『帰還』
町に戻ると二人は帆をたたみ、竜車の溜まり場へ向かった。
「報酬を受け取ってすぐに支度を済ませれば、昼までには出発できそうだね」
「そうね。砂上艇があって本当に──」
途中で言葉を切ったハナを訝(いぶか)しんでヘレンが振り返ると、神妙な顔で砂上艇を凝視している。
「どうしたんだい?」
ヘレンに聞かれて、ハナは砂上艇を見つめたまま言った。
「──砂上艇って砂の上しか走らないのよね」
「そりゃそうだろ。だから、あたしたちはレイアを狩猟するとき山の手前で砂上艇を停めて──」
ヘレンも話している途中で何かに気づいたらしく、言葉を切るとハナ同様、神妙な顔になって自分が引いている砂上艇を見下ろしたのだった。
砂上艇は砂の上しか航行できない──船底にある滑走板を外せば強引に水上を航行することはできるがすぐに浸水してくる──ため、山中や森林を進むことはできない。かろうじて平坦な草原なら走れなくもないだろうが、ひとたび石などの硬い突起を踏んでしまえば滑走板が破損してしまって、最悪、立ち往生してしまう。そして二人の住処は砂漠からはるか遠い場所にある。
「……分解はできるんだよねぇ?」
「出来るけれど、これを運んで歩くなんて無理よ。それに、持って帰っても使い道もないし……」
再び二人は砂上艇を見つめて唸る。砂漠での活動ではとても役に立ってくれた砂上艇が、今は非常に厄介な荷物に見えてくる。
「……とりあえず、報酬を受け取るついでにハキムさんに相談してみましょう」
ハナの提案にヘレンも頷き、二人は一旦たまり場の隅に砂上艇を預けてハキムを探した。
いくらも探すことなく休憩所の前でハキムを見つけた。出立の準備か、ハキムは竜車の荷台に荷物を積み込む人足たちに指示を出していて、二人に気づくと手を振ってきた。
「今夜、出発する所だったのです。お二人にいとまを告げることができてよかった」
「私たちも帰る予定だったんです。本当なら、手早く支度して昼までに出発するつもりだったんですけれど……」
ハナは先ほどの会話のことを話すと、ハキムは朗らかに笑うと言った。
「確かに、あれは携帯に特化させたものですが、竜車などで運ぶことを前提にしていますからね。竜車を手配して荷台に積んでおけば便利ですが、お二人がまたここの砂漠へ来るつもりなのであれば、ここの竜車のたまり場に預けておくといいですよ。分解して隅に立てかけておけば場所をとりませんから、具体的にどうするかは管理者と相談なさい。おそらく預かり賃も請求されず、快諾してくれると思いますよ」
半信半疑のまま二人はたまり場にとって返し、ハキムに言われたよう管理人に相談すると、たまり場を管理している男は砂上艇は分解してちゃんと倉庫にしまっておき、預かり料もいらないと約束してくれた。
管理人が預かり証の割符を渡す際に二人に感謝を述べたことに首を傾げたヘレンは、得心がいく顔をしたハナに問いかける視線を向けるも、ほくそ笑みながら知らん顔をされ掴みかかって問い詰めようとし、ハナはそれを逃れるようにして戯れるように追いかけっこをしながら二人はハキムのところに戻るのだった。
二人が戻ったときすでに荷物の積み込みは終了していて人足はおらず、ハキムも休憩所の中でくつろいでいた。二人がハキムのいるテーブルにつくと、ハキムがあらかじめ頼んでくれていたらしい果実のジュースが運ばれてきて二人の前に置かれた。
「私は明日、ドンドルマに向けて出立しますが、お二人はどうします?
