなるように化学薬品が配合されている もあるそうです。

確かに値段もピンキリです。

だから、どれでもヘナならOKって訳ではないらしいのですが、とりあえず、妹が見つけてきてくれたヘナには大感謝です!!!

 

薄らハゲから3ヶ月の現在は、髪の毛で悩まされることはまるっきり無くなり、絶好調です。

色合いも様々な好みに調整できるので気に入っているし、何よりもヘナに出会えたことから始まった様々な素敵な人たちとの出会いも嬉しい。

先日お会いした80代の女優さんはもうヘナ歴が長いのだそうで、豊かで美しい銀髪でした。

今からケアすれば私だって夢じゃない!(笑)

 

あの時、薄らハゲてくれて、ラッキーだった・・というお話でした。

 一度は書いておきたかったことがある、
それは、大の猫好きの私が、
今まで出会い、別れて来た愛すべき彼らの物語だ。

幼い頃から多くの猫たちとつき合って来たが
中でも心に強く残る、絆を感じた猫たちの物語を
このブログの1記事に残しておこうと思う。

言うまでもないが、このブログのタイトル
「猫目堂カフェ」のネーミングは、
私の無類な猫好きから来ている。

 物心付いた時から私の傍らには猫の友だちが居た・・
猫好きな人間の友だちではなく、「猫」の友だちだ
その中でも
初めての特別な猫の名前は「ピンキ」という。

母に聞いた所では、
私が2才頃に繁華な道路を挟んで
斜め向かいの石屋さんから
貰ってきたという。

生まれて3ヶ月ほどの茶虎の雄の子猫で
しっぽが申し訳程度しかない短さ。

しばらくの間母猫が
行き交う車の間を縫うようにして
道路を渡っては
子猫の元に通って来ていたのだが、
やがて車に轢かれてしまったという。
今なら可哀想に・・と思う所だが
2才の私には当然のことながら
この辺りの記憶は全くない。

名前の「ピンキ」は、私が付けたのだそうだ。
もちろん由来などない。
幼子の他愛無い思いつきだ。・・と思う。

当時はよくあちらこちらの家々の庭に
ネズミ用の毒餌が置かれていた。
多くの犬や猫が、この毒餌を口にして
犠牲になったのだそうだ。
或る時 ピンキも
この毒餌を誤って食べてしまった。
大変ひどい状態だったようだが、
もう成猫だったからか、
他の猫より体力があったからかは判らないが
何とか回復することができた。

しかし、
それ以来、声はしわがれてハスキーになった。
また、身体の機能を損ねてしまったのか、
度々吐いては
畳やジユータンを汚すようになってしまったので
やむを得ず外で飼うことになった。

ピンキ


外猫となったピンキは、成長と共に
大変大柄の逞しい猫に育って行った。
それとともに生傷が絶えなくなるようになった。

耳など何度も裂けては治りを繰り返していたし、
鼻の頭にひどい傷を負って来たり、
腕の付け根から血を滴らせて帰って来た事も或る。
そうこうしているうちに、
しだいに怪我を負う回数も減って来た。
顔つきもきりりと締まり眼光も鋭くなり
野性味が強くなって来た。

数々の戦いに勝ち抜いた彼は
辺り一帯を仕切るボス猫になっていったのだ。

彼が歩くと、すれ違う猫たちが道を譲り
身体を低くして忠誠を示す。
彼がゆっくりと歩く姿は堂々としており
猫であるにも関わらず
まるでライオンのように威厳があった。

彼は時折1~2ヶ月どこかへ出かけて行ってしまう。
何処に言ったかは判らない
私がぎりぎり心配でたまらなくなったタイミングに
傷だらけで、けれど誇らしげにひょっこりと帰ってくる。
縄張りを管理したり、広げたりしていたのだろうか?

