珍しく同僚(男性)と一緒にランチをした。

以前から彼のプライベートが気になっていた。

やはり・・・

彼はシングルファザーだった。


お弁当作りに学校行事。単なる子煩悩なパパというだけではなさそうだったから気になっていた。


私自身、暴力を奮っていたという事実無根ないいがかりをつけられ親権を争そわれそうになった。

だから余計に、何故父親である彼が娘さんを育てているのかがすごく気になってしまった。
子供は敏感である。
言葉で表現出来ない分、肌で感じる力はすごいと思う。
特に、言葉が遅かった子供は、場の雰囲気や人の表情から感じとる能力が発達している気がする。


離婚してからも、定期的に父子の面会交流が行われている(調停条項に定められている)。

最近は私自身にも余裕が出てきたし子供もおしゃべりが上手になってきたので、戻ってきた子供に「何をしたの?」とか「楽しかった?」とか笑顔で聞くようにしている。


いつもはとってもおしゃべりな我が子。何故かこの質問に対しては「~で遊んだ」とかしか話さない。

目も合わさずに・・・


恥ずかしさ?罪悪感?
なんなんだろう。


頑張って笑顔は作れるかもしれないが、やはり心底この面会交流を歓迎出来る日なんて来ないかもしれない。

子の福祉・・・

なんなんだろう。
当事者にしか気付きようがない事って一番大切な事のはずなのに・・・

どんなことでも、兆候ってあるだろうし、早ければ早いほど手の打ちようがある。

子供への影響を心配して赤ちゃんのうちにモラから逃げて良かったと本当に思う。

でも逆に、子供への影響が全く見受けられないからと児童相談所の人なんかにはその深刻さが伝わらない。その分、私の心はボロボロ。

父親ではあるけれど、一緒に暮らす母親が信用しない人に会う事って子供にとってそんなに良いことなのかな?

それは、ある調査官が言ったように「子育てには危険がつきもの。子供を完全に守ることなど出来ない」だからなのかな?

その横で子の福祉だから会わせなさいと言った調停委員。

父親に会う事が「子の福祉」であるならば、なぜ成長に必要な冒険でなければならないのか・・・

モラハラの恐ろしさとはそんな矛盾と不透明な部分に隠されている気がする。