ハキムは用意していた報酬のゼニーが入った袋を二人に渡しながら尋ねると、ハナとヘレンは視線を交わす。
「もし空きがあってご迷惑でなければ、ハキムさんの竜車に便乗させていただけませんか?」
ハナの言葉にハキムは笑みを浮かべて頷いた。
「もちろんですとも。むしろ護衛として、こちらからもお願いします。ハナさんはココットで降りられるということで宜しいですか?」
「ええ。途中で抜けることになるので、護衛の仕事はちょっと無理ですけれど」
申し訳無さ気なハナの言葉にも気にすることなく構いませんよと笑顔で答えるハキムに、ハナは苦笑を返すのだった。
その日の夕刻になってハキムの竜車は町を出発し、夕闇に溶けていく砂漠を進んでいく。温暖期が近づき日中の気温が高くなってきているので、なるべく気温の低い時間帯に進むとのことだった。
先日、雌火竜の狩猟に赴いた際に日中の砂漠を移動していたハナとヘレンは「確かにその方が無難だろう」と、なんとなく納得していた程度ではあったが、日が経つにつれて日中の日差しが強くなっていき、活動できなくはないが少し歩くだけで全身から汗が吹き出して止まらなくなるようになって、ようやくハキムの言っていたことをみにしみて理解した。
ハキムは夕刻から朝にかけて砂漠を進み、陽が高くなる前に竜車をとめて荷台から日除け──竜車を引くアプトノスまで入れる、非常に大きな天幕──を立てて自分たちだけでなくアプトノスも中に入れて強い日差しを凌ぎながら、また夕刻まで休息するのだった。
やがてじっとしていても日中の日差しが辛くなり始めた頃、微かな湿気を含んだ風を肌に感じ、砂原に草が混じるようになると遠方には背の高い木々が見え始めて砂漠の終わりを知る。それから草原と林をこえて数日後、ようやくココット村へと到着した。
ココット村の入り口前に竜車が止まるとハナは荷台から降りて、礼を言うために御者席のハキムを振り返るとヘレンも同じように荷台から降りてきた。
首を傾げるハナに、ヘレンは「しばらくやっかいになるよ」と歯を見せ悪戯っぽく笑う。てっきりハキムの護衛で街までいくものと思っていたハナはハキムを振り返ると、予想していたのか笑みを浮かべて特に驚いた様子がない。
「構いませんよ。ここから先は比較的平穏ですし、これまでに危険なモンスターの出没地域を把握していますので、なんとか避けて通れると思います」
ハキムが困っている様子もないようなので送ってくれた礼を述べ、街のある方角に向かう竜車が小さくなり見えなくなると、ハナは苦笑しながらヘレンを狩猟小屋まで案内した。
「戻った報告しに村長のところに行くから、あなたはゆっくり休んでいて」
ハナは適当に部屋の隅に荷物を置いて、外に向かいながら部屋の中を見渡しているヘレンに声をかけると、ヘレンも荷物を置いて駆け寄ってきた。
「じっと待ってても退屈だし、あたしもついていくよ」
「そう。じゃあ、ついでに食事もしましょうか」
ハナはうなづき、二人は村長宅へと向かった。
村長宅に向かうと、併設された酒場のテラスのいつものテーブルで村長が煙草を燻らせ座っていた。そして、そのテーブルの席には見かけない竜人族の──長寿命の竜人族なので正確な年齢が分からず、あくまで見た目が──壮年の男性が、村長と話をしながら酒を飲んでいた。装いは以前イァンクックの保護を依頼したミナガルデの職員のものに似ていたが、彼のものより仕立てがよく、烏の羽のように艶やかな黒く長い髪は後ろで緩くまとめられている。整った細面は落ち着きが感じられ、知性を湛えた切れ長の目が静かにハナを見つめている。
竜人の男も気になったが、ハナはひとまず村長に報告を済ませることにした。
「村長、いま戻りました。護衛と、それに伴う狩猟も完了しています」