 そんな猛々しい生活を送っているピンキだったが
私との関係はすこぶる良かったと思う。
私は彼が大好きだったし、
彼もまた私を誰よりも好きでいてくれた・・
そう思える。

遠征に出かけている以外の時間
彼は常に私の傍らに居た。

幼い私がおままごとをすれば、良い家族となり、
良いお客様になった。
私が創った、泥水のスープや葉っぱのお刺身やてんぷらを
律儀に一つ一つ
ふんふんと鼻を近づけてくれた。
ここに寝ててね・・というと
本当に良いというまでつき合ってくれた。

もう少し私が大きくなって習字を習い始めると
習字の先生の家まで付き添ってきて、
私が練習を終わって帰るまで、門のそばを離れず
また家まで一緒に帰った。

買い物で出かける時には
車の通りの激しい国道の手前まで送ってくれて
帰りまで待っていたりもした。

気持ちのよいお天気の休日等には
車の少ない裏道なら歩けるピンキは、
私と一緒によく散歩をした。
私に歩調を合わせて・・
あるいは、前になり後ろになりながら・・
時折しわがれた声で私に声を掛ける。
私も彼の名前を呼ぶ。
私にとって、彼と過ごすこうした時間は
至福の時だった。

普通の猫だったら縄張りの外へは
なかなか出る事が出来ないので
そう遠くまでは行かないらしい。
猫社会では掟破りをすると厳しい制裁があるという。
その点、広い縄張りのボスだった彼は
比較的自由に動ける行動半径を確保していたのだろう。

母の外出中には母に内緒で
こっそりピンキを家に上げて遊んだり
美味しい物を分け合って食べたりした。
大抵帰って来た母に見つかって叱られたが・・

 私が幼かった日
猫の取り扱いがいつも適切だったとは思えない
それでも彼は一度もキバや爪で私を傷つける事は無かった。
むしろ幼かった私を
守っているつもりだったのかもしれない。

私に寄り添いながら
喉をゴロゴロと気持ちよく鳴らし満足げだった彼の姿は
私が14才の頃に消えてしまった。
またいつか帰ってくる・・
そう思い続けたが
その後ピンキが姿を現してくれることは
二度と無かった。

いまでも、彼の私に呼びかける
ハスキーな声や
しなやかでどっしりとした
暖かい温もりの記憶は
心の底に眠っている。






先日のことだ
私用で電車に乗っていた。
いくつめかの駅から20代位の女性が2人乗って来て
目の前の座席に座った。

久しぶりに会ったのだろう。
座ったとたん
二人ともとても楽しそうに
お互いの近況報告が始まった。
時折手を取り合いながら 
「元気だった~❤」などのやり取りがひとしきり続いた。

一段落して一方(仮にA子さん)が
相手(仮にB子さん)のショルダーバックを褒めだした。
B子さんは深い茶色の素敵なトートバックを持っていた。

A子さん
「あなたのバック、本当に素敵ね。
形もいいし大きさも手頃、色も素敵だしいいわね~。」

B子さん
「いいでしょう。
誕生日に彼がプレゼントしてくれたの。
すごく気に入ってて、
ついこればっかりつかっちゃうの~❤」

A子さん
「うん、すごくいいわ。
ああ、でもさぁ・・、これ合皮かな・・。
(しげしげと見て)やっぱり合皮だね。
見るとわかるもん・・・
ところでさ~この間ね・・
(フォローも無く違う話が続く)」

友人は明らかに
顔がこわばりムカッとしている感じだったが、

言った方は気がつかない。
相手を傷つけたことに気がつかない。
かくして、冷えきった空気がただよい
2人が電車に乗っている間、
二度と空気が温まることは無かった。

おいおい、
それってぜんぜんほめたことになってないよ~。
ケチつけただけになっている。
なんだかな~
つい聞き耳を立てていた私は
内心でツッコミを入れた。

まるっきりの人ごとではあるけれど、
バックにケチを付けられてしまった方に
思わず同情してしまう。
あんなことさえ言われなければ
ずっとそのバックを大のお気に入りのまま
大切に使えただろうに・・
これからも、大好きなまま使えるといいのだけれど・・

問題は、バックが合皮だからどうのという所ではなく
一言多いという所、それと、
わざわざあんな風に人前で指摘する無神経さにある。
百歩譲って、わざとでは無かったにしても
このような言い方をすれば
言われた方は、話し手に
「相手を格下に貶めたい卑しさ」を感じるものだ。

ほかにもこのような事は日常生活のなかでもよく有る。

また、何に付け「一言多い」って人もよく居る。

たとえば・・
お土産に手作りのクッキー等いただいて
「どうもありがとう❤私クッキー大スキなのよ!
(ここまでは良い)
特に〇〇屋のクッキーがスキでね、
甘さは控えめで材料も厳選してるから・・
うんちゃらかんちゃら・・」

大好きなのよ、でやめておけば、
相手にきちんと感謝の気持ちが伝わるのに
余計なこと付け加えると、
あなたの手作りクッキーなどより
〇〇屋のクッキーの方がずっと嬉しかった・・
というメッセージになってしまう。

