消滅集落というのは、この先、良くある話で、
仕方ないでしょうで、片付ける時代になっていく。
しかし、1980年代終わりに、すでに消滅集落は存在している。
ふるさとに対する愛着には、
嘘が無い。
少なくともそういう風に見える。
ちなみに、私個人にはそういう感情は、ほとんどない。
今、住んでいる場所も故郷を愛しているなんて感情で日々生活していない。
そんな感情を自分の中に持ってみたい。
宗教とか神様とか、信仰というようなことは、私からするとそもそも理不尽で、
理不尽な主張である。
でも、故郷に対する愛着と言われると、もっと真実味が湧く。
同じものが自分の心にないのに、自然と認めてしまう。
例えば、会社や職場に対してもほとんど愛着が無い。
愛着が無い理由はわかっている。
愛着があるとはどういうことか?
愛着のある経験、良い経験があって愛着が生まれる。
愛着は、嘘が無い。
生活の中でも、人生の中でも愛着が生まれるものは少ない。
私の愛着のある職場は、初めて入った会社なのだが、
そうやって美しく思い返すのは、もう、その会社が存在しないからだと言われて、
そうだなと思った。
美化されるというのは、失われるということでもある。
親が亡くなって、死を意識し、親の存在を美化する部分が生まれた。
いたときは、喧嘩していたのに。
嘘が無い感情というのは、いったいどれなのか。
嘘ばかりの社会で、いったいどれなのか。
リアルに響く、本物の感情を自分の中に持ちたい。
自分の感情が本物でなければ、全く意味がない。