「ご苦労。お主が砂漠で狩猟したリオレイアのことで、こちらの御仁が話があるそうじゃ」
竜人の男は立ち上がると、ハナたちに丁寧にお辞儀をした。
「ミナガルデの、生物研究所生態研究部門の大型生物研究班の班長を任されておりますオーフェンと申します。この度は貴重な個体を捕獲してくださり有難うございます。今回はその雌火竜の件でご相談に伺ったのですが、少々話が長くなりますので、まだ食事がお済みでないようでしたら何か食べるものを頼みますが、いかがでしょうか?」
食事もする予定だった二人はうなづき席に着く。オーフェンの「ご馳走させていただきますから、お好きなものをどうぞ」という言葉に、ヘレンは二人分かと見まごうほどの肉料理を頼み、軽食のみで控えたハナとほぼ同じころに食べ終わってハナを呆れさせた。
二人の食事が終わって一息ついたころを見計らってオーフェンは今回きた要件を話し始める。
「まずは改めて貴重な個体を捕獲していただいたこと、お礼申し上げます。おかげさまで、私どもがいま研究している内容について大きな手掛かりを得ることができました。それも含めて、ご依頼の雌火竜の保護について報告とご相談に伺った次第です。お二人は、亜種と呼ばれる存在についてご存じですか?」
「私は亜種という呼び方そのものを知りませんでした」
「あたしは噂は聞いたことあるけど、実際に見たことないね」
二人の返答にオーフェンは頷く。
「一般的に広く知られる生体──亜種と区別するため原種と呼称されています──その原種とは生態や生息地が個体差と呼ぶには大きく異なる特徴を持ったものを総じて亜種と呼称されています。その特徴ゆえ亜種は原種とは違う種として区別されるのが通例ですが、いまだ亜種の幼体が確認されておらず、はっきりとしたことが分かっていないのが現状でした」
「亜種の巣を見つけるとか、成体のつがいを飼育して繁殖してみるとか、やってみなかったのかい?」
「亜種は原種よりも個体の能力が高いものが多いのですよ。それゆえ見つからないところ、侵入されないところに巣をつくっている可能性も捨てきれないのです。そして個体能力が高いということは質のいい素材を入手できるということでもあってか、ハンターたちは素材目的で生け捕りにせず息の根を止めてしまいます。
そもそも個体を提供してくれるハンターがあまりいないものですから、研究そのものがなかなかはかどっていませんし、もし捕獲していただいても十分な報酬素材を提供できないのも確かなものですから、ハンターたちに強く要求できません」
言ってため息を吐くオーフェンに、ヘレンは苦笑しながら同情の目を向ける
「まぁ獲物を返してもらえる補償も、同じ素材がもらえる補償もなけりゃ、苦労して仕留めた希少な獲物を誰も渡したいとは思わないよねぇ。──で、あたしたちが捕まえたやつが役に立つと」
「えぇ、しかも今回の個体から、軽視されてきた私たちの班が提唱する説が実証されるかもしれないのです」
「オーフェンさんたちの説?」
「成長過程で原種と亜種に分岐する種が存在する、というものです。小型の走竜下目……ランポスやゲネポスといった鳥竜種やファンゴなどは、リーダーの資質を持つものは第二成長を遂げて他より体躯が大きくなり鶏冠や牙などの種の象徴となる部位もより誇張されるように成長するのが確認されています。それがより大きな変化となって表れたものではないか、と私たちは仮説を立てました……まぁ“成長と呼ぶには度が過ぎている”と一蹴されましたがね」
少し熱が入るオーフェンの説明に、ヘレンは早々に興味をなくして追加で頼んだ揚げ物をもてあそびながら食し、ハナは妙に熱心に聞き入っていて、少し身を乗り出してオーフェンに質問した。
