【小説】大事なものと綺麗なもの | 箱庭の空

箱庭の空

小さな世界。

 父は昔フランス語を喋っていたらしくて、それを母や叔母が話題にすると、少し不機嫌に、うん、と苦い顔をするだけだった。

 何故かは分からなかったが、きっと嫌いなのか、嫌な思い出があるのだろうと思った。

 物心つく頃にはロシアに移住していて、そのまま国内や東独、一時期英国を含む西方の島嶼などを転々とした。学校で納得のいかないことや、心に傷がつくことも多々あったが、家でも父が暴力を振るった。理由があることだと母は言っていたが、父母はいつも喧嘩していて仲が悪かった。

 全てが怖かった。世界と、社会と。家族も何だかよく分からない概念だった。


 日本、とりわけ現代を象徴する東京の文化が好きだった。

 新選組や歌舞伎、浮世絵、張り巡らされた地下鉄、電車。自動車産業と交通網、機械工業、最先端技術と最新医療、進歩的教育。緑の森に、黄や薄紅色の花咲く野原、美しい川、夢の島も。意味解釈の余地ある、考え尽くされたアニメーション映画や特撮映画。広い、様々なアトラクションで溢れた遊園地。

 そこは文明のある、科学と平等の世界。集積された知と財産。

 加えて東北には、かつて鷹山、謙信など清廉潔白や闘争の士がいた上杉家。歴史と伝統。義と愛。

 だから本を持っていた。ありきたりな近未来の女性アンドロイドが上記の要素を解説してくれる絵入りの小冊子。常識のようなことばかり書いてあって、それを鞄に入れて歩くのは、信仰表明のようなものだった。

 しかしどこか違和感があった。認めたくないことだけれども……。

 その日も、昼食の後で友達に見せようと思い、得意げに取り出した。すると、ぎゅう詰めの鞄の中で、溢れたものを染みさせてしまっていたことに、気付いた。


 元は新刊で買ったので、殆ど汚れていなかった。

 それが台無しになったのが悲しくて、自力で復元を試みたが、少しましになった程度で無理だった。奥へ包み込んだ。


 部屋の片付けをしようとすると、それらの昔を思い出す。物はあるが、なかったことにしたい。一方で捨てたくない。折角気に入って集め、読んだ本たちも。中にはいつか参考にしたいという程度のもあるが。だから最早、雑然が定常。

 だが、気分転換に散歩に出かけ、公園で紅葉を眺めて帰る途中、書店のポスターを見た。奢美で華麗な演劇と女優を扱っていた。

 十年程前に秋の社員旅行で行ったパリの、劇場や美術館、おいしいと評判のパン、料理の博物館、エッフェル塔のことを何となく考えた。よく分からないので、遠慮がちに回り、見物した。賑やかな雰囲気も言葉も馴染まないと思った。私鉄のホームは狭くて緊張した。

 流されて、像の前でふざけたポーズの写真を撮ってもらい、ガールフレンドに送った。自分の姿を見てもらいたいとはあまり思えなかった時期だったのに。

 それは本当は、とてもあの短い時間が、楽しかったからではないのか。

 旅行の間引っ張っていたキャリーバッグは、何年か後、実家への帰省から戻る間に、ふとした拍子に取っ手が壊れた。それきり実家に行く機会はなかった。


 溢れかえる物品と蔵書、VHSなどの記録媒体、いわば過去の中で、恐らくやりきれなかった未練、叶わなかった夢のために、背中を丸めて座っていた父の姿。ずっと覚えている。

 ひとり立ちをする時も、ごく一部の小さな物しか、家から持ち出すことを良しとしなかった。

 最後に家族で借りていた部屋を引き払う際、是非手伝いたかった。何しろ、沢山物があったのだ。価値のあるものも。

 でも、弟二人でするからいい、体の調子が悪いのだろう、と言って、決して来させなかった。両親共に。後で母が適当に選んだ物が送られてきたが、恐らく大部分が訳も分からずごみや不用品と一緒に棄てられてしまったに違いない。それらが未だ詰まったままの多数の箱は心の重しのようだ。

 そういえば数か月前に、鞄を贈られて、最近新調した。ちょうど良い大きさと容量。軽い。それまでは、学生時代のリュックサックを使っていた。就職する前に買って、常に持ち運んだ古い鞄は、重くて使いたくないが、まだ物置となった一室にある。例えばもし、それを捨てたら。


 ぼろぼろのタオルと、ページが外れ、角が削れて丸くなった草花と野鳥の図鑑。誰かが捨てようとすると怒ったものだ。リュックサックには、玩具のメモ帳と鉛筆、ハンカチ、鼻紙だけでなく、大事なものを全部入れていた。それらを、黙って笑って見ていた母と父。