誰かに強制されたわけじゃない。

でも、気づいたら、
従っていた。






■ 家では、「我慢」が美徳だった


昭和に生まれ、平成に社会人になった私たちは、
ある「空気」の中で育った。


感情を出すことは、
「わがまま」だった。

だから、我慢することが、
思いやりになった。


家は、「個人」ではなかった。

「家単位」で、評価された。


一人が失敗すれば、
家族全員の恥になる。


だから、体裁を守ることが、
家族を守ることだった。


親戚づきあい、
ご近所の目、
世間体。



これらが、家の都合を決めた。

そして、家の都合が、
私の都合より優先された。





■ 職場では、「空気を読む」ことが仕事だった


上司より先に帰らない。 

飲み会は断らない。

会議では、反対しない。

自分の意見より、
決まったことを守る。

これらが、評価される振る舞いだった。


報連相を徹底し、
勝手な判断はせず、
小さく共有して、責任を分散する。


長時間働くことが、
誠意の証だった。

根性と、姿勢が、
成果より評価された。





■ おかしいと思えなかったのは、当然だった

家も、学校も、職場も、
全部が同じ方向を向いていた。

周りを見渡せば、
みんな同じように画一的な教育


一度や二度言われたことより、
毎日の空気の積み重ねの方が、
深く残る。


それはいつの間にか、
「正しい生き方」になっていた。

気づかないのは、当然です。

意識しなくれば
構造は、見えないからです。





■ でも、それはあなたの価値観ではない
時代と組織が作った、
従わなくていい幻想だった。


頭でわかっても、
体と感情はまだ、
古い構造で動いている。


だから、
「わかってるのに変われない」
「正しいとわかっていても、苦しい」
そうなる。





あなたが従ってきたのは、
あなたが弱かったからじゃない。


時代が、そういう構造を作っていたからです。


あなたは何も悪くない。
でも、古い構造のままでは、同じ苦しさを繰り返します。


構造は、意識では変わらない。
だからこそ、分解が必要になります。



このブログでは、
“見えない構造”の正体と、
その扱い方(分解)を少しずつ言語化しています。