たとえば・・
子供ががんばって苦手な書き取りのテストで
83点も取って来た。
いつもは30点そこそこなのに大したがんばりだ。
子供が得意満面のドヤ顔で
お母さんに83点のテストを渡す。
するとおかあさんは
「あらー本当に凄いわね~!!頑張ったのね~。
(ここまでは良い)
後少しで90点なのに、ほらここと、ここ、
ちゃんとはねるとこはねないと・・
でもねぇ、
先生もこれくらい大目に見てくれても良いのにねぇ。
あんたも、こういう所ちゃんと見直したりしないから・・
うんちゃらかんちゃら・・(注意事項が続く・・)」

せっかくほめたのに、
結果少しもほめたことになっていない。

先生への指導への文句と、子供のミス探し・・
しかも、こういう物言いをする親は、
自分が子供のやる気を削いでいることに気がつかない。

ちゃんとほめていると勘違いしている。
子どもと良好なコミュニケーションが取れていると
思い込んでいる。

乱暴な言い方だけれど、子供が思春期になって
一気に親子の関係が遠のいてしまうパターンだ。

それか、子どもが生き辛さを抱えたまま
生きなければならなくなるパターン。
このような日々の関係から生まれた生き辛さは
虐待を受けたようなはっきりとした形を持たない分
わかりにくく治療し辛い。

子どもを褒める時は、褒めるとき。
注意するときは、注意するとき。
ちゃんと分けたほうが断然良い。
それだけで、子どもとの関係はぐんと良くなる。

子どもを褒めるべき時に、
ついでに注意もしちゃおうというのは、
まさに「一言多い」だけになってしまう。

伝わる筈の思いは一つも伝わらず
「お前は駄目だ、全然なっていない」という
メッセージだけが伝わる。
「お前のやったことは、大したことなんかじゃない」
・・と伝わる。
子どもが褒められて嬉しい気持ちで
心を無防備に開いている時だけに
ダメージが大きい。

このようなマイナスのメッセージばかりを受けて
育った子どもに
ゆるぎない自尊感情が育つだろうか?
何かあっても自分は大丈夫・・という生きる意欲は?
失敗を恐れず、前に進む強さは?

人の振り見てなんとやら・・・
電車の中でかいま見た通りすがりの光景から
つい色んなことを考えてしまった。














先日アトリエの生徒さんのお母様が
手作りの夏みかんのマーマレードを下さった。
何でも、庭に植えた夏みかんの樹に
今年は沢山の果実が実ったそうだ。

ところで、実は私はマーマレードが苦手だ。
子どもの頃に何回か口にしたが、
あの口に残る皮の苦みがとても苦手なのだ。
けれどまあ、せっかく下さったので、
私が食べなくても夫や子どもたちが食べるだろう・・
そう思いながらありがたくいただいた。

それから間がないある日、家には私一人。
お昼ご飯にしようと冷蔵庫を見たが生憎何もない。
8枚切りの食パンが3枚あるだけだ。
卵もチーズも牛乳も、なんとバターも切らしている。
ふと、先日いただいたマーマレードの瓶に目がいった。

食べてみるか。

食パン2枚をトーストにしてマーマレードを塗ってみた。

1口食べてみた。

記憶にあるほろ苦い味わいが口に広がるが・・・
なんと美味しい!!
その独特のほろ苦さがとっても美味しい!

私は、不意に悲しくて悲しくてたまらなくなった。
身をよじりたくなるほどに悲しい・・・

マーマレードを塗ったトーストを頬張ったまま
涙がポロポロあふれてくるのを止めようもなかった。


 私の母はよく友人から庭で取れたという夏みかんを頂く度
ゆっくりと時間をかけて自家製のマーマレードを作っていた。

毎回私にも声をかけてくれる。
「マーマレード作ったけど、持ってゆく?」

2回ほど貰って帰ったが
その度夫や子どもたちが全部食べてしまって
私は味見さえしなかった。

その後も作るたび声を掛けてもらったが
今日は荷物が多いから・・とか
これからまた寄る所が有るから・・と言って
持って帰りさえしなかった。

そのうちに母は、「えりちゃんはマーマレード嫌いだから
まりちゃん(妹)に全部あげちゃったよ。」と言うようになり
やがてそんな報告さえ無くなって
自動的に母の作ったマーマレードは妹の所へ・・