「私たちが捕まえたリオレイアから、どのようなことが分かるのでしょうか?」
「本来、リオレイアの原種は密林や森林に紛れるような緑色で、亜種は淡いピンク色をしているのですが、あの未成熟な雌火竜はその両方のほぼ中間にあるような色味をしており、変化の途中にあると推測できます。このまま経過を観測できれば、成体になる頃には亜種の色に変わると考えています……まぁ、原種の方に傾く可能性がないわけではありませんが……」
「ちょっと待って、成体じゃなかったの? あの大きさで?」
「そうですね。成体は最小であのリオレイアの1.5倍くらいになります。まぁ季節があと一巡りもすれば繁殖可能となるでしょう。先が楽しみです」
オーフェンの説明を聞いてハナは一瞬、口をぽかんと開けてほうけた顔をしていたが、すぐに問いただす目をヘレンに向けた。ハナが何かを言いかけるより先にヘレンが口を開く。
「あたしもそうじゃないかと思ってたよ。けど、あの甲殻の硬さだろ? ぜひ欲しいと思うじゃないさ」
しれっと答えたヘレンを抗議するように睨みつけると、オーフェンに向き直る。
「話の腰を折ってごめんなさい。それで、報告と相談というのは?」
「これからリオレイアの観察をしていただくことになるのですから、わからないことがあれば今のうちに質問していただけると助かります。じつはリオレイアを近郊の森の深部にある山に運びまして、ハナさんにはそのリオレイアの生態観察をお願いしたいのです」
「……どういうこと?」
「ミナガルデから近く、リオレイアが生きていくに十分な環境で、リオレイアの観察と保護を任せるに足るハンターが駐留できる、という条件を考慮するとココット近郊の森が生息に適しており、ココットにはハナさんが生活されていると非常に好条件が揃っているのでリオレイアを山に運び込ませていただきました」
「……あの森は、わかります。ファンゴもそれなりの数が生息していますし、ちかくの平原からもアプトノスがやってくるし、住み心地もいいと思います。でも……私ですか?」
「捕獲したあなた方ならばこそ、あのリオレイアを制しやすくなると考えています。それに、生態観察にもいい経験になると思いますよ。なんでしたら、今後わたしたちの研究を手伝っていただけるのなら我が班での研究資料を共有させていただきます。──引き受けていただけますか?」
研究資料の共有と聞いてかなり心を動かされながらも、いきなりの話で逡巡していたが、結局ハナは引き受けることを了承し、オーフェンからリオレイアの生態と観察するうえでの諸注意について説明を受け、その場を辞した。
ハナたちは一旦小屋に帰ると携行食と適当な道具をポーチに詰め、防具は砂漠から戻る際に着ていたままでハナは狩猟弓と矢筒、ヘレンは大槌を手にすると森へ向かう。いよいよ温暖期が近づいてきていることから、目的の洞窟まで丘を登り、山を登る頃には二人とも額に汗が滲んでいた。
洞窟のそばまでやってくると、ハイチが来ていたものを簡略化させた作業着のような装いをした男たちが入り口付近の茂みに身を潜めていたが、気配を全く消せていないことからハイチの部下の研究員なのだろう。護衛にハンターがいないのかと思えば、洞窟に少し入ったあたりで大剣を背負ったそれらしい男が岩陰に身を潜めて奥の方を注視していた。こちらは流石にあまり気配を感じさせないようにしている。
洞窟の奥からはときおりかすかな地鳴りのような音と大きなものが身じろぎする音が聞こえ、おそらくリオレイアがたてている音だと推測する。
研究員と思しき男がハナたちに振り返り、装いを見て何かを察した様子で手招きしてきた。ハナが身振りで中の様子を尋ねると、男は声をひそめて話し出す。
