あと数十年たったら、僕も含め、僕以上の歳の方々はほとんどこの世にいない。




けれど、実際にはからだがなくなるだけで「私」は残るんじゃないかと思っている。








静かに「私」と私でないものを分けてみる。




私の気持ち、や、私の考え、私のからだは「私」ではない。




私と思いこんでいるものは私ではないから、どんどんきりはなして「私」を探っていく。




すると、私、と思いこんでいるな、と気づいている「私」がある。







それは、からだ、ではない。




脳でもない。





だとしたら、どうしてからだが必要なんだろう。






からだから解放されて、”すべて”自由だとしたら、「体験」はできない。





限定されたこのからだ、感覚、思考、感情があるから新鮮な体験がうまれる。




「私」のもとになるエネルギーが、体験をするために、人間のからだを選んでここに在る。




地球という重力のある場所を、人間の肉体を選んでうまれてきた。




重さのあるからだを死ぬまで動かしていくことに、おそらく未来も変わりはない。




たまに宙に浮く人や食べない人もいるけれど、地球に生きる限り、重力と動くことから無縁ではいられない。






からだが、地球ですごすために借りているスーツだとしたら、自分にフィットして、使いやすい方がいい。





いつかなくなる物体だとしても、快適に使うためにメインテナンスはいる…メインテナンス自体楽しめるようにできている。





興味をもって、このスーツを着倒したい。







NEUTRAL BASE in Bangalore 山下洋平