そんな母も今はない。
今年10月には、母の3回忌を行う。

もう、どんなに願っても、母のマーマレードが
どんな香りだったのか、どんな味だったのか知る由もない・・
わたしは母のマーマレードをただの1口さえ
味わったことが無いのだ。

母がどんな風にマーマレードを作っていたのか
誰に教わって、どんな工夫をして作っていたのか
どんな思いを込めて作っていたのか
聞くすべもない・・

妹にとっても、弟にとっても
母は身体の芯、心の芯のところで
しっかりと支えてくれる存在だったと思う。
それは私も同じだ。

妹も弟も、母の死をしっかり捉えているように見える。
ちゃんと悲しめているように見える。

けれど、私は悲しむのを1日延ばしにしている。
ちゃんと悲しみと向き合うことを避けている。
そしていつも、母がまだ元気で
実家に居ると思い込むことが出来るので
思い込むことにしている。

でもでも、こういう時は駄目だ。
ごまかしが効かない。
悲しみに追いつかれてしまった・・

マーマレード・・とんだトラップだ。

今、母のマーマレードを一口でも食べることが出来たなら
どんなに嬉しいだろう。
絶対に叶わない思いが胸に疼く。

マーマレードだけじゃない。

母と過ごした沢山の時間の中で
どれだけ沢山の情報を聞き逃し、
見逃し、味わい逃したことか。

愛する家族と過ごす時間は無限ではない。
無限ではないと知りながら、それでもどこかで
またいつかがあると根拠の無い安心感を持って
過ごしてしまう。

あるひ、その絆がばっさりと断ち切られた時に初めて
もっと大切に、丁寧に暮らしていれば良かったと思い知る。

あー!!
もう駄目だ・・
簡単には立ち直れない気がする。

・・・妹に、母のマーマレードを再現してもらおう・・
ふとそんなことが思い浮かんだ。

ママのマーマレードは食べられないけれど
きょうだい3人
仲良くやってます。



子どもを可愛がる・・・と言うと、
「必要以上に甘やかす」という事と勘違いする方も
大勢おられる。

しかし、可愛がるというのは
あなたをとても大切にするよ・・
という意味を持つ事なのだと
今日はそんなお話をさせていただく。


広辞苑で「かわいがる」を引くと、
かわいく思う・愛する・いつくしむ・・とある。


*話は、遡って・・・
私の母親が88歳だった時のこと。

自分の親に こう言っては何だが、
とてもかわいい人だ。

孫がゲームセンターでゲームに誘うと
すぐにチャレンジしてみるような好奇心を発揮して。
(フロンティア精神を持ち合わせているのだ。)
大勢の若い人たちに交じってゲームをしたりする。

(孫は、ちっちゃなおばあちゃんが
果敢にゲームをする様子を見て
うちのおばあちゃんカッコいい!!と言っていた。)

また無類の本好きで、とくにミステリーテイストが
お気に入り。
宮部みゆき、D・R・クーンツ、京極夏彦など
私が面白いと思う本を薦めるとさっそく読んでみる。

動物でも植物でも昆虫でも、
すべて生き物を慈しむ母と
夏の終わり頃などに散歩をすれば
あちこちに転がっているセミの死骸を放っておけず
持ち帰って庭に埋めたり、
落ちていた傍にある植え込みに隠したりしながらの
散歩になってしまう。
そしてその度に母は
死んだ虫たちの為に手を合わせて祈る。

一度など妹との散歩中に
なんと大きな黒々としたゴキブリの死骸があり、
母が何とかしてあげたいというので
ゴキブリがすごく苦手な妹は
たいそう難儀したそうだ。

時に、意地をはったり頑固だったりする面も
あったが、それらはまるで子どものそれのようだった。
嬉しい時には幼子のように素直に喜びを表わし
よく笑い、笑い過ぎて涙をこぼす。
母の居る場は、いつも明るい気に満ちている。


こんな母を、私たちきょうだい3人はもとより、
それぞれの連れ合いと3人の孫たち、誰もが
心から愛し、慈しんで日々を送っていた。

ありのままの母を大切に思っていたのだ。


*そんな母の兄、私たちきょうだいからすると
叔父にあたる方が亡くなり、
お葬式があった、その時のこと。


焼き場に行くタクシーは、お坊さんとご一緒した。
季節はちょうど花の盛り。
タクシーの中、私も妹も、
母の気持ちを少しでも慰めたくて、
窓から見える今を盛りと咲き誇る花々を指差しては
母に教えたり。
色々何か話しかけたりをしていた。
時折助手席に座ったお坊さんが
目を細めて後ろをふりかえり母を見ていた。