「あなたがハナさんですね。先ほど収容が終わり、あなたが来ると見張りを交代して撤収するよう言われています。リオレイアの麻酔はもう切れている頃なので、そろそろ目覚めて動き出すかもしれませんのでご注意ください」
それだけ言うと男は、他の職員と洞窟の中にいるハンター風の男に合図を送り、皆が揃うと山を降り始めた。ハンター風の男は通り過ぎざまハナたちを一瞥し、ハナの背負った弓と矢筒に一瞬きょとんとした顔をしたが、小馬鹿にするように軽く笑うと他の職員たちと一緒に山を降りていった。
「ちょっと何だい、あの態度」
「気にする事ないわ、いきましょう」
坂道を降りていくハンターの背中を睨みつけて、いまにも追いかけようとするヘレンの肩に手を置いて制すると、ハナはヘレンの背中を軽く叩いて静かに洞窟に入っていった。
中を覗き込むと褐色のリオレイアがうずくまっており、目覚めた場所が見ず知らずの場所だからか戸惑うように辺りをうかがっていたが、ハナとヘレンの姿を見つけるとぎこちない動きで立ち上がり、怯えた気配をにじませながらも翼を広げて二人を威嚇してくる。
ヘレンは大槌を腰に下げたまま腕を組んで壁にもたれかかり、ハナは左手に弓を握ってはいるが矢をつがえず右手は矢筒に添えるのみで、素早く周囲とリオレイアを観察した。
成体がどれほどの大きさになるのかわからないが、今のリオレイアのサイズで余りあるほどの空間があるので、おそらく成体となっても十分な広さがあるとしてここに運ばれたのだろう。リオレイアの下には大量の藁が敷き詰められて寝床がつくられていて、後々はリオレイアが自分で居心地よく工夫するだろう。
雌火竜は体の大きさ、各部の傷の位置から自分たちが捕獲したリオレイアで間違いない。なにより手ひどく痛めつけた自分たちのことをよく覚えているようだ。きちんと治療をされたらしく、負傷した箇所に半透明の軟膏が塗布されている。
洞窟には閉じ込める柵のようなものは設けられていない。リオレイアにも拘束具らしいものは一切ないので逃げ出そうと思えばいつでも逃げられる状態ということは、研究者たちは雌火竜はここを住処にすると確信しているのだろうか。
状況を把握すると、リオレイアをこれ以上興奮させるのも良くないので今日のところはひとまず撤収することにし、ハナは右手でヘレンに下がるよう合図を送ると、ゆっくりと洞窟を出るのだった。
「あれじゃ傷が治り次第、どっかに飛んでっちまうんじゃないのかい?」
ヘレンが斜面を下りながら前を歩くハナに疑問を投げかけると、ハナは困った顔で笑いながら振り返る。
「私もリオレイアのことについてはわからないことだらけだからなんとも言えないわね。研究所の人たちのほうがはるかにリオレイアのことを知っているわけだし、その人達が何も処置をせず、特に何も言わなかったのだからあのままでいいのだと思う。それより、今晩の食材を調達したいから、あなたも手伝いなさい」
ハナは森の中を案内しながら道すがら山菜や木の実を採取し、池のある野営地まで戻ってくるとヘレンと二人で魚釣りに勤しんだ。日が沈むと釣った魚をさばいて串にさして焚き火で焼いて食べると、野営地で夜を明かしたいというヘレンに従い、二人はテントで眠った。
翌朝、二人はリオレイアの様子を見に再び山を登る。今度は洞窟には入らず、入口から少し離れたところで聞き耳を立てて中の様子を探った。リオレイアはすでに起きていたらしく、洞窟の中を歩き回る音が聞こえた。時々立ち止まっては再び歩き出す様子からすると、洞窟の中を探っているらしい。
ハナはヘレンを促してその場を離れると、山をぐるりと回り込んで絶壁に移動した。ヘレンは崖を見上げ、遥か上に僅かに見える洞窟への入口を指差し登るのかと問いかけたがハナは首を振り、ヘレンを誘って近くの茂みに身を隠した。そして荷物から双眼鏡をとりだすと、そのまま静かに洞窟の入口を見据えるのだった。
