「鳥たちは歌わない」
この数年でどれだけ再生したかわからない。
多くの子供たちが、今頃、終わらない宿題に絶望し
途方に暮れているだろう。それが、今日だ。
私の場合は、無理なものは無理と、早々に見切りをつけて、
宿題を原理主義系テロ組織のように、
決して近寄ってはならないもの、
触れてはならないものとして、
ご飯を食べて、テレビを見て、お風呂に入って
眠ってしまった。
学校の歴史とは、私にとって戦いの歴史になってしまった。
ある先生から「君の担任、胃潰瘍になったんだって」と言われても
自分が悪いわけじゃない、器の小さな大人は、教師には向かないので
辞めた方がいいぐらいに思っていた。
しかし、なぜ、あんなに反抗したんだろう。
こうでなくてはならないという考え方と戦ってきたような気がする。
実は、当初は、学校が好きだった。
当初というのは、小学校1年までに遡る。
クラスメートも好きだったし、担任も好きだった。
一番、最初の担任の先生は、かに先生という珍しい苗字だった。
女性の先生でとても優しくしてくれた。
クラスメートもみんな優しかった。
野球クラブに入って、1軍から3軍まであったのだが、
テストの結果、1軍になった。
ここまでは、良かった。
家の事情で電車で通わなくてはならなくなって
体力的に限界が来た。
家から子供の足で15分ぐらいかけて駅について、
駅から10分ぐらい電車に乗り、そこから、子供の足で15分ぐらい歩くのだ。
駅は、通勤通学の人で混んでいた。
小学校2年生で電車通学になったわけだが、そんな子供は、存在しなかった。
結果的に、限界になって仕方なく転校することになった。
小学校高学年とか、中学なら恐らく問題なかった。
転校した小学校よりも最初の小学校の方が良くて、野球も辞めてしまい、
イジメにもあって、人生がグレードダウンしたように思えた。
端的に言って、新しい小学校を辞めたかった。
しかし、小学校に辞めるという選択肢は無い。転校するしかない。
強引に転校すると電車通学になってしまう。
それが、無理なことは、もう痛いほどわかっていた。
振り返ってみて、何が問題かというと、
辞められないということが問題だった。
仕事が嫌なら、転職しますというのは、今では普通の出来事だが、
それができない。
日本人を辞められないのと同じだ。今は、気合を入れれば辞められるが
小学生では辞められない。国ガチャとか家ガチャとか親ガチャみたいな話だ。
学校も同じだ。そこから人生に躓き、その後もすべての人生に躓いた。
基本的に、今も人生は全く上手く行っていない。
むしろ、もはや、上手く行くことをあきらめている側面が強い。
達観してしまっている。
経験上、躓きを回避する技術は身についてきたように思う。
ダメなものは、ダメと見切って勝負のフィールドを見極めるようにしている。
学校から学んだことは、戦いに戦った結果、ここでは、勝負してはならない
ということだった。
でも、最初の小学校を今でも一番愛していて、
できることなら卒業したかった。
新しい小学校に行ってから気が付いた。
新しい小学校は、愛せる小学校ではなかった。
最初に大きな失敗をして、その後も失敗し続けた。