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自分を慰めるために聞いてる。
一応、これでも、昔、教えるという立場にいたことがあった。
その経験から、この人について思うことと、
教わる生徒の立場で思うことは、同じではない。
当たり前なんだけど。
例えば、試験を受ける時、だいたい、お金を払うパターンが3パターンある。
授業を受けるのにも3パターンある。
一番多いもの、親が払う。
次に、会社が払うパターン、自分で払うパターン。
この中で、どれが、一番ダメなのか?
断言できる。お金に困っていない余裕がある家の親が払うパターン。
これが、一番ダメなパターン。
会社が払う場合、まあ、会社が払ってるんだからいいだろう。
落ちたってとか、考えている人はまともじゃない。
むしろ、他人が払っている方をプレッシャーに感じるのがまともな人だ。
自分でお金を払うのが、一番、実は楽なのだ。
すべて自己責任だから、自己責任ってある意味楽なんだ。
もちろん、経済的な負担は、自分に来る。
食費を削るのかもしれない。遊びに行けなくなるかもしれない。
それでも、このパターンが楽なのだ。
貧乏な親が、必死にお金を工面して子供の学費を払う。
まともな子供からすれば、それは重い。
例外はある。ダメな奴は何であろうと重くとらえないから、
どんなパターンでもダメだ。
でも、一番、ダメなのを量産するのは、金のある親が払うパターン。
つまり、ただ、我儘になっていくだけだ。
私は、お金をもらって教えていた。
しかも、かなり高額なお金をもらって教えていた。
もらっていたのは、私ではない。会社がもらっていて、会社は、私に対しては、
ぜんぜんだった。誤解のないように。
プレッシャーに感じたので、
神経をすり減らして、頑張った。
後に私が辞めてから、私が教えていたコースを
教える人たちは、皆、それを嫌がった。
そのぐらい大変だった。
アンケートの結果は、当然気になる。それは、自分の成績でもある。
マネージャーも当然その内容を見ている。
自分がやるコースの受講者数も当然気になる。
そりゃ気になるよね。
やればわかるよ。気になるから。
その前提で、生徒に、お前が大嫌いだと言うんだからすごい。
来なくていいと言う。他に行けって言う。
私には、その勇気はなかった。
まず、生徒は、お客様なのか?だが、
やっぱり、私にとってはお客様だった。
お客様=生徒だった。同じぐらいの比重だった。
幸い、私の授業を受けに来る生徒は、ほとんどみんな真剣だった。
遅刻なんて、ほとんど見た記憶がない。
終わってからも残っていた人は、けっこういた。
質問もたくさん受けた。
授業は、多くの場合、満席だった。
つまり、ある意味、恵まれていた。
この理由は、時代もあった。
子供が多い時代の受験戦争と同じようなもので
時代の状況があった。
代ゼミより高い授業料を取っていたので、真剣だった。
真剣だったが、この荻野先生と、私では、覚悟が違う。
受講者が1人になっても2人になってもいいよって言えないよね。
コンサートでも、他のバンドのコンサートに行け!
出ていけ!って言って、その結果、自分の観客が、1人、2人なってもいいって
思えるかどうかと同じだ。
これは、覚悟と信念の世界だ。
この話は、このぐらいにして、
屈辱的だが、敗北の報告をした。
再戦に向けてがんばろう。
結局、本物かどうかってのは、死ぬ覚悟があるかどうかということ。
全部失っても仕方ないと思えるかどうかなんだという人生の結論は出ているのだが、
実行できるかって言うと、社会のほとんどの人間ができないと思う。
私もできない。めったなことではできない。
ただ、できる時もある。できる時もあると思いたい。
毎回その勢いでやるモチベーションはないけどね。