しばらくして洞窟の中からリオレイアが姿を表し、ハナは素早く双眼鏡を覗き込んでリオレイアを観察する。リオレイアは崖の縁まで歩み寄ると周囲を見回し、そして何かを探るように眼下の森のあちこちに視線を移していく。そして大きく翼を広げると、地面を蹴って森の深部にある湖の方角へと滑るように降下していった。
追いかけるため立ち上がろうとしたヘレンの肩を掴んだハナは、再びヘレンをしゃがみ込ませると遠くの音を探るように耳を澄ませた。ほどなくリオレイアが飛んでいった方角から鳥たちが慌て飛び立つ羽音が聞こえ、しばらくして聞き覚えのある大きな翼の羽ばたく音とともに片足にブルファンゴを掴んだリオレイアが崖の上に降下してきた。そして着地するなり仕留めた獲物にかぶりついて食事を始め、再び洞窟の中に戻っていくとハナはヘレンを促して静かに茂みから抜け出し野営地へと戻るのだった。
野営地に着くと卵と燻製肉を炒めてパンに挟んで朝食にして食べるとハナはくつろいだ姿勢で池に糸を垂らし、ヘレンはデッキチェアに寝そべって各々のんびりとした時間を過ごした。
「よかったわぁ、体を休めるためのねぐらとして認めてくれたみたいね。そのまま住み着くかどうかは、まだわからないけれど」
「あたしはリオレイアが自由になったのを幸いと逃げ去らないか、昨晩から気が気じゃなかったよ」
ウキが沈んだ瞬間、ハナは無造作に竿を上げて魚を釣り上げたが、思ったより小さかったのか針を外してそっと池に返した。
「翼の負傷があったからそれは心配してなかったけれど、逆に飛べなかったら狩りに支障をきたすから、さっきはそれを確認しにいたのだけれど、治療薬が効いているのかだいぶ飛べるようになってたみたいね。それもちょっと安心した」
ヘレンが寝そべったままくつくつと笑う。
「そのまま怪我が治って明日には飛んで逃げちまうんじゃないのかい?」
「砂漠に比べて居心地がいいから大丈夫なんじゃないかしら。逃げるのであれば洞窟に戻らず飛び去るか、獲物を捕まえて戻らなかったはずだし」
「そんなもんかねぇ」
そのまま二人は言葉をかわさず、鳥のさえずりと風に揺れる木々の葉擦れを聞きながらのんびりと過ごすと、昼を過ぎたあたりで村に帰った。
数日の間、リオレイアは朝に狩りに出て食事をすると翌日まで洞窟の中で休むといったことを繰り返していた。そのあいだ二人も朝にリオレイアを崖の下から観察し、一日を森で過ごした。
ある日、捕獲報酬であるリオレイアの生態素材がミナガルデから届いた。二人はそれを分配すると、ハナは弓の強化と防具の製作に使った。ヘレンは双剣を作ろうとしたが雌雄の素材が必要だということが判明し、手元になかったため諦めることになった。
季節は温暖期に入って数日。植物は青々と茂り、生き物たちは活力に満ちるころになるとリオレイアの体にも目に見えて変化が現れる。打撲傷はすっかり癒え、肩と翼の傷もほとんど目立たなくなった。そして傷の治癒と体力の回復に合わせて褐色だった体色が徐々に淡い色合いになっていき、原種の色とされる緑の色味も抜けていった。
研究員も定期的に村にやってきてハナの報告を聞き、リオレイアの観察をしていたのだが、前回来たときはまだ変化の兆候が見られなかったときだったので、ハナが急遽ミナガルデに隼を飛ばして急ぎオーフェンがやってきた。
「素晴らしい、我々の説が実証されつつありますね」
三人は森の中を徘徊しているリオレイアを刺激しないよう、ハナとヘレン、そしてハナに呼ばれてやってきたオーフェンが双眼鏡を使って離れたところから観察していた。