やがて焼き場に着いた、
ここでは耳が遠く人見知りをする母の為に、
みなさんから少し離れたところで、
話しかけたり世話を焼いたりしていたのだが、
お坊さんが突然声を掛けてこられた。


そしておっしゃるには、
「こちらのおばあちゃんは、
たいそう良い気をまとっておいでですね。
このような「良い気」をまとった方は、
何か困った事があっても、
誰かしらが助けてくれるものです。

また、良い気」は「良い気」を呼ぶので、
幸せが寄ってくるのです。

失礼ながら、
先ほどからみなさんの様子を拝見していて、
これは、お子さん方がおばあちゃんを
本当に可愛がっておられるからだと感じました。


可愛がる・・というと変に聞こえるかも知れませんが
「慈しむ」ともいいますね。
これは、霊的にとても大切なことなのです。

可愛がられているお年寄りや子どもというものは、
すぐに判ります。

子どもでもそうなのですよ。

不思議なのですが、
誰もが、そうしたお年寄りや子どもさんを見ると
ぜんぜん関係ない知らない人であっても、
つい大切に丁寧にしたくなってしまうような気持ちに
なってしまうものだからです。

これからもご兄弟みなさんで、
おばあちゃんを可愛がっておあげなさいね。」

・・・と、そうおっしゃった。

たしかにそうだな・・・とその時私は思った。

アトリエに限らず、
ちゃんと可愛がられている子どもというものは
顔立ちとか、そういったこととは関係なく、
オーラが違うというか、本当に可愛いな・・・
と人に思わせる、

「人を無条件に引き付けてやまない何かがある」・・・
と日ごろから感じていたからだ。


またそれとは逆に、
どんなに顔立ちが可愛らしくても
人の意識からはスルッと抜け落ちて、
なかなか人の気を集められない子どももいる。


幼い子どもにとって、
「親も含めて、人の気」を集めると言うことは、
大変大事なことだ。

野生の動物を思い浮かべてほしい、親の関心を失ったら
厳しい動物社会では生きてゆけない。

つまり親の関心を集められないとなったら
まさに死活問題なのだ、
人間でもそのような本能は生きている。

親の無条件の関心を集める事の出来ない子どもは、
あの手この手で「人の気」を集めようとする。

余分に騒ぐ、何かと泣く、まとわり付く、
わざと叱られるようなことを繰り返す。


そのようなことを繰り返してしているうちに、
叱られるような事でしか気を集められなくなってゆく。

本来叱られてばかりいるような環境は、
子どもにとって適しているとは言いがたく、
気が付いたら、二次障害を発症している・・・
というようなことにもなりかねない。


顔つきも
顔立ちに関わらず、貧相な感じになってきてしまう。

子どもの顔が平坦で表情に乏しく
能面のように心を映さない表情になってきたら
要注意!!だ。

そのうち、嘘をついたり、
人の者やお店の品物を盗んだりし、
さらに進むと、
リストカットや摂食障害など自傷行為
ウツ病や家庭内暴力、引きこもりなど
多くの問題に発展することも多い。

どれも、親の関心を得たいと願う深層心理
成せる事なのだが、
親はますます矯正しようとやっきになり
事態は収拾がつかなくなってゆく。

子どもの幸せを願わない親など居ない・・・
けれど、その幸せのあり方を

子どもが大人になって良い生活をする・・という
将来にフォーカスするあまり

今ここの、子どもの心に寄り添い
深く慈しむ事を疎かにしていないだろうか?


高い学力を付ける事に力を入れすぎ
学歴重視でテストの点数にこだわったり、
矯正的な厳しいしつけをしたり・・

良い学業成績のときや、
良い子で居た時などはちゃんと褒めているなどを
可愛がる事・・と、勘違いしていないだろうか。

可愛がる・・とは、本来
無条件に子どもを受け入れ関心を持ち
大切にすることだ。


子どもの心や欲求を大事にすることだ。

単に甘やかすということではなく、
ましてや条件付きの親の褒める行為などは、
可愛がっているとは言わない。

わが子に目を向けてみてほしい。


こどもは今、幸せそうな顔をしていますか?