8月19日土曜日朝、通院の日だ。
血液検査をしたところ
値が変わっていない。
肉体は順調に死へと向かっている。
そして始まるいつもの注意。
例えばさ、いつものマスター、おばちゃん、バイトの子のお店があって
売り上げは去年と同じ。
もう店は10年以上続いてますという場合、
立派じゃないか。何で、すべてが良くなっていかなくてはならないんだ?
「テリーさん、今回も値は同じです。
よく、悪化させませんでしたね。よく、がんばりました。」
ぐらい言えないのかね?
例えば、あれも、これも控えた方がいいって、
仮に「愛す」を控えなさいとか量を減らしなさいというのは、
私にとっては、言いかえると、
「明日、10t トラックに突っ込んで死になさい」と同じ意味なのだ。
そんなことしたら、全身から血が噴き出して、苦しくて痛くて、
スプラッターだよ!
で、there is a lightに例えると運転手さんが青ざめた顔で、
救急車を呼んで、その後、警察での事情聴取、無事故無違反だったのに
どうしてこんなことになってしまったのだろう?と絶望するのだ。
いったい、それの何が幸せなんだい?身勝手じゃないか?
イギリスのアフターパーティーでは、
there is a light歌いながら
その場でできたカップルがチューしてホテルにいくらしい。
愚痴はこのぐらいにして、
話は変わるが、この通院後に土曜日の昼から飲む
生ビールは、どうしてこんなにも美味しいのだろうか?
お説教に耐えきった自分へのご褒美だからか?
先生の顔も思い浮かぶので、おかわりは我慢した。
今は亡き、私の母親が説教しだして、
その後、1人になった時の解放感に似ているかもしれない。
何とか、ギリギリのところをしのいだぜというあの感覚。
今、思えば、その説教でさえ懐かしいよ。
もう少し優しくすれば良かったと後悔している。
ちなみにテリーは、言うのが悲しいが、特に腰、肩、クビに
重度の問題を抱えている。いつもギリギリのところで戦っているため
きっとアフターパーティーにはいけない。