ボクは発達障害の当事者

 

自閉症スペクトラム(ASD)と診断されていてうずまき人とのコミュニケーションが苦手ヒヨコ妙なこだわりがありコアラ独自の世界観を持っている異世界の住人ですおすましペガサス

 

簡単に言うとヘンなヤツニヤリ

 

ちなみに、文章で何かを伝える能力はメッチャ低いカキ氷

 


ASDの人って、言語的思考が発達してない上に、自分の脳内を言語化することが苦手な場合が多いのですが、


ASDこそ、自分の思考を「言語」にエンコードする能力が必要不可欠だと思うって話口笛




とその前に、

「言語的思考」と「言語化」って全く別の意味合いです。それを勘違いすると変な解釈になる。



言語的思考とは、思考するときに使うのが言語だってコトで、言葉で入力された情報を言葉で考えて処理する思考法。たぶん一般的な人が普通にやってる思考法です。


それに対して、ASDの人は視覚的思考法で処理してる場合が多い(ボクの推測)。入力された言葉を脳内で絵とか映像のような視覚的イメージに変換して処理してたりするんですよねハロウィン



当然、言語で入力された情報をそのままダイレクトに言語で処理できる人の方がスムーズにリアクションができる。逆に、ボクのような視覚的思考者は、言語↔映像 の変換作業が余分に必要になるので、その分リアルタイムのコミニュケーションが困難だったりするヒヨコ



↓それ、ちょっとだけ詳しく書いてる





ちなみに、言語化なんて必要ない言語的思考力が発達した人は、「言語化」=「声に出して伝える事」とか「文字にしてアウトプットすること」のような技術だと思ってるかもしれないけど、



ボクの言う「言語化」は大きく違った意味合いを持ってる。


ボクのような視覚的思考者が、イメージで導き出した情報を言語に変換する作業のことだ。


  

そういう意味での「言語化」が本来のASDにはメッチャ難しいかったりする。その割に「言語化」ができないとASDには死活問題となる。




なぜかと言うと、


ボク自身、言語化が全くできていなかった頃というのは、物凄く疲弊してたからだ。まさに、死んでしまいそうなくらいに日常がボクの精神力を削り飛ばしていってたんですよねおばけ



もう少し細かく状態を説明するとすれば、


ボクはその頃、メチャメチャ辛くて苦しかったのに、

その苦痛を認識すらできていなかった。当然、ボクが何に苦しんでたのかも分からない。

苦痛を認識すらできてないということは、改善方法を考えるとか以前に、何が問題なのかもわからない状態でもがいているようなもの。


問題用紙を与えられずに解答用紙だけを渡されて、試験を受けろってムリでしょ爆弾




これ、ASDあるあるらしいですけど、

ボクらは、自分の感情とか気持ち、悩みとか苦しみみたいなモノに気付けないことが多いらしい。


これが「言語化」ができない事による弊害なんだと思う。




頭の中のイメージで、自分がどれだけドス暗い真っ暗闇の中に放り出されていたとしたら、その真っ暗闇でもがいてる事実は分かってる。でも、悲しみや苦しみに気づくことが無い。



一般的な人から見たら、

「自分の苦しみに気づかないなんてことあるのびっくり?」ってビックリするかもしれんけど、

ボクはマジで自分のそういった感情や感覚に気づいてなかったんですよねカエル



それに気づかされたのはコーヒー


…自分の抱えてる問題を認識できるようになったのは、ホント最近の話。


ボクが発達障害と診断されて以降だ。

ASDについて考えたことを言語化して、このブログでアウトプットするときに初めてボクは、「自分は苦しんでるんだ」って言葉による認知をしたおばけその時に始めてボクが抱えてる問題に気づきはじめたんですよね赤ワイン



たぶん人ってのは、

言葉で理解するとこで始めて自身の感情を認知してるんだと思う。一般的な人なら、思考自体が言語で回ってるので考えるまでもなく自身の感情を認知できるんだと思う。


逆に、言葉にならないボクらの内面のイメージ情報は、自分で認知することもできないんだと思います。

それを言語化できた時に初めて自分の感情を認識できるようになる。



だから、ボクらにとって「言語化」ってメチャメチャ重要な技術なんですよね食パン

自分の内面を知るために言語化が必要不可欠だということカエル