「体の大きさはじわじわと成長はしていたのですけれど、ここの環境に馴染んで、傷も治り始めて体力が回復していくと変化が見え始めた印象です」
「なるほど。コンディション──生命力も変化に必要な要素というわけですか。もしかすると、ある水準を超えた生命力や能力を持つものが変化するのでしょうか……もっと他の個体も調査したいところですね」
リオレイアの話で盛り上がるオーフェンとハナとは反対に、ヘレンは会話の内容に全く興味を見せず、あくび混じりにあたりの景色を眺めていたが、おもむろに口を開いた。
「繁殖はどうすんだい?」
話に夢中になっていた二人は、ヘレンの言葉に「そういえば」と顔を見合わせた。
「そればかりはなんとも言えませんね。どこかからリオレウスを捕まえてきてあてがうわけにはいきませんし、繁殖可能となっても当のリオレイアがその気がなければ、ただストレスを与えるだけになりますからね。しかし、どのようにして相手を見つけるか、などといったことは分からないことも多いので、そういった状況に立ち会ってみたいですね」
オーフェンの返答に、ヘレンはやはりどこか気のない感じで「なるほどねぇ」と返しながら双眼鏡を覗き込んでいた。
季節がめぐり、繁殖期がやってくる頃にはリオレイアも運び込まれた頃に比べて体が一回り大きくなり、体色も淡いピンク色になって原種の色も、捕獲されたときのような枯葉色の面影が見られなくなった。そしてこの頃には完全に洞窟を住処として定着し、朝に住処を出て森の外へと飛び去っても日没には洞窟へと帰ってきているようだった。
ハナが感心したのは、森の生態系の頂点にありながら他の森の住民の生存性を脅かすことなく、休憩に地上に下りてきても長時間そこにはとどまらず、少し休んではどこかへと飛び立って他の生き物がその場所に寄り付かなくなるようなことはなく、これは狩り場も同じで狭い地域に集中して狩りは行わず、離れた場所にいくつか狩り場を確保しているようで毎日違う方角へと飛び立っている。
ただ、オーフェンの話ではそろそろ繁殖可能になるということだが一向にその気配はなく、ヤキモキするハナをヘレンが「嫁の婚期を心配する母親だ」と茶化し、オーフェンは「のんびり待ちましょう」となだめるのだった。
ある日、いつものように二人で森を巡回して野営地で各々気ままに過ごしていると、デッキチェアに寝そべっていたヘレンが「そろそろ街に帰るよ」とこぼす。
まるで今日の夕飯は焼き魚がいいというような調子で言われたので、池に浮かぶウキに注視しながら生返事を返したハナだったが、言葉の意味が頭に染み込んでくると驚いてヘレンを振り返った。
「いつ?」
「明日」
「……そう」
そう言葉をかわしたあと、日没に村に帰るまで二人は一言も話すことはなかった。
翌朝、朝食を済ませたあと旅支度を済ませたヘレンはハナから弁当を受け取るとしばし逡巡し、言い淀みながらおずおずと「おまえも──ハナも、一緒にドンドルマに来ないか」と尋ねた。
ハナは一瞬目を見張り、ついで困ったように笑みを浮かべた。
「嬉しい申し出だけれど、まだリオレイアの観察を続けなきゃならないから……。せめてあの子が子供を生むまでは続けないと」
「そっか……そうだよな……」
ヘレンは泣き出しそうな、困ったような顔で笑い返すと、ハナを引き寄せ抱きしめた。ハナは驚きながらもすぐに微笑み、自身もヘレンを抱きしめかえした。
「元気でね、ヘレン」
一向に抱擁を解く様子がなく、かすかに震えるヘレンの背中をハナが優しく撫でていると、ようやく抱擁を解いたヘレンはふわりと笑みを浮かべてハナの肩を優しく叩き、颯爽(さっそう)と歩み去り、ハナは狩猟小屋の戸口に立って、ヘレンの背中が村を出て見えなくなるまで静かに見送るのだった。